”「天下の日本製鉄が高炉を閉鎖し、巨額赤字を計上するなんて、いよいよ鉄鋼の時代が本格的に終わろうとしているようにしか思えない」 日本製鉄と関わりの深い二次加工業者はこう肩を落とした。”(「日本経済の中心だった日本製鉄の没落…高炉閉鎖&巨額赤字計上、鉄鋼の時代の終焉」(Business Journal 2020年3月11日記事から引用)

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「鉄は国家なり(ビスマルク)」、鉄鋼生産量は古今東西を問わず国力を表す重要な指標とされる。
要件定義から始まり方式・詳細設計、実装・単体・結合・運用テストといったシステム発想(フルスクラッチ)の塊たる製鉄業が我が国の産業の底力となっていた。その底が失われつつある。鉄鋼の時代の終焉であるばかりか、経済成長を支えたモノづくりのベンチマークが消え去ることでもある。
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「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(マッカーサー)」、製鉄業は日本国から消え去り他国に逃れるだけのこと。鉄を逃し代わりに「おもてなし」なるヤワな水へインフラストラクチャを拡大してきたのが安倍政権7年の経済施策であった。実体感を伴わないフワフワと浮ついた空気は「おもてなし」およびオリンピックに象徴されている。
”オリンピックや国際観光(インバウンド)が我が国の経済政策の主柱だからオリンピック開催中止はあってはならないと主張する者が大半だが、そんな危なっかしい水物に賭けなくてはならないほどこの国の製造業を中心とする産業力は凋落し国民の大半は貧しくなったということでもある。経済構造の根本的な問題や課題に取り組もうとせず、一発勝負・賭け事紛いのオリンピックにこの国の命運を委ねなくてならないその政治経済の貧すれば鈍する無分別ぶりが、"オリンピック命" と言わせるのである。1964年東京大会は高度経済成長で見事に復興した日本を国際社会にデビューさせる為の通過儀礼だった。オリンピック自体、当時は商業主義に非らずその儀礼的意義を十全に満たした。2020大会の "オリンピック命" ぶりはその逆に、目先の利害の成否に周章狼狽する日本の落日ぶりを象徴している。”(拙稿「父さんはどうしてヒトラーに投票したの?」)
安定しない水もののサービス業がお笑い芸人やお茶汲み坊主官僚共々、安倍政権の経済施策の真ん中に居座り、オリンピック開催有無がこの国の命運を分けるまでになった。その運も「今だけ・カネだけ・自分だけ」で宵越しの銭同様のあぶく銭ゆえに常に将来を質に入れなければならない。将来世代の懐まで無心してそれで百年の計を語ろうというのだから悪筋も良いところだ。事故原発の始末一つできず将来に負の遺産をつけ送りにし「アンダーコントロール」とうわべを取り繕う。その壮大な無責任の上にオリンピックがある。
科学や知性と何の接点も持たないおよそ先進国の国柄に相応しないバクチをこの国の経済成長の柱としたのが安倍政権であり、刑法上の犯罪であるカジノを有史以来、はじめて合法化するという大罪を犯した。有史以来人類共通の禁則たる「法度」を許して、何の天下の政道を正すことができようか?
延期開催であろうとそのバクチたるオリンピックにエールを送らざるを得ないこの国。COVID-19対策よりもオリンピック大事と国民の命まで天秤にかける。オリンピック(延期開催)に取り憑かれた日本は、現実の事象(パンデミックのウイルス禍)と何の脈絡もないワンダーランド(おとぎの国・不思議の国)として、その現実に立ち向かっている欧米の人々の目には異様に映る。
落日の最後の残照を以って "美しい国" などと言い繕わせて、安倍首相に花道を飾らせてはならない。ウイルス禍が延期開催時にも終息していなかったら「世界はとんでもないことになっている。人間生活はなくなっているかもしれない。これを超えられないようだったら地球が滅亡していくっていうことになるんじゃないですか。」などと森喜朗大会組織委員会会長に "オリンピック命" と言わせてはならない。人の命や世界を軽々しく天秤に賭けるようなオリンピックなら無くて結構。この国際的危難に祭り事など迷惑千万極まりない。中止とし今はウイルス禍に専念することが国際協調。それが日本の国際社会に示すべき姿。
(おわり)
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