「あなたの50歳誕生日に合わせてラディウス出版からリリースされた本がありますね。ヴォルフガンク・エルクさんが書かれた・・・」
「あぁ、だいぶ前になりますが。」
「こうあります。」
“チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の運営責任者、リヒャルト・ベーチさんからほろりとする話をお聞きしました。来日公演のツアー中、或る朝のこと。あなたの姿が見当たらない。でも、その晩のコンサートに間に合うようにどこからか舞い戻っていたわけです。どこへ行っていたのかと訊ねてもあなたは何も言わない。ベーチさんは日本人の友人から知ったそうですが、心と体に障害を持っている子供たちにモーツァルトを弾き聞かせるために、長時間車を運転してその子たちの学校に行っていた・・・。”
「頻繁に来日していた頃のことです。ツアーの度にその学校に赴きました。ある素晴らしい人が私財を投じて建てた学校なんですよ。宮城まり子さんです。映画女優として活躍していましたがそのキャリアを投げてこれらの子供たちに身を捧げている人です。宮城さんは子供たちに絵を描くことを教え、展示し、素敵な本を出版したりしています。子供たちは辛うじて書いたりはできますから、時には詩を作ることを教えたり。そこでわたしが弾くと子供たちは音楽に心を動かされて泣いてしまいます。子供たちは指を動かすことを怖がります。痙攣してうまく動かないのですが、宮城さんやスタッフの手を借りてワープロに向かいます。音楽からインスピレーションを得て素敵な詩が生まれるのです。私も深く心を動かされました。音楽は人々に非常に深い何かを解き放つことができます。・・・」

Christoph Eschenbachインタービュー(聞き手:Thomas Meyer, 2015年2月4日)
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クリストフ・エッシェンバッハ(Christoph Eschenbach)氏とねむの木学園の宮城まり子園長の心温まる関係は、同氏の弾く「エッシェンバッハによる/ピアノ・レッスン・シリーズ」(1979年 / LP計22枚・ドイツグラモフォン)のジャケットに同学園の子供たちの絵を採用した事に始まった。学生時代、レコード芸術誌(音楽之友社)のグラビア広告でその素敵な絵に魅せられ思わずレコードを買いたくなったが、いかんせんツェルニーでは触手が伸びなかったのを思い出した。

(アートのちカラ、デザインのちカラ記事より引用 / 心温まる記事)
その後、折あるごとにエッシェンバッハ氏は学園と子供たちに手を差し伸べた。絵を描き続ける子どもたちを撮ったドキュメンタリー映画(虹をかける子どもたち / 1980年/脚本監督:宮城まり子)にも協力している。宮城まり子さんの生涯のパートナーであった吉行淳之介氏の遺稿『魔法にかけられた島々(エンカンタダス)』を音楽朗読に仕立て演奏したのもエッシェンバッハ氏だった(ヒューストン交響楽団 / 1990年)。
長髪痩躯の若者も半世紀を経てその指揮ぶりは巨匠の呼び声も高い。宮城まり子さんも車椅子ながらご健在と思っていた矢先、亡くなられた(2020年3月21日)。
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どうしてどうして、彼女の明るい歌声はエッシェンバッハ氏のモーツァルトに負けないだけの生命力を帯びている。『納豆うりの唄』や『ガード下の靴みがき』は貧しくとも明るさと希望を失わない戦後のある時代を象徴していた。

(毎日新聞2020年3月23日付記事から引用)
美智子上皇后とは生涯親交を深めたことも知られている。聖心女子学院高等科時代に作った詩は「ねむの木の子守歌」として広く親しまれているが、その作詞著作権料は全て社会福祉法人日本肢体不自由児協会に寄附されているそうだ。
美智子上皇后、エッシェンバッハ氏、そしてあの学園に学んでいる子供たち、巣立った多くの人々が宮城まり子さんの死を深く悲しんでいることだろう。真に偉大なひとだった。
(おわり)