「一・二週間が山場」と言っていたような。「今が山場」と安倍首相。明日も今、おそらく一ヶ月後も一年後も今だろう。得意の「未来志向」らしいが、昨日言ったことは責任ごとさっさとシュレッダー行きと決め込んだらしい。われわれにとっては、山場なる今がこの先も続くことは、非常事態(非日常性)の常態化(日常化)ということ(拙稿『乗りものならぬ「乗りものニュース」』)。
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”突発入力に対しては一瞬だけ衝撃的に反応を示すけれども、あとはしゅんと静まりかえって忘れ去るように見える。たとえば、なにか事件が発生したときの日本の週刊誌を見るがよい。時定数は七日にすぎない。”(拙稿 佐貫亦男氏『発想のモザイク』から)
「今」などと連日突発入力を加えて、さて我々の時定数は何日なのだろうか?ネットでは「コロナ疲れ」とすでに時定数を迎えた人々の呟きも見られるようになった。残念ながらCOVID-19は疲れを知らない。それどころか疲れを見せた者に取り憑く厄介者。「笑っている人には取り憑かない」も気長な放射能相手ならそう言えたが、気短なCOVID-19相手には言えない。
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”日本人は漸変入力に対して、一時正しく反応する気配を見せるけれども、なにかスパートしない限り反応が思わしくない。”(同上引用)
我々の国民性では「一・二週間が山場」がせいぜい全力ダッシュできる距離ということ。それすら二ヶ月も周回遅れゆえ、初動対応を逃してしまった。そして「今が山場」とダッシュを連日促しても、感染は検査をしない裏通りでモグラ叩き状態。「コロナ疲れ」を起こすか、さもなくば開き直って安全性バイアスに傾くことになるだろう。
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その疲れは今のところマスクなどの物不足や行動自粛要請によるストレスや経済的損失に由来していて、感染禍そのものではないが、感染範囲が広がれば、
58 まだまだ足りない 辛抱努力 (昭和16年日本カレンダー株式会社)
65 一億が みな砲台と なる覚悟 (昭和17年中央標語研究会)
(<(戦前)国策スローガン百選>に照らす今の世の中)
嗚呼、いつか来た道。B29やカーチスが上空を飛び交って爆弾やら機銃掃射の雨あられでも、
100 米鬼を一匹も生かすな! (昭和20年『主婦之友』)
などと、その空に竹槍を突き上げていた。
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精神論に依存しやすい国民性に照らすと今般のCOVID-19はとりわけ日本人にとってタチが悪いと言える。科学よりも政治が先に口をきく。その口利きをマスコミ(上層部)が買って出る。
70 科学戦にも 神を出せ (昭和17年中央標語研究会)
某局に出演した時、「安倍政権の批判は避けて欲しい」と注意されました。上層部が嫌がるそうです。
— 上 昌広 (@KamiMasahiro) March 6, 2020
(NPO法人「医療ガバナンス研究所」理事長 上昌広氏)
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火事場に乗じた、人権狩りにもご注意。
1 権利は捨てても 義務は捨てるな (昭和8年用カ社)

(自民党憲法改正草案起草者・片山さつき議員『私達の基本的な考え方』)
自由民主党「日本国憲法改正草案」の第98条に「緊急事態の宣言」第99条「緊急事態の宣言の効果」と題された条文(案)、所謂「緊急事態条項」。憲法に縛られるべき為政者が、縄を綯っていつ憲法と国民を縛りにかかろうかと様子を窺っているような。火事場に泥棒が出没し始めている。ご用心あれ。
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長丁場になりそうなCOVID-19禍。「いっせいに傾斜」する・われわれ、ゆえに、「いっせいに傾斜」する世の中の気配に、一歩引いて自己の視点でものごとを考える必要がある、と私は思う。火事場の泥棒に縄を持たせてはならない。それで戦争となった歴史を振り返るべきである。
(おわり)
追記:
「1〜2週間が瀬戸際」
or
「1〜2週間が山場」(ここまで2月24日)
↓
「今が山場」
or
「今が正念場」(3月5日から)
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