”北海道の鈴木知事は新型コロナウイルスの感染が道内で広がっているとして、3週間の間「緊急事態宣言」を出し、道民に向けて特にこの週末の外出を控えるよう呼びかけました。”(NHK NEWS WEB 2020年2月29日 記事引用)
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新型コロナウイルスの道内での感染拡大深刻化に伴い、北海道に続き自治体が独自に「緊急事態宣言」を判断し宣言を行うことになるかもしれない。緊急事態のための特別法を発動するよう政府に要請する動きも伴う。経済的損失への補填は自治体の財政レベルではできない。
片やその中央政府では、安倍首相を含め政権幹部が不要不急とも言える会食を繰り返している。
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”大型クルーズ船で乗客の感染が増えていた12日以降の平日夜(11日間)のうち、首相が知人や企業経営者、与党議員らと9日間会食していたと立憲民主党の高井崇志氏が指摘。”(2020年2月28日付毎日新聞記事引用)、されたことに安倍首相は「夜の会食は宴会ではない」と新解釈。
「つまらないこと」(麻生財務省)などと何事も自分に痛い指摘は些事を論うと一蹴するが、自分への甘言には大いに耳を傾け「つまらない」会食を行う。
「首相としていろいろな話をうかがう大切な機会だ」ならキーパースンと電話一本で済むことになぜ一々会って時間を費やす「会食=食事に招く」を伴うのか?この緊急時のブレーンは相変わらずの身内ばかりのオトモダチで良いのか?百田尚樹氏や有本香氏と「会食」して何の意義のある話をうかがえると言うのか?
会って互いに食事をしながら懇親を深めるが「会食」と一般的な国語力では解釈する。そのdine out(「外で集まって」食事をする)について国民に自粛を要請しておきながら、自分は率先して「外で集まり」「懇親を深める」とは随分と国民の神経を逆撫でするものだ。集まったところで「夜の会食は宴会ではない」などと言い募ったところで、どちらも「外で集まり」であるのに辻褄もあわない形容矛盾は「募っているが募集ではない」と同じ。


(旧民主党政権では政権幹部は常に最前線にいた)
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いずれにせよ、(自称)最高責任者が国家危難の場にオトモダチと懇親会などしている場合なのか?百田氏は首相と直談判し苦言を呈するなどと言っていたが、直談判が「会食」とは随分腑抜けたことである。互いに痛い傷を舐め合い国民に対する巧言令色の算段をしたのか、はたまた、北海道知事に続けとばかりに全国規模の「緊急事態宣言」を安倍首相に指南したのか?
悲願の緊急事態条項を含む憲法改正なる安倍物語の終章を百田氏なら書くことだろう(拙稿「新型コロナウィルスに乗じる厚顔」)。北海道知事の「来月19日まで外出を控えていただきたい(緊急事態宣言)」や全国公立学校一斉休校は国民の意識を探るために打ち上げた観測球との見方もある。
毒には毒を以って制す=悪を滅するために、他の悪を使うこと(以毒制毒)は止む無しの有本氏も会食に同席していたなら、新型コロナウィルス禍には、最後は「令」を以て「和衷協同」すべしと人権(個の尊厳)を制限してでも護るべき国体のために緊急事態条項を持ち出せば良い・・と助言しても不思議ではない。成る程、元号の意味する通りである。
地方自治体の緊急事態宣言の先になにが待ち受けているか我々はしっかりと考えておかなければならない。
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『様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、どのように声をかければいいか?
・ロシア人には、海の方をさして「あっちにウォッカが流れていきました」と伝える。
・イタリア人には、「海で美女が泳いでます」と伝える。
・フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。
・イギリス人には、「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。
・ドイツ人には、「規則ですので飛び込んでください」と伝える。
・アメリカ人には、「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える。
・中国人には、「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。
・日本人には、「みなさん飛び込んでますよ」と伝える。
・韓国人「日本人はもう飛び込んでますよ」と伝える。』
(拙稿 佐貫亦男氏『発想のモザイク』から)
危機意識は上から与えられるものではない、何をすべきか指示命令を待つものでもない。お互い顔色をうかがうことでもない。主体的に意識・思考判断・対策すること。上掲のエスニック・ジョークでは、フランス人がそうだろう。残念ながら日本人は上に政策や規則がなければ動かない。だからと言って、ジョークにあるドイツ人にも当て嵌まらない。
そのドイツ人が少なからず共有する「先入観のない解析性の基盤になる思考方法」は「あり得ないとして予見だけで排除せずに、あらゆる選択肢を思考の内に入れ(小事にこだわる)、そのいずれを選択すべきか・選択すべきでないかを明記し社会全体が共有する意識なのであろう。選択の主体は自己の意識であって、日本の改札機のように意識なきシステムに頼らない。」点で、その従う規則は常に先手を取って決まる。ゆえに『それはtüfeln テュフェルン=「やっかいな問題と粘り強く取り組む;小事にこだわる」、そして、verbieten フェアビーテン=「禁止する;何事にも規則を定める」なる言葉に集約される』(佐貫亦男氏『発想のモザイク』から)。従う・従わせるに足るだけの先手の思考ゆえの遵法精神は、上も下も国民性として持ち合わせているからこそ、公共交通機関での個人の意識に化体した信用乗車方式が実現できるのである。
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小事が大事だと思わず(「つまらないこと」と些事扱いにする)政令公布を遅らせるなどの政治の後手がダイヤモンド・プリンセス号大事故の淵源であるばかりか、下で思考判断することは組織や和を乱すこととして却って排除される(岩田健太郎教授(感染治療学)の告発)、その由らしむべし知らしむべからず、では、何を上が考えていたのか論考を国民に開示する必要はなく(国民が知る必要はない)、ただ従えと言うばかり。それも場当たり・思いつきのショートレンジの繰り返し。挙句、その責任は国民に丸投げする(安倍政権は「サイドペーパーを付けて責任逃れ」をすることだけは抜かりない)。「最後は自己責任論で落ち着く」のであれば、最初から国民は主体的に意識・思考判断・対策するしかない。
無意識・無思考を決め込めば、緊急事態宣言がいつの間にか緊急事態条項(憲法改正)下の戒厳令となり兼ねない。これではいつかきた道・戦争への道。(拙稿「私たちはどこまで階段を登っていますか?」)
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”中国では「上に政策あれば下に対策あり(上有政策下有対策)」というが、(有効かどうかいまひとつ分からない)政策待ちで動くのではなく、自分たち自身で思考し判断して対策を立てていくことが日本でも求められている。” (『新型コロナ「衝撃の休校要請」…多くの医師が疑問を抱いている(美馬達哉立命館大学教授)』現代ビジネス2020年2月29日付記事引用)
(おわり)
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