2020年02月25日

「患者クラスター」なる言葉とその政治的定義







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北海道での感染確認数ばかりが多いが、人口比に照らせば、逆に首都圏での確認数の少なさが目立つ。

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「国内で感染経路が明らかでない患者が散発的に発生しており、一部地域では小規模の患者集団、いわゆる患者クラスターの発生の把握が確認されている(安倍首相)」

小規模の感染集団=クラスターということらしい。なるほど、北海道など「一部地域」での感染確認であれば国が認めるわけである。東京など大都市に当てはめられる定義ではない。感染があってもそれは「局地的且つ小規模」と印象付けるに、クラスターという見方をすれば良いと思いついたのだろう。何とも小狡い。クラスターは非人道兵器(クラスター爆弾)を想起させる軍事用語でもあるので、「患者クラスター」などと造語して国際社会に発信すること自体、あまりに想像力がなさ過ぎる。

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小規模の感染集団=クラスターに合わせるかに、検体数を絞れば感染確認数は少なくなるのは当然の理。「感染を抑え込め」と上が言えば、下は「感染確認数を抑え込む・対策予算を抑え込む」ということか?「アンダーコントロール」と上が言えば、下は「食べて応援」となったのと同じ。科学ではなく全て政治。

拙稿『国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」

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韓国では感染確認数は日々増大している。しかしそれは却って韓国政府がウィルス検査に本腰になっていることの表れ。その方向性が経済市場から評価されたのか本日は株価が上がった(2020年2月25日現在)。他方、日経平均株価は大暴落。感染防護をもっぱら国民の自己責任にし、挙句に検査対象を絞ったため、感染実態が見えないとの先行き不安と、オリンピック開催が頓挫し、安倍政権のインバウンド消費やら巨大イベント頼みの経済政策が破綻することまでそろそろ織り込まれているのかもしれない。当の安倍首相自身、陣頭指揮の素振りもない。メディア向けの絵を撮らせて「あとはよろしく」とばかり、関連会議を抜け出しては日夜オトモダチとの会食に励んでいるようだ。3・11の時の民主党政権での菅首相・枝野幹事長など政権幹部の昼夜を問わない奮闘ぶりと比較して、国家危難の時に率先して逃げる姿はおそらく母方の祖父譲りなのだろう。

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韓国の感染確認数がクルーズ船の感染者数を超えたあたりから、メディアがクルーズ船内の感染者数を日本国内の感染者数に含める報道が増えてきた。疫学的発生条件の違いを理由にWHOに「その他」に仕分けさせていた数を取り込み出したのは、人口比当たりの感染確認数を韓国やイタリアと合わせるための調整用として取っておいたような気配がある。

当初は水際作戦での数字に見せていたが、陰性判断で下船させた乗客が陽性となり水際どころかウィルスを培養させていたとの内外の批判から、「その他」の仕分け自体が意味をなさなくなった。国内感染確認数を増やしたくないとの政治的思惑から、検体を絞ってみたところ人口比の感染確認数がやけに少ないと国際社会から見られるようになって、今度は「その他」のクルーズ船の感染者数を加えて比率の帳尻を合わせようとしているのではないか?

何をやっても粉飾決済だけは一本筋が通っている。それが安倍政権ということなのだろう。

(おわり)

追記:







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「今回の現場、政府の対応は、現実的には非常に良くやっていると思う。一方、政府の対応をしたり顔で批判する輩どもは最悪だ。・・風評被害を起こす、という犯罪 ・・メディアは、いまこそワンチームだということを分かっていないのだ」等々。「ワンチーム」なる批判を許さない全体主義的同調圧力と経済至上主義から感染弱者(妊婦・高齢者・基礎疾患保持者など)を一顧だにしない「できない=切り捨て」論。「批判ではなく提案を」などと言うに至っては、提案したところで最初から結論ありきの批判封じの安倍政権の常套句であることが判る。要するに「できない」政権の「できなさ」(実質は「できない」ではなく「しない」という不作為)を認めろとの提灯記事。それどころか居直って、下々はお上の言うことに一々楯突くなとの、全く酷い記事である。「できないアドバイスは意味がないどころか、百害あって一理無し」で、専門家の120%正しい指摘ですら「できない」政府の「できなさ」を海外に発信するのは国益を損なうと言う論。無能を無能と批判してはならない、それで何人死のうと「できなかった・仕方ない」?政府が頑張っているのに足を引っ張るべきでないと。百害あって一理無しとはこのような記事を書く者のことを言う。国益なる体裁こそ「きれいごと」。日本国は素晴らしい・日本人は凄いなる、個に問わない全体の「きれいごと」に執着し、「汚い」ことを口外するなと、その「美しい国」の「きれいごと」に殺されては堪らない。日本政府が「できない」のであれば正直に「できません・能力がありません」と言い、海外から「できる」叡智を結集すべきであろう。口を噤ませて、由らしむべし知らしむべからずとばかりにアンダーコントロールすべきではない。

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デイリースポーツ記事(2020年2月26日記事) 新型コロナ検査「なんで受けたがる?」結果分かっても「対応は変わらない」(古市憲寿氏)は浅薄な意見。

古市氏の論に従えば、風邪程度に思って病院に行かずに様子を見れば良いということになる。やたら病院に検査を求めて行けば医療崩壊となると。しかし、高齢者や基礎疾患保有者にとって、最初は軽症であってもその後の様子見は直ちに命取り(「重篤化したら病院に行く」頃には死んでいる)。軽症の内に診てもらえず重症化したり死んだりすることも織り込んだ医療体制ならそもそも崩壊しているのではないか?

古市氏のような若者が検査など無駄とばかり風邪だとはなから決めつけて普段と変わらない行動をすれば、結果ウィルスを周囲にばら撒くことになる。その先に感染弱者が居るという想像力がない。

由らしむべし知らしむべからず、で良いことはない。受けた結果を知って対応を変えることで助かる命もある。

posted by ihagee at 04:19| 日記