2020年02月20日

「仕事を放棄しなかった乗員」(高山医師の反論)で良いのか?




岩田健太郎教授は内部告発の動画を突如削除した(拙稿「科学の樹」のないこの国の暗愚・続き2)。検疫中のクルーズ船への立ち入りを(DMATの仕事を行う前提で)黙認したとされる高山義浩氏(厚生労働省の技術参与、感染症医)のFacebook上での反論が削除に繋がったと思われる。「冷静客観的な記述」がその反論への概ねの世間一般の感想のようだ(日本国内に於いては)。つまり、岩田教授は一部を見て全てを主情的に一方的に語った。その一面はあるかもしれない。岩田教授もその点は素直に認めている。

「新興感染症が発生しているわけですから、怖くないはずがありません。ただ、そのなかで継続して頑張っている人たちがいることは、ぜひ理解してほしいと思います。ちなみに、私は明日も船に入ります。(高山医師)」

外から船に入る検疫官や医師などは乗客下船のオペレーション下にあった。たとえ(感染制御が)完全でなくとも遂行させなければならないそのオペレーションを混乱させるかの岩田教授の言動を排除したことには一理あるかもしれない。

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しかし、そのオペレーションに検疫や感染症のプロでもない乗員まで「頑張らせた」ことに理はない。乗客下船のオペレーションは「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム(DMAT)」に課せられたものであっても、乗員に課すべきことではない。船上で乗員に課される通常の救難義務とは異なる。感染制御まで含むオペレーションが、通常の検疫/下船と同じ義務であろう筈はない。

「>検疫所の方と一緒に歩いてて、ヒュッと患者さんとすれ違ったりするわけです。
さすがに、これは違います。そのような導線にはなっていません。患者ではなく、乗客ではないかと思います。乗客ですら、そのようなことは稀だと思います(高山医師)。」

客室内に隔離待機させるなど乗客の導線はそれなりに管理していたのだろう。他方、乗員は互いに肘の届く距離で食事をさせ、一所に寝起きさせ、感染環境下で船内を移動するなどサービス業務を遂行させた。約1000人いる彼ら・彼女らは乗員服のまま(ゴーグルやタイペックを着用することもなく)、客室へのサービスや船のメンテナンスを行った。服などに付着したウイルスがその導線上で伝播する可能性を無視してまでも頑張らせたことについて「ぜひ理解してほしい」などとは受け止めることはできない。

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「そもそも、こんなことは初めての取り組みです。失敗がないわけがありません。それを隠蔽するようなことがあれば、それは協力してくださった乗客の皆さん、仕事を放棄しなかった乗員の方々、自衛隊の隊員さんたち、そして全国から参集してくれた医療従事者の方々を裏切ることになります。(高山医師)」

仕事を放棄しなかった乗員の方々・・・を裏切ることになります」に非常な違和感を私は覚える。つまり、乗客下船のオペレーションの対象に乗客は含まれていたが乗員は一義には含まれていないことを示している。それどころか、乗客下船のオペレーションする側に乗員を組み込んでいる。しかしその乗員の導線は感染制御の観点からは管理されていなかった。管理できないのであれば乗員の仕事は放棄させなくてはならない

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「仕事を放棄」したくはない(又はしたくてもできない)責任感や事情を利用し、「仕事を放棄」させるという根本の科学的選択肢を高山医師は排除しているように思えてならない。「仕事を放棄」したくはないが(又はしたくてもできないが)、自ら感染する可能性と共に、乗客への感染拡大の要因となり兼ねないと乗員自身が懸念していたことは一部乗員のSNSでのメッセージでも判る。その心情は乗客も共有していた。

「キッチンで料理している人の中に感染者がいるんじゃないのかと、何度も聞きました。もし感染したら、本国に強制送還される。だから感染したことを黙っている ・・・ 彼らは貧しい人たちです。感染したら直ちに放り出されてしまうんです」(乗客の証言)

”衛生管理の知識は、クルー(乗員)には特に共有されていないと感じました。例えば、夕食は船長のご好意でダイニングホールで食事が提供されたのですが、開放された空間でマスクを外して談笑しながら食事をします。そこにはクルーの方たちも入ってきます。彼らに「マスクを交換している?」と聞いたことがありました。「もちろん、1日1回交換しているよ」と言うんです。汚染されたマスクを一日中つけているのでは、まったく意味がないと感じました。クルーは手袋もつけていますが、手袋をつけたままゴミ箱を交換したり、あちこち触っているのも見ていました。”(オペレーションスタッフ(Huffpost 2020年02月20日付記事から引用))

華やかなクルーズ船の業務に憧れて就いた乗員には決して経済的に恵まれていないインド人が多く含まれていたようだ。仕事を放棄したくてもできない事情を利用し乗客下船のオペレーションする側にそれら乗員を組み込んでいるとすれば結果として人権を侵すことと、欧米人なら認識することだろう。それは乗員だけではなく、感染したことを黙らざるを得ない乗員からサービスを受ける乗客の人権にも及ぶことだ。「感染したことを黙っている」しかないのであれば、客室へのサービスが感染制御と反対に働いたことは「あり得ない」と否定することはできない。

ゆえに「衛生管理の知識を共有していない」「感染したことを黙っている」しかないのであれば「(乗員に)仕事を放棄させなければならない」。船籍のある英国政府に働きかけ、船長に放棄を命じさせ、仕事を放棄した/感染したからと後々職場から放り出されることのないように雇用主に確約させることまでが、日本政府の人権に立った交渉事であろう。私に言わせればここまでするのが、評価に値するオペレーションである。

”デカルトは「根は哲学、幹が自然学、枝は諸学であり、医学、工学、道徳の3本の枝に果実が実る、とくに完全な知としての道徳の枝に実る」と述べている。”(拙稿 「科学の樹」のないこの国の暗愚

医は仁術。科学の樹に於いて本当の知が問われるのはこの道徳(仁術)にある。その知があればクルーズ船が世界第二の感染源になることはなかっただろう。

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本当の知があれば「(乗員に)仕事を放棄させなければならない」。そうであれば、クルーズ船はサービスやメンテナンスを行うことはできない。ゆえに乗客を留め置くことはできず、隔離施設として用いることは当初から不可能だったということである。すなわち、乗客と共に乗員も、武漢から旅客機で帰国した人々のように民間や国の施設に一定期間隔離するなどの措置を最初から講じるべきであった(特定感染症指定医療機関の床数に限界があれば)。

そうしなかったのは、「上陸させたくない=上陸後感染が判明すれば国内感染者としてカウントされる」との政治的思惑が強く働いたからに他ならない。岩田教授を船から退去させたのは厚労省副大臣の判断であることからも、乗客下船のオペレーションはさらに政治的オペレーションに組み入れられていることは明らかである。高山医師の言葉の端々に科学者としてよりもその手の修辞な政治の空気を感じるのは私だけだろうか?

(おわり)

追記:
”乗客らを一律にクルーズ船内で隔離することには意味がない。到着後はすぐに下船させ、症状に応じて個別に対応すべきだった。大型船の管理は難しく、感染拡大を防ぐには下船が必要という論文がたくさんある。まして大型船を検疫した経験の乏しい日本には、船内の感染をコントロールできない。私は血液内科医だが、無菌室に入る際は部屋ごとに上着を着替える。菌やウイルスを持ち込まないためだ。ところが船内では、乗員が配膳などで各部屋を回る時に服を替えていないという。これでは感染を広げてしまう。検疫法では検疫所長に大きな権限が与えられており、旅行者の健康と人権を考えて隔離の判断をする。本来は政治権力とは一線を画すものだだが今回は、東京五輪の開催や支持率などの雑念が入った政治家が、超法規的に事実上の隔離を判断した。法に基づかず身体拘束をしているとも言え、医学史に残る不祥事となった。政治家の介入に疑問をはさまなかったメディアにも責任の一端がある。”(NPO法人「医療ガバナンス研究所」理事長 上昌広氏: 毎日新聞2020年2月20日記事引用)

posted by ihagee at 18:03| 日記