中国本土に始まった新型コロナウイルス感染禍は連日報道されている通りの状況となっている。
我が国も例外ではなく、横浜市の大黒ふ頭に着岸しているクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス(3771名乗船)」では船内感染者は計61人に上っている。
----
“世界保健機関(WHO)はクルーズ船内の感染について、日本への上陸前の発生とし、感染者の数を日本国内の発生には合算せず「その他」とするようだ。国内の発生は無症状の人も含め25人。“ (毎日新聞 2020/02/07記事引用)
「その他」=Other については、WHOのサイトにその出典がある(以下の通り)。
日本の領海内にあるクルーズ船とわざわざ注釈を付け、“international conveyance (Japan)” と項目にあるが、旅客機も含め、国際運輸機関=“international conveyance" での感染は日本だけの問題ではなく、「その他」=Otherと別に感染者数を計上するのであれば、日本以外の国や地域が関わる“international conveyance” についても同じ扱いであるべきところ、なぜか日本に限定している。とても奇異な集計の仕方である。
WHOのサイトでインフルエンザの感染者集計も確認したが、このような「その他」=Otherの別項は見られない。
WHOの集計上「その他」=Otherと別項にしても、地図で表せば、●は日本国に重ねざるを得ない(日本国内の感染者数の●と合わせて二つ)。その一つは日本国ではない=「日本国内での感染」ではないと主張したところで、図示すれば何の意味もない。日本だけの「その他」の仕分けは国際社会から奇異に受け止められる可能性がある(コロナウイルスの感染状況を視覚化しているジョンズ・ホプキンス大学のサイト)。
(61名の数値が表す●を国内感染の●と二つ表示。日本国以外でこのような表示の仕方はない。)
----
「その他」=Otherが異様に思えるのは私だけだろうか?旅客機だろうが客船だろうが日本行きのその途上で感染が判明したのであれば、人命の観点から国籍を問わずまずは全員を医療が十全な施設に搬送し、直ちに検査・措置を受けさせるべきであろう(その間しっかり防疫を行うことは当然)。クルーズ船は病院船ではない。武漢で感染してから日本に旅客機で入国した患者も日本の国内感染者としてカウントしているのだから、61名の感染者の内、少なくとも21名の日本人(上陸後入院)は日本の国内感染者としてカウントされて然るべき。
一旦日本の領海・領空に入った上は、「その他」=Other扱いにして漂流させ、その乗客乗員の命を危険に晒しても良いわけではない。いかなる国籍の人であろうと検疫と隔離治療を行うのが日本政府の人道的立場であって、日本国内の発生(数値上)にしたくないばかりに、「こんな人たち」扱いをしてはならないと思う。
オリンピックを控えていることからかもしれないが、「その他」=Otherに不都合を押し込め、あたかも水際作戦が成功しているかに印象付けるのは大変良くない(「アンダーコントロール」と壮語し、原発事故の実害を過小化したと同じ印象操作)。安倍政権の日頃の手前勝手な印象操作ぶりが、国際社会にそれこそ印象付けられることになる。
(おわり)
追記:
WHO、「上陸前だから日本国内の感染者ではない」という日本政府の主張を受け入れる、との報道。疫学上の発生条件の違い(発生条件:閉鎖空間)を数値に反映するよう日本政府がWHOに要求したということらしい。今のところ日本だけがこの学問上の違いを主張し感染者数をWHOに仕分けさせている。しかしその発生条件の違いを理屈に水際の防疫に利用している(クルーズ船に隔離している)主体は日本国・日本政府に変わりはない。二週間もその閉鎖空間に留め置いて、結果としてその中で感染者(持病が悪化するなどの要因もある)を増やしても、日本国内ではなく「その他」のことにしておくことはたとえ疫学上理屈が通っても、その乗客乗員の人命の観点からすれば、「その他」で良しと国際社会で共有されるのであろうか?同じ閉鎖空間の旅客機の乗客と同様、船が日本の港湾に接岸したのであれば直ちに医療設備が整った施設に全員を移すべきというのが国際世論ではなかろうか?「その他」=Otherと隔てることが、「漂流させておけば良い」との誤ったメッセージを国際社会に発信することになり兼ねない(大型クルーズ船「ウエステルダム号」はどの国も受け入れを拒否し漂流している)。
再追記:
「すべて中国人の責任だ」「船なんて放っておけ」「船籍の国の責任」「乗員乗客の自己責任=各自国籍の国に責任がある」「日本の対応は評価されている」「日本人は別だ」などとネットでコメントする向きがある(特にヤフコメ)。そう言う人たちは以下の図を見たら良い。
ジョンズ・ホプキンス大学のサイト上の地図をズームアウトすれば(国際社会から眺めれば)、アジア全体の問題として意識を共有しなければならないことが判るはずだ。日本人も中国人もない。「その他」=Otherがいかに無用な仕分けであるかも判る。
「おもてなし」などと言って諸外国から観光客をさかんに呼び込んでおきながら、同様に呼び込まれる種々のリスクを、来た人の責任などとそれらの国に安易に転嫁して良いのか?リスクに遭遇する場面で途端に「帰れ」と島国根性がむき出しになるようでは、観光立国などやたら叫ばない方が良いのではないかと思う。
再々追記:
「その他(Other)」なる地域での感染者数が増大している。「日本にあって日本でない」とはまるで「募っているが募集していない」と同じ誰かの言い方。しかし、国際社会では「日本」の感染者扱い。
(wikipedia "2019–20 Wuhan coronavirus outbreak"より引用)
「その他(Other)」に感染者数を押し込んで、「こんな人たちには負けない」などと日本が一人叫んだところで、アジア全体のクライシスの中にあっては戯論に過ぎず、IOC(および欧米のTOPスポンサー企業)は夏のオリンピックの開催地をアジアから欧州のいずれかの都市に変更することをそろそろ視野に入れているようだ。商業オリンピックゆえ集客の見込みが立たなければそういう結論になるやもしれない。
【日記の最新記事】