正月二日、自宅から車で小一時間程の「五千頭の龍が昇る聖天宮」を訪ねた。
”五千頭の龍が昇る聖天宮は、台湾・中国の伝統宗教、道観である。道教の最高神・三清道祖(元始天尊、道徳天尊、霊寶天尊)と道教の神々が祭祀されている。五千頭の龍が昇る聖天宮は台湾出身の康國典大法師が建立した。大法師は、若くして不治の大病を患ったが「三清道祖」に祈願し、7年の闘病生活を経て病が完治した。大法師は感謝の気持ちを抱き、他の多くの人々も自身と同じように「三清道祖」にすがれるようお宮を建てることにした。建立地を探していたところ、日本国埼玉県坂戸市に建立するようお告げがあったため、同地に聖天宮を建立することになったという。五千頭の龍が昇る聖天宮は、1981年より着工し、15年の歳月を経て、1995年に開廟した。現存する道観としては日本国内最大級である。装飾品は、台湾より運び、台湾の宮大工によって建造された。” (wikipedia より)
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埼玉に住んでいながらその存在すら知らなかった道観。百聞は一見にしかずの百聞すらなく初めて目にする「五千頭の龍が昇る聖天宮」は一見の価値が十分ある威容だった。道観の純然たる宗教施設ゆえに観光化されていない点も良い。
(前殿)
(前殿屋根飾り)
(一枚岩の透し彫り)
(本殿)
(本殿と翼廊)
(本殿内陣)
(鐘楼)
(翼廊)
(楼閣上から眺める前殿屋根)
(石の彫刻)
(楼閣上から眺める本殿)
(鼓楼)
(本殿内陣)
(前殿)
以上、 Sigma DP2s (ISO: 100) using RAW processing software “SIGMA Photo Pro 6.5.2”
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似たような建物として、横浜中華街の関帝廟が思い浮かぶが、関帝廟は商売繁盛を願って華僑が建立した関羽を軍神として祀る武廟であり、平癒を感謝した台湾人の大法師がお告げで建てた三清道祖(元始天尊、道徳天尊、霊寶天尊)と道教の神々を祭祀したこの聖天宮とは祭神・願い事が異なる。
”建て主は康國典大法師。 四十歳半ばにして不治の大病を患い、ご本尊「三清道祖」と縁起をもたれたのを期に一命をとりとめ、完治されました。 深謝の念と、何人にも神様のご利益にあやかれるお宮を建てたく建造の地を探していたところ、なんと生国の台湾ではなく日本国のこの地にとお告げを授かりました。聖天宮の名、佇まいや方角もお告げがあり、当時、正面の道、最寄の若葉駅もなかった雑木林のこの地を一から整地し昭和五十六年より着工に至りました。 台湾の一流の宮大工を呼び寄せ、十五年を掛け、平成七年に聖天宮を開廟しました。”(聖天宮由来から)
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私の母方の祖父は幼少期(明治時代)から中学卒業までを内地と行き来しながらも多くは台湾で過ごした。その父親が当時の五大製糖会社の一つ帝国製糖の役員を務めていたからである(社長:松方正熊、専務:牧山清砂)。
”今ははや幻の母校となりにける 若きよき日を語る楽しさ”(総督府立台北第一中学校・同窓会好老爺会での祖父の一句)
台北一中在学中は、当時の民政長官の秘書官であった石井光次郎氏(シャンソン歌手・石井好子氏の父)に南門外の官舎で世話になったようだ。
祖父は台湾の話を色々私に語り聞かせたのかもしれない。幼かったゆえ私はそれを記憶に繫ぎ止めることはできなかった。この道観を目にしたら何を語ったことだろうか、などとふと祖父の顔が浮かんだ。
(おわり)
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