日本の素顔 第176集 レジャーの断面
記憶というものは不思議なものだ。母の胸に抱かれていた覚えがなにかしら残っている。その覚えを呼び起こす一つがテレビ番組のテーマ曲である。とは言っても観たのではなく観ていた母のおっぱいと共に音を啜っていたに違いない。そして、音だけの記憶にこのように後々映像が追いかけてくる場合もある。
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「レジャーの断面」で詳らかなわれわれのレジャー観は半世紀以上経った今も凡そ変わっていない。慰安・親睦と称する社員旅行こそ一億総中流時代の終焉と共に消え去ったが、企業によって巧みに商品化されたレジャーに飛びつく性向は何ら変わっていない。巨大テーマパークのディズニーランドから、町おこし村おこしと現れては消える各地の観光施設、国が主導するIR(統合型リゾート)など、その底には旧態依然としたわれわれのレジャー観が横たわっている。「おもてなし」なる商品・サービスを買って余暇を埋める性向である。
父の生涯の友人且つ仕事上の盟友であったT氏の趣味は水彩で風景や事物を描くことだった。対象を丹念に心で拾っては画帳に綴じ込む余暇の過ごし方は、上述のレジャー観とあえて一線を引いて自得(良い意味での)を楽しんでいたのかもしれない。
(T氏の作品)
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そう言いながらも私自身は「おもてなし」なる商品・サービスを買って余暇を埋める性向から抜け切れていない。写真を道楽としつつも結果を半分以上約束してくれる機械を買って済ませ、それでもアナログフィルムだ、マニュアル撮影だとか言ってはもう半分の有耶無耶とした創作性の言い訳をしていたのに、「空気感まで写しとる」というデジタル撮影に手を出してはただシャッターを押すだけで、T氏の自得の筆とは比較にならない安直さに堕してしまっている。
本項「禁断のFoveon 」はその失楽園シリーズとなる。
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先日(9月27日)、河口湖オルゴールの森美術館(山梨)に車で出かけた。
いつもなら持ち歩くアナログカメラに留守番させ、Sigma DP2Sを連れ出した。南欧風の建物やら歴史的オルゴールなど全てがテーマ商品である対象に向かってシャッターを押した(ISO:100)。
帰宅後、RAWデータ処理ソフト(SIGMA Photo Pro 6.5.2)で「RAW現像」を行う。百枚ほど撮影し、現像保存したのは以下の写真を含め十枚程度。商品はその中に残らなかった。
(路傍の花々と湖畔)
デジタルであっても、自得のかけら程度にはなったかもしれない。
(おわり)
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