2019年09月18日

「科学の樹」のないこの国の暗愚・続き



「科学が風評に負けてはダメ。自然界レベルの基準を下回り、環境被害がないものは、国全体で処理すべきだ・海洋放出やるべきだ(松井大阪市長)」(2019.9.18 / zakzak by 夕刊フジ)

環境被害がないと科学的に国が確認する限り、風評を以て海洋放出を躊躇ってはならないという認識らしい。

国際原子力機関(IAEA)年次総会(9月16日)で原発処理水を「汚染水(contaminated water)」と韓国の科学技術情報通信省の文美玉(ムンミオク)第1次官が言い換えたが、日本の竹本直一科学技術担当相は猛反発していることからも、風評とは「処理水」をあたかも「汚染水」かの如くに吹聴することなのだろう。「復興に水を差す(竹本科技相)」は「科学的根拠(同氏)」と別の論脈である。「環境への影響(文次官)」を「復興に水を差す」と論幹をすり替えて、被災者に韓国は酷いことを言うものだ、と印象操作をする感まである。

生態系も含めた環境や人体への影響への国際社会の懸念を真摯に受け止め、IAEAなど国際機関による現地調査に積極的に応じるべきである。その上で「復興が可能か」を論じるのが物事の順序というものだろう。チェルノブイリ事故ではこの順序でプリピャチ(事故当時人口:13,414世帯49,360人)の復興を諦めた(無人化した)。「復興に水を差す」論はなかった筈だ。

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その「処理水」の海洋放出に関連して、福島県の富岡会場、郡山会場、そして東京都内の三か所で経産省主催の公聴会(「多核種除去設備等処理水の取扱いに係る説明・公聴会」)が昨年催された(2018年8月30〜31日)。

経産省としては、トリチウム=処理水の前提で、濃度を薄めて海洋に放出すれば安全との説明に終始する筈だったが、多核種除去装置(ALPS)処理水の中に告示濃度を超えるヨウ素129、ストロンチウム90、ルテニウム106が残存していたことを隠し、公聴会の資料では基準を超えていないデータが用いられていることが判り、そもそもの前提が崩れ去った。

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"タンクに貯めている水は、東電は分析をしていなかった。東電が示したのは、ある一時期に多核種除去設備の出口側で採取した水の分析結果だけで、最終的にタンクに溜まっている水の性状はわからない。それでも東電は、タンクの水はほとんどの放射性物質を取り除いていると説明してきた。"
(「トリチウム水と政府は呼ぶけど実際には他の放射性物質が1年で65回も基準超過(木野龍逸)」から)

「トリチウムなどの放射性物質を含む水」でかつその性状が不明なものを「処理水」と呼んでいることになる。「トリチウム」だけを独り歩きさせて、それ以外の核種の存在やその存在を示すデータを隠したりすることが、果たして「科学」なのだろうか?タンクに溜まる「処理水」の分析すらしていない。これが「科学」なのだろうか?

原子力規制委員会の更田委員長は、ALPS処理水は希釈した上で海洋放出をするべきだと主張しており、トリチウム以外の核種が含まれていても告示濃度以下に希釈すれば放出して良いとする姿勢を示している。最初から結論有りきで「科学」も何も必要としない開き直りである。

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東京電力福島第一原子力発電所事故に関して、政府も行政もメディアも「実害」という言葉を使わない。「科学が風評に負けてはダメ。」どころか、この事故の被害の大半は「風評」(根拠のない風説)に拠る被害であって、「風評」という言葉によって「実害」を語ってはならない空気を作り出してきた。

安全だというトリチウム以外の核種を告示濃度を超えて含む「処理水」は未だ「汚染水」であるに変わりはない。トリチウム自体も発がん性など危険性を専門家は指摘する。
(拙稿『そもそも、「トリチウム水」なのか?』、『そもそも、「トリチウム水」なのか?(続き)』)



2018.11.4 トリチウムの話 西尾正道氏(北海道がんセンター名誉院長)

放射性物質に限らず、危険物は危険性から管理しなくてはならない。放射線取扱主任者や危険物取扱者が国家資格であることを考えれば判ることだ。

危険性があってもやむなくその危険性(リスク)を社会全体で許容せざるを得ないのなら、その通り政治家は我々に説くべきである。それを「アンダーコントロール」などと、リスクを隠して安心安全サイドから言うことは不誠実極まりないし、そもそも科学的態度ではないと思う。

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「現実を言うと、全世界の原発はこのトリチウムが入った液体を海に垂れ流しているんです。 日本だけじゃなく、世界各地で。それが原発の仕組み。福島第一原発から海に流したところで、基本的には問題は無いんです。 」(カンニング竹山)

「それが原発の仕組み」と、思考停止(「問題は無いんです」)を社会に広める、そのお先棒を担ぐ芸人が多い。そんなお先棒は「(トリチウムの海洋放出は)緩慢な殺人行為(上掲ビデオ中の西尾正道氏の発言)」を幇助していることになる。

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"この事故にいち早く反応したのがドイツだった。自身理論物理学の博士号を持つ学者宰相アンゲラ・メルケルが<脱原発>を諮問し決断したのは、まさに<哲学>に拠って立つ<科学=Science>の精神(「科学の樹」)からだった。いざとなれば<根=哲学、枝=道徳(社会倫理)>を以て決断できる精神の健全性と言えるだろう。このような大事故を招来しても尚も、わが国は「根なし」を続けるばかりか、更なる果実が原子力なる枝に実ると盲信し、何一つ根拠もないのに「アンダーコントロール」と唱える暗愚な政治が罷り通っている。ドイツのように「科学の樹」が語られることは一切ない。(...)「日本人は科学の成立と本質について誤解している。何か機械のようなもの、すなわち単に成果を上げ、無造作に別の場所に移して仕事させる機械のように考えている。」(エルヴィン・フォン・ベルツ博士)"(拙稿『「科学の樹」のないこの国の暗愚』)

「科学が風評に負けてはダメ。」
何と程度の低い者の発言だろうか、溜息が出るばかり。科学ばかりか哲学もないのだろう。置き場に困るなら海に流してしまえ、福島の沖がダメなら大阪湾でも道頓堀でも結構、と「捨てること・(復興の目障りとなるものを)目の前から消し去ること」なる成果さえあげれば良い、と「無造作」「機械(的)発想」に「科学」を抱かせる愚蒙であろう。その「自然界レベルの基準を下回り、環境被害がないもの」なる前置きも、国が安全だと言えばそれで済むお墨付き程度のことで到底「科学」ではない。「必要だから安全」という神話・信仰が原発には罷り通ってきた。安心安全神話と科学が同列なのも(「ニコニコ笑っていれば放射能の被害は受けません。クヨクヨしていれば受けます(山下俊一長崎大学理事)」)、成果物主義ゆえである。その上に政治家、財界人、学者、マスコミが胡座をかいている。

「トイレのないマンション」と最初から判っていながら原発を受け入れたのも成果物主義ゆえ。「今だけ、金だけ、自分だけ(3だけ主義)」の成果物主義は、その事故への対応も「海にでも捨ててしまえば良い」というおよそ「科学」とは無関係な「無造作」「機械(的)発想」になる。

「科学が風評に負けてはダメ。」と言う政治。その「風評」とは実害を口に出してはならないことと置き換えれば、「政治は実害に負けてはダメ。」と聞こえる。なるほど「アンダーコントロール」な訳だ。実害=不都合な事実(ファクト)を隠したり改ざんすることが当たり前のこの国の為政者には自国民の生命財産よりも別に守りたいものがあるようだ。

「科学の樹」のないこの国の暗愚は続く。「基礎を飛ばして最終成果だけを追ったから、ついに破滅した(佐貫亦男氏)」と二度目、しかし今度こそ後のない敗戦は近いのかもしれない。

(おわり)

追伸:
福島第一原発の事故を巡り、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴された東京電力の旧経営陣3人の裁判で、東京地裁は3人に対して無罪を言い渡した。

当事者責任も無く、巨大津波を予見していたにも関わらず、その確度が低いことを理由に予見可能性自体を否定するなど、司法さえ思考停止する、そんな蒙昧極まりない産業は社会から退場願いたい。原子力発電なる産業自体がもはや社会が許容しきれないリスクを負っていることがこの判決で明らかになったと我々は理解すべきだろう。

たとえ事故を起こさなくとも廃炉・核廃棄物という後始末の仕方さえ解らず、その青天井の費用は将来世代に付け回し「今だけ、金だけ、自分だけ(3だけ主義)」の成果物主義は司法まで毒しているようだ。



posted by ihagee at 18:32| 原発