
”安倍首相は、その後の国際会議でのスピーチで、プーチン大統領らを前にロシアの詩人であり外交官だった人物によるロシア国内で有名な言葉を引用し、次のように述べた。
「『ロシアは頭ではわからない。並の尺度では測れない。何しろいろいろ特別ゆえ。ただ信じる、それがロシアとの付き合い形だ』(会場拍手)。この有名な詩のロシアを日本に置き換えて見てください(会場笑)」
安倍首相はこのように述べ、日本もロシアを信じるから、ロシアも日本のことを信じて両国の協力を進めようと強調した。そして「その先に平和条約締結がある。未来を生きる人々をこれ以上もう待たせてはならない。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と呼びかけた。”
産経新聞報:ロシア極東ウラジオストクで開催された東方経済フォーラム全体会合で演説での安倍首相の言葉(2019年9月5日)
帝政ロシア時代の詩人フョードル・イヴァーノヴィチ・チュッチェフの言葉Фёдор Иванович Тютчев)を借りたようだ。
----
しかしそんな詩人の言葉を打ち消すかに、ロシアの各通信社は以下伝える。
「そのような親切な言葉に加えて、1920年代と1930年代に生まれたような言葉もある。優しい言葉に銃を添えれば、優しい言葉だけよりも多くを得ることができるということだ。(You can get more of what you want with a kind word and a gun than you can with just a kind word.)」(同日の日露首脳会談でプーチン露大統領はマフィアの帝王アル・カポネの言葉を引用した。)
このカポネの言葉の引用について、日本はどのメディアも伝えていない。
----
“不可侵条約があるにもかかわらず独ソ戦が始まり、同様の条約を結ぶ日本国であれば、ソ聯がわが満州国に攻め込まない保証はないのではないでしょうか、などとエトワスに誰かが交わった。途端「お前たちは信念が足らん!」と一喝。黒板に信不及と大書し、授業に代え長々説教を始めた。(中略)講義ノートを書棚から引っ張り出し頁を手繰り信不及を鉛筆で真っ黒に撲った。軍司令部の敷地から連日朦々と立ち昇っていた煙が止み兵営からひとけが失せ程なくして、ラヂオの前に姿勢を正し終戦の聖勅を奉戴するも、日本人はいない。信念が足らぬと信じて残ったのは一旗組だけじゃないか、先生を嘘つきと呼べる自分がいる。”
(小説「おしばな」より)
「信不及」の顛末は「おしばな」に綴った通り。「信不及」とばかりに残った者は棄てられ(私の父や祖父がその体現者)、そう説いた者ほど一目散と逃げた史実に照らせば、「(日本は)信じるのみ」を「信不及」と、「日ソ不可侵条約」を「日露平和条約」と、小説の先生を安倍首相と、置き換えてみたくもなる。
“玄関の戸口を銃座で打ち付ける音が響く。腕に幾つも時計を巻き付け肩から自動小銃をぶら下げ腋に掻い込んだ汗と脂が混ざった饐えた臭いのダワイに囲まれた。”
(小説「おしばな」より)
ロシアの為政者が歴史的に我々に教えてきたのはチュッチェフのような机の上のアフォリズムなどではなく、カポネのような壁を背にしたプラグマティズムである。父も祖父も「(日本は)信じるのみ」に騙され「頭でロシアは分からない」だけが最後にそのロシア(ソ連)によって分からされた。
“触覚をのばすことでしか知り得ないかの如く、叩き、蹴り、破り、壊す。”
(小説「おしばな」より)
----
“皆さんにはぜひ、プーチン大統領と私は、幾度も幾度も、食事をともにしたので、皆さんが言う「塩1プード分、一緒に食べた」仲なんだと、ご理解いただく必要があります。(中略)「信」は、人と人の間で生まれ、人と人をつなぎます。“(安倍首相)
どれだけ会ってどれほど一緒に食事を共にしようと、それが27回に亘る「親切な言葉」の繰り返しでしかなく、その言葉の裏で対米隷属的な姿勢(軍事面)を誇示する安倍首相を前にプーチン大統領はスミス&ウェッソンを抜いてみせたことになる。「頭でロシアは分からない」ことを分からせようとしているのかもしれない。
27回で「塩1プード分」どころか、会うたびに「塩1プード分、食べさせられる」アメリカが日本の本願(誓願)である限りはそうだろう。「私は、幾度も幾度も、食事をともにしたので」と、得意の鮨友関係を披露すればするだけ空しい。平和条約締結が我が使命と逸り、長門の温泉に招き友情を深めようとしたところで、湯に浸かることもなく料理をさして誉めることもなく、そのもてなしに画した安倍首相の功名心をプーチン露大統領は見抜いていたのだと思う。「君は歴史を知らないようだから(教えてやろう)」と、東京に戻ってからの記者会見の席で産経新聞の阿比留記者に向けた苛立ちがそれを如実に表していた。その滔々と語らなくてはならない歴史に長門の温泉旅館は何の関係もなかったわけである。
----
自ら座禅を組むという安倍首相なら、「信」とは自家求心であって、相手にその信を求めることではないという禅の思想が「信不及」であり、その意味での「信」を「(日本は)信じるのみ」なる言葉に重ねて理解していても良さそうなもの。少なくとも「(日本は)信じるのみ」などと発言する限りは。
遡れば、日ソ不可侵条約が破られ北方の島々が奪われ、どんなに裏切られ袖にされようと、胸を開き腹を割ってまでも「信じるのみ」とロシアには接するが、他方、1965年の請求権協定に違反したことを以て、全く信がないと隣国を完膚なきまで叩く。「日韓間の真の問題は信頼(河野外相)」と言うのであれば、不可侵条約を一方破棄し領土まで奪ったロシア(当時のソ連)に対しては「日露間の真の問題は信頼」とさらに強く言わなければならない。しかし、「(日本は)信じるのみ」がロシアへの言葉。この違いは何か?
「信」の意味が安倍首相の頭の中では相手に応じて自家撞着している。「信」ならぬは安倍首相自身なのだろう。プーチン露大統領はそう見ているに違いない。
----
「親切な言葉」の一つでもかけるべき相手はすぐ隣にいる。過去にせよ人権に関わる問題(従軍慰安婦・徴用工など)であれば、国際社会(人類)はただちに共有する。不名誉だからとわれわれが一方的に問題を過少化したり等閑にすることは許されない。国家間でたとえ政治決着していても人権は別(個人の賠償請求権は存在する)。一人であろうとその人にとってはかけがえのない人権。その人権が過去に脅かされたのであれば、脅かした側が赦しを請いその罪を贖うは人として当然(人倫)。数の多寡ではない(小池都知事は関東大震災下で虐殺された朝鮮人の数が正確でないとして、今年も追悼文を送らなかったが、一体何人だったら虐殺でないとでも言いたいのだろうか?)。言われなくとも行う心こそ自家求心の「信」であろう。
「信」を安倍首相がことさらに言うのなら、ゆえに外交の優先順位を誤ってはならないと私は思う。
(おわり)
【政治の最新記事】
- 彼はKreshchatykのいくつかの木..
- Tim Morozovの寡黙
- バビ・ヤール "Babi Yar" の意..
- ゼレンスキーの「盾」は高くつく
- ほぼ全ての戦争がメディアの嘘の結果である..
- ほぼ全ての戦争がメディアの嘘の結果である..
- 二つのウイッシュ・カード
- 事実を要求すること
- 戦争に戦うのであって、戦争で戦うのではな..
- 国連での民族的不寛容非難決議に唯一反対票..
- プーチンの野望はどこにあるのか?
- メディア・バイアスを知ること
- ロシア側から見たウクライナ・ゼレンスキー..
- 緩衝国(中立国)という既定路線
- 現実との折り合い=「緩衝(バッファー)」..
- 同情の度合いは目の色に応じてはならない
- マデレーン・オルブライトの後悔
- 衆議院議員選挙結果への一言
- 左とか右ではない対立軸が鮮明になってきた..
- 「科学の樹」のないこの国の暗愚・続き6