音楽の友社のレコード芸術(レコ芸)を買わなくなって久しい。そもそもレコード(LP)がなくなりそれに代わるCDですら買う時代ではなくなって、音盤の演奏評を扱う同誌から自然と離れていったのだろう。たまに書店の棚に見かけて手に取るがその薄さに驚く。
だからワンダが昨年亡くなっていたことを知らなかった。学生時代、オーディオファイルのレファレンスに彼女やシュタルケルのレコードは秋葉原の高級オーディオ店にあったものだ。松脂が飛び散る音までも聴こえる・・そんな店員の実しやかな言葉に飾られたスタイラスやスピーカに憧れを抱いた。
(ペンデレツキ・Capriccio for violin and orchestra (1967))
ペンデレツキの「Threnody for the Victims of Hiroshima(広島の犠牲者に捧げる哀歌)」の8分37秒については、拙稿「救済と破滅(パウゼとクラスター)」)で触れた。音符の直接話法はネオレアリズモ的な極度な緊迫を聞き手に与える。麗しい歌を奏でるべき愛器(1734年製グァルネリ)にキリキリと悲鳴を上げさせ臨界点を試すかのワンダの演奏にオーディオファイルを重ねていたのは不思議でないとあらためて感じた。

ワンダ・ヴィウコミルスカ(Wanda Wiłkomirska, 1929年1月11日 - 2018年5月1日)
(おわり)