2019年06月20日

厚労省「福祉レジーム」からみた年金問題



厚生労働省「平成24年版厚生労働白書 −社会保障を考える−」の第4章「福祉レジーム」から社会保障・福祉国家を考える、に社会保障の3類型が記載されている。

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1. 自由主義レジーム(市場)
2. 社会主義レジーム(国家)
3. 家族レジーム(家族)

その説明を詳らかに読むと、
1. 自助
2. 公助
3. 共助

の所謂「三助」と各々合致しているように思われる。

自民党の政策綱領では、
「私たち自民党の基本的な考え方は、「自助」を基本として、「共助」「公助」の組み合わせに拠っています。(教育・農業・生活保護・憲法・子育て)」と謳っている。

福祉=国家・公助に本来基本を置くべき、福祉レジームを(経済)市場に委ね、国家は必要最小限の役割しか果たさないことが「自助」であり、アメリカなどアングロ・サクソン諸国の自由主義レジームである。公助を最小限にし代わって労働市場に老若男女問わず参加させることで、公助は困窮層にのみ当てる選別主義、残りは自己責任・格差社会を前提としているようだ。この仕組みでは「所得の再分配」は小さくなる。

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「所得の再分配」とは、社会保障制度などを通じて、高所得者から低所得者へ所得の分配がされること。厚生年金では、現役時代の所得の違いほど年金額の違いは生じない仕組みにより、所得の再分配が機能している(厚生労働省)、とされてきた。しかし、「自助」を基本とする自民党および安倍政権では1. 自由主義レジームを目指しているのは明らかである。そして、「百年安心」の一定の根拠とされてきた「所得の再分配機能」を社会保障制度ではなく、アベノミクスなる投機的な経済政策の水物的なトリクルダウン(富者のお恵み)に委ね、結局、「死ぬまで働け」とばかりに労働市場参加に老人まで駆り立てて(勤労支援)、それが割の良い給付の条件であると言い出しているのである。消費増税についても実質重税になるのは子育て世代・低所得者層であり、法人税を負けてもらっている大企業や、高額所得者の金融所得(株式譲渡益)の低率分離課税で目減りした税の穴埋めに使われるばかりで、社会保障に充てられることはないと言われている。消費増税は社会保障財源とならず、富者の減税分を貧者が埋め合わせる逆トリクルダウン。これでは社会保障制度は存立しない。安倍政権の諸政策が公助を潰しにかかっている。公助を当てにするな、自己責任で市場に(労働)参加し投資せよと言うのが先般の金融庁諮問会議から出された「報告書」の中身である。市場の側からの公的年金のあり方について金融庁に「報告」させておきながら、「自助努力」なる言葉は国民の不評を買う・選挙に不利と官邸の指示で「報告書」はなかったことにした。だからといって「自助」が基本であり、「自助」の比重を高めていくことは寸分も変えないだろう。言葉遣いだけ改めて・・と、実に不誠実な対応を安倍政権は取っている。

我々の頭の中では、公的年金=社会保障制度=公助=国の責任、という図式が未だあるので(北欧諸国の手厚い社会保障制度がイメージとしてある)、それがいつの間にか、勤労=投資=自助=自己責任、と変わったことに不安を覚えるわけである。厚労省(社会保障)ではなく金融庁(投資)から公的年金に関わる報告書が出たことが何よりの証左だろう。

「共助」と「自助」を組み合わせ、などと自民党は政策綱領で述べているが、その「共助」も、自由主義に邁進するあまり、派遣労働法を改悪。その単位となる「家庭」や「家族」を持つことすらできない非正規雇用を増大・常態化させ(これが非婚化・少子化の最大要因)、TPPなど自由主義経済政策によって、社会資本やコミュニティが失われつつある(故郷など拠り所さえ消滅している)現状に於いて、「共助」と言わんばかりに自民党が掲げる「家族主義」(拙稿『<家族主義の美風と大政翼賛>(自民党憲法改正草案第24条第1項)』)はもっぱら「美風」などという精神主義に加担するものであって(「絆」もその意味で精神主義)、実体は家族なき「おひとり様・無縁社会」が拡大深化している。

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ゆえに、「公助」「共助」を自民党が政策綱領として掲げてもお題目に過ぎず、この国の行く末は「自助」で良いというのが安倍政権の本音だろう。嘘や言葉遣いで誤魔化しその実、本音をこっそり進めるのはやめて、はっきり安倍総理は国民に「自助しかない」と白状すべきである。なぜこの国は「公助」の責任を放棄し「共助」も不能な社会にするのかは、総理自身、胸に手を当てて自問すれば良い。国会をサボり意味のない外遊を繰り返し、内政に興味を示さず、自国民の生活に心を砕くことをしていないからだ。<民の竈(かまど)>、<民の炊煙(すいえん)>という言葉すら知らないだろう。庶民のかまどの煙の上がりを心ある為政者は見るというのだ。ゴルフと仲間内の饗宴に明け暮れる為政者の目に煙など見えはしまい。国民の安定した生活の基本を「公助」「共助(精神主義ではなく実体として)」に求めるよう最大努力するのが政治の役目であり政権の義務であろうに。

(おわり)

追記:
「自助」=働くのが好きだからではなく、生活費の為には働かざるを得ない。ゆえの高齢者雇用拡大がこの国の将来の姿。仕事中、死ぬかもしれないと職場で毎朝血圧を測る。




耐用年数を超えても稼働し続けようとする原発が危険極まりないのと同様、肉体的・精神的危険を冒してまでも働かざるを得ない社会を「働き甲斐・人生百年」などと美化・肯定して良いのだろうか?



(「いくつまで働きますか?(自由意志・労働力確保)」であっても、「いくつまで働かざるを得ないですか?(自助努力・公助崩壊)」ではない、がNHKの報道の仕方だが、これこそ肉体的・精神的危険を冒してまでも働かざるを得ない社会を「働き甲斐・人生百年」などと美化・肯定することではないのか?)

こんな消耗戦(インパール作戦)を招いたのも、我々が政治に関心を抱かないからである。このままでは決定的な敗戦(共倒れ)は遠くない将来に訪れるだろう。

posted by ihagee at 19:02| 政治