2019年06月12日

奇譚「黄泉交通」(その5)


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(7)

「眩しいくらいの禿げ茶瓶ですね、お客さん」

「なんせトレードマークだからな。タダの禿げとチャうよ。カネかけて磨いてるんだ。それよか、客乗せたら行き先とっとと聞けよこの薄らバカ!俺が誰だか判ってて、そういう口の利き方するんだぁ、ふぅん。お前、パヨクか?」
「申し訳ありませんが、お客様という以外、あなた様がどなたかなどわたしにとってさほど興味はありませんので。」
「お前なぁ、時の人に少しは興味を持てよ!だからいつまで経ってもこんなつまんない仕事するっきゃないんだよ。それにな、お前、さっきから写真を頂きませんとなどと、ウダウダ抜かすがそんなモンあるわけないだろがぁ。」
「行き先は写真を頂いてからという決まりになっておりまして。いや、ありますよ、その中に。」
運転手はミラー越しに客の膝へ視線を投げた。

「新書のことか?何だ興味があるんじゃないか。」
「乗り込まれる際にカバンから出して表紙にサラサラとサインしているのをお見掛けしましたもので。」
「そうさ、俺はどこでも取り巻きがいるからな。二・三冊は持ち歩くが、好みの女と見ればタダで進呈しているわけ。」
「で、残りは大概、永田町の贔屓筋に買ってもらっているわけですね。税金で。いずれブックオフのワゴンに放り込まれるということでしょうがね。私もささやかなれど、買わせていただいたということになります。」
「一々ケチつけやがって。まぁいい。進呈しろ、ってか。そうか、表紙の写真が欲しいんだろ。だったら、表紙だけくれてやる。お前の納めた微々たる税金分だ。」
「ありがとうございます。それでどこに向かえば良いのでしょうか?」
「写真のところに行けばいいんだよ。この目で確かめて続編を書くんだ。」

アクセルを踏み込みすぐに急停止した。
「ここまでです。その禿頭のせいかお客様は老けて見えますが、私よりも十はお若い。八十五で免許は自主返納ですので、その最後の日まで務めさせていただきました。」
「ここで降りろってか?」
「申し訳ありませんが、ここで降りてこの先をお歩き下さい。三十歩ほど歩かれればもう十分でしょう。わたくしはしばらく待っておりますから。」

やがて男が戻ってきた。
「おい、凄いぞ。あの方は希代の名宰相だったことが証明された。皆、生き生きとしておった。お前のようなパヨクは一人もおらんぞ。百歳超えても社会で現役の年寄りがうじゃうじゃいてな。働いているせいか壮年のように若々しい。あのミンスの暗黒時代と違って、世の中全てバラ色に輝いてな。驚くな!北方領土ばかりか尖閣諸島も日章旗が翻ってな、朝鮮半島は丸ごと日本国領となっておったぞ。過去も将来も所詮我が国に併合される国なんだよ。慰安婦だの徴用工だのほざいていたがこういうことさ。何といっても年金など貰わなくても百まで元気で生きていける、そういう丈夫で豊かな国になっておったよ。俺も両腕に北欧の美女が絡みついて、百歳にしてアッチも現役じゃった。」
男は自慢げに背広のポケットからスマホを取り出し、画面を運転手に見せた。

「自撮りですか?あれ?頭に毛が生えてますよ。それもボサボサに」
「何だこれは!俺じゃないぞ。猿じゃないか!何枚か撮ったんだ。間違って映りこんだんだろう。」
男はスマホを一振りした。
「これもですか?今度はお客様のようですが、外国人みたいに瞳が真っ青ですよ。口紅塗ってどういう趣味ですか?」
「俺は生粋の日本男児!なんでトランスジェンダーなんだよ!撮った際から確認したんだ。こんな筈じゃない!」
「こんな筈って?では、どんな筈なんですか?」
「そんなのこの本に書いてある筈に決まってるじゃないか!」
「表紙だけしか戴けませんので中味は存じませんが。」
「人生百年、百歳社会だよ。」
「その筈を売って今大儲けされているわけですよね。その筈は三十歩先では人工知能がしっかり役目を担って稼いでいたようですね。特異なキャラだけスキャンされて仮想空間を彷徨って。」
「だからと言って、猿や青い目のおカマになる意味がわからん!」
「勝手に修正されてしまうことも、人工知能はちゃんと学習していたわけですよ。歴史修正主義者だとね。その結果をご自身の変態として今、目にしたわけです。残念ながら生身の人間じゃなくてAIの創造した3Dのアイコンですがね。」

スマホに顔を埋めたまま男は息絶えていた。

「こんな筈じゃなかったなどと気付くのは大抵死に際ですから。百年も騙せませんよ。八十五は嘘。七十五で車を止めさせていただきましたからね。それもお客様が突然死される数分手前で。それに、いくら頑張っても七十五までしか運転はできません。では、車をバックして蘇っていただきましょうか。」

「ふぅ〜」スマホから顔を上げ頭をしきりに撫でながら「過去に行け、過去に。山中さんも乗せてな。そこで遺伝子をいじればふさふさになる夢を見た。」
「お客さん。このタクシーはバックできますが、そこで自分を都合よく変えたりはできませんよ。筈だ何だと言って逃げ水を追う振りでもして今儲けるしかないじゃないですか。あの希代の名宰相に倣ってね。」
運転手は男を降ろすと、その日の運行日誌に姓名不詳(享年64歳)と書き込んだ。

「バラ色が見えていたのはあの男が四方で手をつけた女たちだね。人工知能はあの男の筈ばかりか女たちの筈まで学習して見せていたのかもしれんな。慰謝料ってことか。時代を問わず、念の強さは男よりも女の方が勝っているということか。それにしてもあの顔は酷かったが、よほどボサボサにしたかったんだね。毛猿になるとは。スキンヘッドがあっち系とAIに間違われたんだね。北欧の美女が何たらは、あの男の妄念だろう。AIも心優しいところがあるんだね。アイコンタクトだけは許したみたいだ。」

(つづく)

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posted by ihagee at 17:57| 小説