2019年04月21日

ノートルダムは「商売の家」なのか



パリ・シテ島のノートルダム聖堂が火災に遭った。

連日この報道が各メディアでなされている。
聖堂の再建(復旧)を含め文化遺産としての価値や観光資源としての観点からの報道が目につく。
大富豪からの寄付、焼け落ちた尖塔のデザイン公募等々。そして日本政府まで再建に手を貸そうとしている。近々フランスを訪れる安倍総理であれば、聖堂に赴き彼なりの言葉や約束をすることだろう。

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これらの報道、寄付、日本人(日本国)としての関心の寄せ方について、信仰心の薄い私でさえある種の違和感を覚えざるを得ない。カトリックにプロテスタントの教典たる新約聖書のことばを当てるのは適当でないが、以下あえて引用する。

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ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。(聖書箇所:ヨハネによる福音書2章13〜25節)


Cleansing of the Temple

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ノートルダム聖堂の火災で一体何が燃えたのか?何を建て直そうとしているのか、この聖書のことばに書かれている通りだろう。「しるし」にこだわり「商売の家」としか見えない人間の心。「だれからも証ししてもらう必要が(ない)」にもかかわらず、大伽藍の聖堂に「しるし」を求めること。何か間違ってはいないだろうか?

(おわり)

posted by ihagee at 14:57| 日記