弁護士・白神優理子(しらがゆりこ)さんの執筆した「憲法シリーズ@ 緊急事態条項でどうなる?」をネットで目にした。
全国労働組合総連合(全労連)編集部から執筆を委託されたコラム記事のようだが、とても判りやすく「緊急事態条項でどうなる?」のかが書かれているので一読をお勧めしたい。
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自由民主党「日本国憲法改正草案」の第98条に「緊急事態の宣言」第99条「緊急事態の宣言の効果」と題された条文(案)が存在する。所謂「緊急事態条項」である。
大日本帝国憲法第8条第1項に存在していた「緊急勅令」と至極相似している。

(「憲法シリーズ@ 緊急事態条項でどうなる?」から引用)
「勅令」とは帝国議会閉会中に「緊急の必要がある」場合に法律に代わって、勅令=天皇が発する命令のこと。戦前、「緊急勅令」は頻繁に発せられた。

(『勅令第548号』財産税法の施行)
つまり「緊急勅令」を始終必要とした時代があったということ。国家の体制保持(国体護持)が最優先とされ、そのためには人権(個の尊厳)は制限されて然るべきという時代だった。その最終遂行手段は戦争である。
そして、今再び、かつての「緊急勅令」を必要と自民党は考えている。その必要の先にあるものは過去の時代が示す通りである。
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現日本国憲法は国会が国の唯一の立法機関であると定め、法律は国会の議決を経なければ制定することができず、従って、法律に代わって天皇が「命令(勅令)」したり、内閣総理大臣が「宣言を発する」ことは認められない。
自民党憲法改正草案の「緊急事態条項」は、戦前の緊急勅令の主体者(命令する者)を天皇から内閣総理大臣に置き換えるだけでなく、その戦前の緊急勅令よりも格段に権限を主体者に集中させる内容となっている。「その他の法律で定める緊急事態」とすることで、自然災害以外の事態にまで「緊急性」の範囲を広げられるなど、実質、政府に対して広範な権限を付与する全権委任(授権)法的性質を帯びているのが、この自民党憲法改正草案の「緊急事態条項」であると言える。
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「平時の統治機構をもってしては対処できない非常事態において、国家権力が国家の存立を維持するために、立憲的な憲法秩序(人権の保障と権力分立)を一時停止して非常措置をとる権限」(同上コラムから引用)は、明らかに現憲法の第13条で保証されている「個人の尊重(尊厳)、幸福追求権及び公共の福祉」と反することであり、従って、自民党憲法改正草案では第13条の自ずとある「個人の尊重」を否定し、国家との相対関係にあって初めて「人」としての尊重と、国家と国民の関係の大転換を企てようとしている。この辺り、実に周到に「緊急事態条項」と整合を図っている。(拙稿『「個人」か「人」か(憲法第13条)』)
天賦人権賦与説を否定し、憲法に縛られるべきではないと憲法に縛られるべき内閣総理大臣が公言し、法治よりも人治を重んじるこの国にあって、立憲的な憲法秩序の停止こそが国家の権限の最大化、その先には国家の存立のためには個人の犠牲も厭わない専制政体が立ち現れつつある(拙稿『<家族主義の美風と大政翼賛>(自民党憲法改正草案第24条第1項)』)。
政治権力が特定の人物または特定の集団に集中すること、その通り、安倍政権が存在している。
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緊急事態条項の命令の「令」を以て「和衷協同」すべしが、来るべき時代「令和」であってはならない。「一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい」などと元号を以て時まで君主のように私物化し憧れるは「令」を以て「和衷協同」だった過去の時代ならば、それは「令和」と共に時が逆走することに他ならない。
「朕我が臣民は即ち祖宗の忠良なる臣民の子孫なるを回想し、其の朕が意を奉体し、朕が事を奨順し、相与に和衷協同し、益々我が帝国の光栄を中外に宣揚し、祖宗の遺業を永久に鞏固ならしむるの希望を同じくし此負担を分つに堪うることを疑わざるなり」(明治天皇帝国憲法を発布勅語より)
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「わたしが国家」などと象徴天皇に代わって君民一家の主を自認する安倍晋三内閣総理大臣であるから、その在任期間に件の憲法改正を果し「令」を以て「和衷協同」すべしと人権(個の尊厳)を制限してでも護るべき国体を「令和」に重ね見ているのかもしれない。そうならば、もはや天皇在位の元号ではなく専制政治の年号である。
社会生活で「令和」と書かざるを得ない場面では「れいわ」と敢えて書くことにしようと思う。漢字の書けない子が「れいわ」と書くのと同じく書けないことにして。
平仮名にすると押し付けがましくなくむしろ温かみを覚える。私なりに漢字に戻せば「澪和(れいわ」。都市水運の研究をライフワークとされる徳仁親王には「澪(みお)」の方が相応しい。人々の生活が行き交う水路、その標べは澪標(みおつくし)。人々が立てた木標。
(拙稿「常滑・1962年ごろ」から)
そして「身を尽くし」と愛する人を思う心は、小倉百人一首の20番目の和歌に「わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ(元良親王の)」と詠まれている。漢詩の孫引きたる万葉集よりもこの方が良い。
現代語訳:「 (あなたにお逢いできなくて) このように思いわびて暮らしていると、今はもう身を捨てたのと同じことです。いっそのこと、あの難波にあるみおつくしという名前のように、この身を捨ててもお会いしたいと思っています。」と、情が深い。
「人を敬い,また人を愛するということは、非常に大切なことではないかと思います。(徳仁親王)」と、他者を「愛する」ことができるという主体としての私であって欲しいと願いを託して名付けたその子は愛子内親王。(拙稿「愛子と愛国」)。その他者を「愛する」ことができる国・国民と意味を託した元号であって欲しかった。憲法が高らかに謳っている平和主義を以て、内外を問わずすべての人を平等に愛することができる私・日本国であることを願いたい。
ここにあの者が口にする「しきしまの 大和心のをゝしさ」といった「われに愛せ・敬え」と相手を組み伏せる偏狭なナショナリズムの禍々しさは欠片もない。
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情の薄い、そして「…でありたい」などと、主権者たる国民の意を勝手に奉体する不届者にこの「身を尽くし」たくなる人と人の関係などわかるはずもなかろう。
(おわり)
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