2019年04月02日

なぜ元号なのか?



平成の次の元号が決まった。「令和」だそうだ。昭和から平成への改元時は天皇崩御によって国民全てが喪に服したかの重苦しい空気が漂っていた。それに比べ今回は生前退位による次期皇位継承者への譲位と花見の季節が重なって、厳かさの欠片すらないメディアの度外れた狂騒振りに半日もしないうちに辟易となった。

日本において、元号は元号法によってその存在が定義されており、法的根拠があるが、その使用に関しては基本的に各々の自由で、私文書などで使用しなくても罰条などはない(wikipediaより)。しかし、私も含めて殆どの国民はその使用を社会生活で求められている。

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さて、その元号。英語ではera nameと訳する。eraとは「著名な人物または歴史的な事件などで特徴づけられる時代,時期」の意味で、過去を振り返って「あぁあの頃は」と括る時代、時期のことだ。era name の例としては、「古生代(Paleozoic Era / 地質学上の年代区分の一つ)」「南北戦争(Civil War Era / 1861-1865)」「進歩主義時代(Progressive Era / 1890-1920)」「冷戦時代(Cold War Era / 1945-1990年代初め)」「ヴィクトリア朝時代(Victorian Era / 1837-1901)」等々、歴史の教科書に幾らでも記載がある(historical era names)。

たとえば「ヴィクトリア朝時代(1837-1901)」とはヴィクトリア女王の在位期間を表しているが女王の統治自体を表すよりも、その統治期間の大英帝国の政治・外交・軍事・文学・科学・文化・風俗などのエポックを後世「ヴィクトリア朝の〜」と形容し呼んでいる。従って、在位中のエリザベス2世について「エリザベス2世朝時代」などとhistorical era nameになるかは、後世の歴史家に委ねることであろう。このように、eraとは一般に人物や事件によって特徴づけられる過去の時代、時期を表すhistorical erasなのである。

ところが、我が国ではeraは象徴天皇の即位(皇位継承)と同時に始まる(元号法)。この国の行く末を「元号」によって早々と特徴付けようとしている。これはよくよく考えてみればとても奇異なことだ。日本国以外で「元号」を使っている国はない。元号を以て、「夢と希望を持って新しい日本の国を切り開いていくんだ(安倍首相)」などと、国家が予定調和(predetermined harmony)を国民に説く辺りは、国際社会では理解されにくいことだろう。もとよりこの元号発表に合わせた首相談話は皇室の政治利用であり許されることではない。その場でスマップを引き合いにするセンスの安っぽさ・幼稚さには溜息がでる。

「当然そうなるであろう、とみんなが考えるとおりに物事が進む」と、国民相互の議論もなく「当然」とし、「みんな」とは常に「国民総意」である(異論はない)、ことなど人種や民族・宗教が入り組んだ国家が大半を占める国際社会では考えられないからだ。価値観など多様性の意義が唱えられる中、偏狭に逆行した画一性ではないのか?

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「令和」は『万葉集』の巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文(「梅花の歌三十二首并せて序」)を典拠とするそうだ。

この万葉集が著された古代律令期(7世紀〜8世紀)から江戸時代に至るまで、占術と呪術を以て災異を回避する方法を示し、天皇や公家の私的生活に影響を与え朝廷を精神世界から支配し続けてきた一族がいる。この時代の「元号」の改元は天皇が即位する場合以外に、天変地異、疫病の流行が発生しその災いを断ち切る為に、一人の天皇の下で何度も行われてきた(災異改元)。延喜元年(901年)以降この災異改元は恒例化し改元は極めて政治的意味を持つ(宮廷陰陽道化)。その影響力を朝廷で振るったのが安倍晴明(辿れば安倍晋三首相と繋がりがあると言われている)をはじめとする陰陽道を司る陰陽師である(拙稿『「藪の中」考』)。

彼ら陰陽師の使っていた、占術と呪術を以て災異を回避する方法の一つたる六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)は、カレンダーや手帳に記載があるように、今も日常生活で一定の影響力を保っている。「結婚式は大安がよい」「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されることが多い。ちなみに仏教と関係があると思いがちだが、仏教では占いを否定しており無関係だ。

古来から宮廷陰陽道化の手段であった元号と改元は、現代に於いて元号法によってその存在を定義されている。この法制化の運動の中心となったは日本会議だった。

“1977年(昭和52年)日本青年協議会(日青協)が元号法制化運動を本格化し、「地方から中央へ」を合言葉に地方議会議決運動を展開させた。この運動について、日青協の後見役であった村上正邦は後に「何も特別なことではない。左翼から学び、地方決議が目的達成の早道だと徹底したんだ」と述べている。日本会議では、1977年(昭和52年)9月にの元号法制化を求める地方議会決議運動が始まり、46都道府県、1,632市町村で議会決議を達成したとする。日本会議事務総長の椛島有三は、日青協の機関誌において「元号法制化に踏み切る時、私どもは「解釈改憲路線」の選択をしました。これまで占領憲法解体という、直接的な明文改憲しか考えてこなかった私どもにとっては大変な選択で、改憲運動の後退になるのではないかというジレンマがありました」と述懐している”(wikipediaより)

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斯様に元号・改元は意味深である。その起源を辿れば占術・呪術であり、宮廷陰陽道化であり、その法制化には象徴天皇すら政治的に利用しようと「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た(森喜朗首相・当時)」と言って憚らない日本会議が関わっている。元号を負わされる象徴天皇は現憲法を擁護するが、その元号を決める側(日本会議と同会議に所属する国会議員約260名・安倍晋三首相も含む)は改憲を目標と掲げる。
(拙稿『安倍晋三首相・座右の銘「至誠」が意味するもの』)

「夢と希望を持って新しい日本の国を切り開いていくんだ(安倍首相)」という意味が「令和」に込められているそうだが、外電では「令和=command/order & peace/harmony」と一義的に意味解釈が施されている。特に「令」をcommand/orderと解釈している辺り、その漢字の語源を知っているからだろう。すなわち、「令」という字は会意として「人がひざまずいて神意を聞く事を意味し」、そこから「命ずる・いいつける」を意味するようになった。


(漢字・緩和辞典-OK辞典より)

「神の国」が元号法制化の運動の中心であった日本会議であれば、「令」という字は会意として「人がひざまずいて神意を聞く事を意味し」と正しく説明すべきだろう。

いずれにせよ、万葉の歌人が「令月」で表わした「令=めでたさhappy/auspicious」は会意から派生していないが、これは「国書」を典拠としているとの言い訳なのだろう。私自身、そんな別意があるとは恥ずかしながら初めて知ったが、何とも後付っぽい。そこまでナショナリズムを強調したければいっそ平仮名にすべきであろうにと思う。漢字である限り、「令」については「命ずる・いいつける」という会意から離れることはできないだろう。だからか、上位下達・上から目線的意味が頭にこびりついていて、「令和」なる元号はどこか冷たく蒼白い不気味さを覚える。

とにかく「令和」と決まった。その元号に、法を縛り支配しようとする者たちの願いが込められていないか、一番心配しているのは、次の天皇ご自身かもしれない。きっと心の中では「法令和」と呟いていることだろう。人ではなく法に遵うことを願っているに違いない。

(おわり)

posted by ihagee at 17:57| 憲法