2019年02月13日

悪夢のような



安倍自民党総裁は、10日の自民党大会の総裁演説で「悪夢のような民主党政権」と表現。

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夜毎、彼は「悪夢」を見るそうだ。心的外傷(トラウマ)に罹っていることがわかった。お気の毒である。その限りに於いて発言を撤回する必要もないだろう。言論の自由云々ではなく心の病気である。適切な医療措置を受けたら宜しい。

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政治をあたかも一家相伝の稼業とする世襲議員の巣窟たる現政権は「手慣れた政治」を自慢したいのだろう。官僚を思うままに操り、あらゆる手練手管を用い人心を思うがままに操縦する。首相・閣僚の醜聞、官僚・行政の不正が蔓延り「不徳の致すところ」とは口ばかりでその「不徳」はなぜか不問となる予定調和は実に手慣れている。旧民主党政権であればたちまち政権がひっくり返ることだろう。

しかし、その手慣れぶりは「徳なき恐怖」(ロベスピエール)でもある。「徳なき恐怖」は大概が恐怖政治になって「決められる政治(安倍首相)」となる。「恐怖なき徳」(ロベスピエール)の旧民主党政権の政治は「徳」があっても「無力=決められない政治」だったのかもしれない。その「無力」ぶりを安倍政権は嘲笑うが。

嘲笑う、つまり、政治に「徳」などなくても良い、と最初から開き直れば決められないことなど一つとしてなくこれほど強い政治はない。その強さを頼もしいとする国民もいるだろう。

「利得(ゲイン)」を最大化することを、現政権は進めている。ゲイン(出力にかける増幅度)を大きくすることによる不安定性を意図し、すなわち、結果を期待してその原因を創出する、は悲しいかな古来から我々日本人が受け継いできた性(さが)である。発想の原点が自己にないこと、ゲインの増幅の程度を国民一人一人が認識・判断できず、他者(為政者・集団意識・他国)にその度合いを渡してしまう。換言すれば、長い物に巻かれ・付和雷同・ムラ社会を我々は受け入れてしまう。そして、大股で踏み出して、いっせいに顛倒する、を歴史的に繰り返してきた。過去の成功体験に捕らわれたままの世代、ピクトグラム(印象操作)にばかり反応する社会、個に立ち帰れない人々ほど(私よりも、漠然とした日本人・日本国観におのれの存在を投影・等価しようとする)、現政権を頼もしいと思うことだろう。

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一人一人の意識の問題に立ち返るよりも、誰かに事務的・機械的に仕分けしてもらった方が楽だという社会は、とかく強い政治・オートマティックモードのシステムに憧れる(拙稿『<意識なきシステム>で「世界一」となる国』)。長い物に巻かれて・右を向けと言われれば全員が右を向き、小説の世界を仮想であっても置き換えたりすると、我々日本人は「いっせいに(現実に)傾斜」する(拙稿『「いっせいに傾斜」する・われわれ』)。

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その悲しい性(さが)からは個々の意識の覚醒が必要なマニュアルモードの民主主義など生まれる筈がない。

旧民主党政権は稚拙ながらもその性(さが)から抜け出ようとした。それを「悪夢」と言うのであれば何をか言わんや。そういうことである。

この悲しい性(さが)にまたどんどん我々を引き込んで、大股で踏み出して、いっせいに顛倒する、ことを繰り返そうというわけだ。

経済も政治も安倍流に大ゲインを加えて、鉄火場・賭け事と化している。異次元金融緩和・日銀によるETF買い・年金基金を株式市場に約60兆円つぎ込むGPIF・巨額箱物たるオリンピックに万博・国家戦略たるカジノと原発・一か八かの北方領土交渉等々、どれもが失敗すれば大リスクとなる。今さえ自分さえ良ければの動機なら、おそらく、近い将来、いっせいに顛倒することになるだろう。悪夢はその時現実となる。多くの国民にとって。

顛倒してもそれが「ゲイン」というコインの表裏であり、戦争(武力紛争)なる表面が(敗戦を経て)経済成長という裏面となることを、期待しているのは国民の数パーセントの上澄み階層だろう(安倍首相の尊敬して止まない祖父はこのコインの表裏を狡猾に生き延びた)。しかし残りのほとんどの国民にとっては不幸でしかない。その大多数の不幸をこの先進んで甘受しようというのだから、心的外傷(トラウマ)に罹っているのは我々国民なのかもしれない。「悪夢」を安倍総裁(首相)と旧民主党政権に一緒に見るようでは。本当の「悪夢」の只中に今あるというのに。(拙稿「<綴るという行為>」、『佐貫亦男氏「発想のモザイク」から』、『「いっせいに傾斜」する・われわれ』)

(おわり)

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posted by ihagee at 03:30| 政治