2019年02月11日

口を借りる、薄弱



日本は世界に冠たる災害大国である。地震・火山・台風・洪水等々。

安倍首相は1日夜(2018年11月1日)、東京都内で開かれた自衛隊記念日のレセプションであいさつし、災害救助活動や海外任務に取り組む自衛隊の存在意義を強調した。「国民の9割が自衛隊に良い印象を持っている。信頼は揺るがない」と述べた。

「国民の9割が自衛隊に良い印象を持っている。信頼は揺るがない」もその実は災害援助やインフラ復旧という「従たる任務」に対する国民の信頼である。海外派遣先における紛争地の住民の為に井戸を掘るなど人道上の任務もそうだろう。これら任務を否定する者はいない。

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安倍首相は「国民の9割が自衛隊に良い印象を持っている。信頼は揺るがない」と言いながら、「子どもから『お父さん、憲法違反なの?』と言われ、悲しい思いをしている(昨年の自民総裁選での安倍総裁の演説)」と別の口で言う。その「お父さん」の任務が何かは知らないが、子どもが憲法上の疑問を呈すること自体が話として不自然。そんな開明な子どもがいたら、安倍首相はその子どもに憲法違反たることを説明させたら良い。

「憲法違反だから、災害援助に来るな!」という人を私は知らない。そう断った自治体もない。子どもの思いという極めて薄弱な根拠を持ち出し、信頼があっても現憲法下では「正当性がない」と言う。

「従たる任務」に対する国民の信頼において「正当性」など誰も問題にしていない。もし問題にするとすれば「軍隊」として活動することについての憲法上の正当性である。

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「都道府県の6割以上が新規隊員募集への協力を拒否している悲しい実態」を持ち出した(2019年2月10日 / 自民党大会・総裁演説)「この状況を変えよう。違憲論争に終止符を打とう」と括る。

「憲法違反なので協力しないと言っている自治体を私は知らない」と石破茂元防衛相が反論。その通りで、「悲しい実態」は上述の子どもの「悲しい思い」と共に憲法改正の薄弱な根拠である。「悲しいか」否かは違憲論争と関係ない。

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子どもの口を借りたり、自治体のありもしない実態を創作し、さも、自衛隊が国民から「正当性」を疑われ恥ずかしい存在であるかに印象操作する、その同じ口が「国民の9割が自衛隊に良い印象を持っている。信頼は揺るがない」と言う。「国民からの信頼」と「憲法上の正当性」は話の次元も脈絡も違う。

もし「正当性」を国民に問うのであれば、いかに困難であろうと緻密な説明を国民に対して行われればならない。自衛隊の主任務たる武力による有事対応・日米安全保障を担う為の「軍隊」としての位置付け・軍としての名誉と正当性の担保・軍隊を取り巻く政治体制や政治文化の革新の必要性(政軍関係の定義)・有事の際の緊急事態条項の必要性等々。どれ一つとっても、子どもの口を借りて済むような生半可な話ではない。軍隊と徴兵制が必要ならば正直にそう国民に言うべきである。誰のために何のために誰に対して、考えがあるなら忌憚なく言ってこそ責任政党だろう。

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薄弱な根拠の上に印象操作を重ね有耶無耶と憲法改正を目指すのは国民に対する卑怯である。改憲の必要性を国民に訴えるのであればまずは安倍首相(総裁)自身の頭の中で論拠を整理し自らの口を以って国民との間の対話や議論を尽くさなければならない。子どもが言うから、自治体が断るから、とか、隣家の火事なるポンチ絵的な説明で済むと思っているのならそれこそ国民を見下すことでもある。



世界に冠たる災害大国である。現実の敵は中国でもISでもない。国民の生命財産を根こそぎ毀損する地震・台風・洪水、原発(人災)こそ現実の脅威であろう。その実を正しく汲むのであれば憲法に名のない<自衛隊>は<災害救助隊>と改名するが現実主義である。

現実の脅威よりも遥かに国民の生命財産を脅かすことがあるのなら、自民党は具体的に国民に訴えれば良いのである。仮想敵が中国ならばそう言えば良い。戦争が国際紛争解決の最終手段であると肯定するのならそう言えば良い。平和主義は欺瞞であると断定するのであればそう言えば良い。戦死者の遺言を破り捨てたければそうすれば良い(「憲法は戦死者の遺言(俳優 鈴木瑞穂氏)」)。沖縄は本土の防人だとしたければそう言えば良い(「沖縄の人々は本土の<防人>なのか?」)

素直に洗いざらいぶちまけなさい。我々もバカではない。しっかり考えさせてもらう。

だから、口を借りる、薄弱は止めるべきだ。

(おわり)


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posted by ihagee at 12:47| 憲法