2019年02月07日

呪的逃走譚



昔々ある村に、寺があった。そこに、小僧と和尚が住んでいた。ある日、小僧が山へ栗拾いに行きたいと駄々をこねた。和尚は仕方なく三枚の護摩札を出すと小僧に持たせた。山で小僧は山姥に捕らわれた。和尚に言われた通り、札を投げると札は小僧に化身し山姥の目を眩ませその隙に小僧は逃げるがまた山姥が追いつく、そこで二枚目の札を投げると大きな砂山が現れ、山姥の前に立ち塞がった。山姥はそれも乗り越え追っかける。三枚目を投げると大きな川が現れ、山姥は流されるがそれでも追って来た。寺に逃げ帰った小僧は和尚に助けを求め、真面目に修行に励むことを条件に壺に入れてもらった。和尚は囲炉裏で餅を焼き始める。やがて山姥が寺に入って来て「小僧を出せ」と迫る。和尚が「その前にわしと術比べをしよう。山ほどに大きくなれるか」と言うと、山姥は「ああ、出来るとも」と言って、ぐんぐんと大きくなった。和尚が「豆になれるか」と言うと、山姥は「ああ、出来るとも」と言って豆になった。豆になった山姥を和尚は焼けた餅に挟んで食べてしまった。

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この手の話を呪的逃走譚という。ものを投げて逃げる。投げたものがいろいろに変化し追っ手の追跡を妨げる。上述の話ではもの=護摩札ということである。森羅万象に命や神霊が宿るとしてその霊力、験力を宿らせた護符が護摩札である。誰が追いかけようと、この札があれば追っ手の追跡から免れる。

節分の豆は鬼にぶつけるのでなく撒いて鬼に数えさせ気を逸らさせ邪力も殺ぐとのこと。だからこれも一種の呪的逃走譚と言えるかもしれない。

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『安倍晋三首相は6日の参院予算委員会で、「毎月勤労統計」の不正調査をめぐる特別監察委員会の報告書を読んだかと問われ、「読んでいない」と明かした。概要は秘書官から報告を受けたという。国民民主党の足立信也氏の質問に答えた。足立氏が「テレビの前の方はガクッときたと思う。大事なことなのに残念」と返すと、首相は「総理なので森羅万象すべて担当している」と説明。「さまざまな報告書があり、すべて精読する時間はとてもない。世界中で起こっている(ことに関する)電報などもある」とし、自身の多忙ぶりに理解を求めた。これに対し、足立氏は「気持ちは忖度(そんたく)いたします」と皮肉った。(板橋洋佳)』(朝日新聞 DIGITAL 2019年2月6日報)




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「森羅万象すべてを担当」するからには、その霊力・験力を宿らせた護摩札を持っているのだろう。それも三枚どころではなく無数に。そしてその奥方様は『「日本を取り戻すことは「大麻を取り戻す」ことだと思っています』と言う。植物の大麻は日本の神事と深い関係にあり、神宮大麻(じんぐうたいま)を指している。戦前、「敬神崇祖の至誠」こそ国民性の本源とみなす精神主義の徹底にこの神宮大麻は用いられた。(拙稿『安倍晋三首相・座右の銘「至誠」が意味するもの』「我々に再び、踏絵を踏まさせるのか(教育勅語について)」)奥方様もこの強力なお札で我々の内心の自由に土足で上がり込もうとしているようだ。

総理なので森羅万象すべて担当している」、いやはや恐れ入った。呪的逃走に長けていることは実証済みである。どおりで、野党の追求にも余裕綽々と野党質問者(=国民の代表)に指差し侮辱するかにニヤついているわけである。マスコミに豆を撒かせ衆人の耳目を政治から逸らせ政治に無関心にさせる。『経済成長感じない人は「よほど運がない」』と口が曲がった人も一緒に笑っている(運・不運でかたづけるなら神仏の世界)。




投げては逃げ・投げては逃げ、神道の神札と共に自らを奉り上げ、この自称・森羅万象担当相、最後は我々を焼いた餅に挟んで食べてしまうかもしれない。この政権の呪的(カルト)力には恐れ入った。陰陽道・安倍晴明の末裔との噂は本当かもしれぬ。はてさて、我々は何としようか!

(おわり)

posted by ihagee at 03:11| 政治