Gabrielle Rayについては本ブログで7回に分けてその生涯を綴った(「ガブリエル・レイ(Gabrielle Ray)- その1(ポストカードの女性)」〜「ガブリエル・レイ(Gabrielle Ray)- その7(ポストカード)」。
(1908年 The Merry Widow)
エドワード朝期、英連邦一の美貌を以って当時世界で最も多く写真に撮られた女性、写真映えの為に世界で最初に美容整形(鼻梁)をした女性、ロンドンGaiety劇場の舞台女優としての華々しい活躍、不遇な結婚、酒に溺れ精神を病み、1936年から死ぬまで(1973年)の約40年間を精神病院で過ごした。
彼女が収用された精神病院はヴァージニア・ウォーター、サリーのホロウェイ・サナトリアム(Holloway Sanatorium)である。

トーマス・ホロウェイ(Thomas Holloway)という実業家が自身特許を取得し販売した薬剤で得た利益を慈善に役立てようとこの病院を設立した。かつて国王ジョージ3世はその治世の終りに精神疾患に悩まされたが、その時代から精神疾患について科学的且つ人道的措置を求める世論はあったようだ。他方、1890年に制定された「精神異常法(Lunacy Act, 1890)」は、矯正すべき異常として精神疾患を扱い、精神病院に閉じ込め、矯正措置による物理的治療で行動を規律化するといった非人道的措置が講じられてきた。その措置で多くの患者が命を落としたとされる。
1873年に設立されたホロウェイ・サナトリアムもこの例外ではなく、設立してしばらくは患者を地域社会から離れた施設に収容しその行動を規律する措置が採られていたが、やがて、地域社会の中でケアを行う施策に転換していったようである。
広大な敷地に全天候型のテニスコートやスパ、ジムを配し、フランコ・ゴシック様式の壮麗なエントランスホールにチャペルはおよそ精神病院とは思えないファシリティを備え、ただし、この空間を自由に彷徨するのは健常者ではなく精神を病んだ人々であった。

Gabrielle Rayはこの施設から出られなかっただけで、決して「白い壁に囲まれて」寂しく死んだのではないのかもしれない。その死から5年後、映画館のステージから上がった炎は折からの強風によって幾つかの主要な施設に燃え移り、この火災が元で1980年に施設は閉鎖された。その後は歴史的建造物として、映画やテレビ、ミュージックビデオの舞台としても利用されているようだ。
ホロウェイ・サナトリアムの歴史と共に最も多くの時間をこの内で過ごし、且つ最も名の知れた女性はGabrielle Rayだったとも言える。
ホロウェイ・サナトリアムの閉鎖と共に残された過去の入院患者の膨大なカルテ(日々の行動の記録・写真)については学術資料として古い年代から順番に電子図書化が図られているようだ。

(ホロウェイ・サナトリアムのある患者のカルテ)
ちなみに、Gabrielle Rayの異母兄弟にGladys Rayがいる。Rays sisterとして一時期同じ舞台を踏んだ女優で容姿も大変似ていたが、彼女も名士と結婚後、精神を病み収容先の精神病院で死んだ(1920年)。

(左:Gabrielle Ray, 右:Gladys Ray)
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eBay UKでGabrielle Rayのポストカードを何枚か購入した(当時のオリジナル / 本記事で掲載のもの)。彼女はポストカードの中にいた。ダンスとパントマイムの喜劇役者。カルテに記録された悲劇は公にしてもらいたくないと思う。
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Gabrielle Rayを含むGaiety劇場の舞台女優たちは、Gaiety Girlと呼ばれていた。彼女たちの活躍を中心に劇場の変遷を綴ったGaiety Theatre of Enchantment (1949年刊)という本を入手した。いずれ、この続きをそれら女優を何人かをフィーチャーして紹介してみたい。
(おわり)