2019年02月02日

「〜しようではありませんか」考



通常国会が始まった。施政方針演説で安倍首相は相変わらずの原稿棒読みである。原稿から顔を上げると決まって「〜しようではありませんか」と言う。

この締め言葉、私も以前から気になっていたがTwitterのDナイフさんがその部分だけを編集し動画にまとめたのを観た(2分動画)。

「〜しようではありませんか」は、考えてみれば特殊な言い回しである。私は人前で使ったことがない。何か行動を提案し誘うのなら「〜しませんか」と言うだろう。

----

かう云つて書生は、群集を麾まねきながら、
「諸君、憲政の擁護の為にあの交番を破壊しようではありませんか。」と絶叫した。(芥川龍之介 饒舌より)

「群衆を麾まねき」、そうこんな調子である。

「麾(さし)まねく」と芥川はその場面をたった一つの漢字で的確に表現した。この「麾」という漢字の第一義は「指図する。また、軍勢の指揮をとる旗。指図旗。」だそうだ。

----

つまり、「〜しようではありませんか」を好んで使う人の性状には、どこか嵩にかかって相手を隷従させようとする尊大さがあるのだろう。だから、われわれの普段使いな言葉ではない。そして、この言葉を国会の演説で使うということは、父権的で、有無も言わせぬ声高さで国民に対していることに他ならない。野党の代表も時折、国会の場でこの言い方をするが(立憲民主党の枝野代表など)、褒められたことではない。

なぜ「〜したいと私は思います」と畳のへりを踏まないような言い方ができないのか?

施政方針演説であれば政府の考えを客観的に述べ報告するだけにし「〜しようではありませんか」などと国民に指図しないことだ。国民は国家から「ああしろこうしろ」と指図される存在ではない。その逆であり、自ら思考し判断し国家に働きかける、それが民主主義であれば、まだ議論もしていないのに早々と民の領域にまで「指図旗」をグサグサと突き立てる物言いは余計であり無礼でもある。

「私が先頭に立って」も安倍首相の口癖だが、やはり「指図旗」思考なのだろう。そう言いながらいざとなると、後方に隠れている。

----

「国家が先に来て、国民が後に来る」を理想の国家観と考えているからこそ、その前時代的国家観を象徴する「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける(明治天皇の御製)」で始まり、「〜しようではありませんか」と括って、国民に悉く指図するのであろう。結果、憲法に縛られるべき者が、これらの言葉を以って憲法を見下し国民を見下す。

だから「〜しようではありませんか」を安倍首相の単なる口癖だと思わない方が良い。癖になる程、口に衝く通り、最初から結論ありき、まともな議論も国民への説明などなくて良いからこそ「〜しようではありませんか」に与党議員はまるで国民の総意を得て決まったかの如くに歓呼し歓声を上げるのであろう。議会制民主主義も蹴っ飛ばして、議場でムラ社会の縮図のような予定調和的芝居を互いに繰り広げるわけだ。

----

「〜しようではありませんか」は政治ばかりでなく、カルト宗教やマルチ商法で不特定多数を麾まねく常套句でもある。手を握られただけで麾まねかれてしまう人々ほど、その道に巻き込まれる。が、「〜しようではありませんか」に餌を与えているのも同じ人々である。


(コントレオナルド「風見鶏」)

法や良心に踏みとどまるべきところを突破する「指図旗」をこれ以上掲げさせてはならないと私は思う。この国の政治の民度が問われている。問うべきは政治家ではなく、その政治家を国政に送り込んだ我々国民自身の民度である。


(国民自身の民度が問われることだ)

(おわり)

追記:
「(データ不正は)官僚が勝手にやったこと、私は一切関係ない」という言い逃れは、欧米では驚きを以って受け取られている。なぜなら、政治は嘘をつくが(政治家は嘘をつく職業だ)、行政が嘘をつけば(官僚は法に従うから嘘をつく筈がない)国家として体を為さない=無法国家、というのが欧米の国家観だからだ。ところが、その行政府の長である安倍首相は「日本の官僚は嘘を付く・勝手に判断し法を侵す」と恥じることもなく国際社会に喧伝しているのである。責任を専ら行政に押し付けることで自らには責任がないかに振る舞う。結果、日本国の国際的信用を貶めて、どこが「美しい国」なのだろうか?安倍首相が真の愛国者であれば、少なくとも政治家が行政府の罪を被ってまでも国家の信用を守るだろう。「〜しようではありませんかと、私が行政に指図したも同然です」と正直に言うべきだろう

安倍首相が恋い焦がれる明治の世に、日本政府に代わって命を以って謝罪し国家の失いかかった信用を挽回しようとした市井の女性がいた(畠山勇子)。「当時の日本はまだ極東の弱小国であり、この事件を口実に大国ロシアに宣戦布告でもされたら国家滅亡さえ危ぶまれる、彼女はそう判断したのである。(wikipedia)」。安倍首相は行政府の長であろう。なぜ、その身を以って謝罪しないのか?市井の人にも悖る国家観ではあるまいか。

「魚は頭から腐る」の喩え、組織をどんなに見直そうと、頭を残してはこれからも腐り続ける。
posted by ihagee at 08:08| 政治