2019年01月16日

やってる感




80過ぎの義理の母:「あべさん、世界中かけずりまわってよくやってる。立派な人!」
「それで何やってると思う?」
「何をやってるかなんてケチつけて人の足を引っ張るもんじゃないわよ。何事も頑張ることが大切。貶しちゃだめ!それに総理大臣なのよ国民なら敬意を払わなくちゃだめでしょ」とくる。

「やってる感」。社会人になるとこの素振を知る。「ボク頑張ってます」と周囲に自己アピールし、頑張っている人を貶してはならない、という不文律の空気みたいなものがある。「君、何をそんなに忙しそうにしてるのか?」などと空気を読まない言い方を仲間がすれば嫌味に取られる。そんな空気である。

社会人になりたての頃、机の上いっぱいに任された仕事の書類を積み上げたら、上司に「今日、片付く仕事の分以外は引き出しに入れろよ!そうやって、大変そうな振りをするのは良くない」と言われた。

今思い返してもかなりきつい忠言だったが、その通りだろう。その上司は現場のTQCの班長ゆえに、机上整理の観点でこう言ってくれたのだと思う。

「こんなに一生懸命やってるんだ!」と周囲に見せつける気持ちがある。「頑張り屋だね。仕事熱心で結構」と上司に褒められたい気持ちもあったに違いない。なんとも子供っぽい願望であるが、まだ実力の伴わない若い内は、このやってる感は仕事への熱意として評価される。逆にサラッと仕事を片して定時にタイムカードを押して「お先〜」と全くやってる感を見せない奴は、熱意がないとか協調性がないと、評価は低い。しかし、そういう奴に限って机の上に書類を無用に積み上げたりしない。アフターファイブも心得たものだから女子社員の歓心を買うのはこういうスマートな奴だった。

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安倍総理自身「やってる感が大事だ」と意識して行動しているという。自己満足ではなく、明らかに「(結果はともあれ)やってる感」を評価してくれる私の義理の母のような国民を意識しているのである。冷静に考えればかなり子供っぽい。これが還暦も過ぎた男の言葉なのだろうか?同じ年代の男がこんなこと仕事場で口にしたらすぐに首である。「やってる感」がサラリーマンの処世術といっても、それは実力が未だ伴っていない若い時分だけ。キャリアを積めばそんな演技をしなくてもそれなりに成果が出るもの。出せなければ肩を叩かれリストラである。

いずれにせよ、安倍という人は子供の頃から承認欲求が強かったのだろう。常に周りから褒められたい。そして名家のサラブレッドであるから、結果を出さずとも周囲から咎められることもなく、ただひたすら褒めそやされ今に至った。承認欲求は忖度として取り巻きがしっかり満たしてくれた。大久保彦左衛門のように何かと口厳しく意見する人もいない。そして、『成果を問うのでなく「やってる感」を評価するこの国の文化』にあって、その通り、多くの国民は「あべさん、世界中かけずりまわってよくやってる。立派な人!」と評価し、自民党に一票となるのだろう。全くもって幸せな人である。

「やってる感」は結果と伴わなくても良い。ただひたすら「やってる感」を次々と繰り出せば良い。安倍総理の地球儀を俯瞰する外交もそうだろう。外務次官クラスの用事であっても出かける。出かけるだけの費用効果の事前事後の国民への説明もない。あまたスローガンの矢を飛ばしアドバルーンを上げて、これも「やってる感」を創出してきたが、何をやったのか?は問われたくないので、さらに新味なアドバルーンやら目くらまし(韓国バッシングなど)で目をそらさせる。だから、それらの結果を総括したこともない。

拉致問題もある意味「やってる感が大事だ」なのであろう。本当に解決しようと思ったら明日にでも平壌に政府専用機で向かえば良い。高射砲であえなく墜とされるかもしれないが「身命をかけて」と言うのならそれが一か八かの解決の近道であろう。しかし、解決せずとも「やってる感」があれば幸いなるかな国民はその姿勢を評価する。拉致被害者が全員生きて帰ってくることを目標にするのであれば、半永久に解決しないがその間十分に「やってる感」を示し翻って国民の支持をもっぱら引きつけることができる。

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講道館で柔道の模範演武を見た後、プーチン大統領が安倍首相に「一緒に畳に上がりましょう」と促す場面があった。安倍首相は苦笑しながらやんわりと断った・・(2016年11月16日)

山口(長門)での故郷に錦なる「やってる感」に付き合わされて散々な気持ちがあったのだろう。この男の日本国民向けの「やってる感」にこれ以上付き合えないという気持ちが「一緒に畳に上がりましょう」との言葉になったのだと思う。地縁血縁コネもなく実力一つでKGBから最高実力者にのし上がった男にとって、子供じみた承認欲求の「やってる感」など到底理解のしようもない。下手も上手と互いに「ナイス〜」などと褒め合う接待ゴルフなど内心馬鹿にしているに違いない。「一緒に畳に上がりましょう」と肝を試したのである。

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そして「やってる感はもういい」は、東方経済フォーラム全体会合後の会見での「提案」となった。

討論の場でいきなりプーチン大統領は「今、思いついた」「あらゆる前提条件をつけず、年末までに平和条約を結ぼう」「争いのある問題はそのあとで、条約をふまえて解決しようじゃないか」と突然の提案を行った。しかも「ジョークではない」とわざわざ断りを入れて、真剣な提案であるということを付け加えた。余りにも突然のことであったため、安倍首相はその場で間髪入れずに反応することが出来なかった(2018年9月10日・東方経済フォーラム全体会合後の会見)

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平和条約締結交渉。「一緒に畳に上がりましょう」とまたもプーチン。

しかし、いつもの調子で北方領土問題にも「やってる感」を持ち込んだ。解決せずともロシアが悪いと言えば済む。交渉の席を立てば良い。それまで「やってる感」を振り撒けば国民はその姿勢を評価すると。しかし、相手が悪かった。組手の練習程度に手合いしてくれるかと思ったら、「畳に上がれ!真剣勝負だ」となった。「勝負する気があるのか!」と迫られ「やってる感が大事だ」などと国内向けのポーズは相手には通用しない。いきなり交渉の席を立つことすらできない羽交い締めにあった。これでは「やってる感」で国民の歓心を引きつけておくこともできない。

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真剣でなければ真剣になれない。リアリティに脚本は要らないアドリブだ、と撮影が始まった。立ち回りの場面において、俳優の奥村雄大(勝新太郎の息子)が斬られ役の俳優に誤って重傷を負わせた。その後、俳優が死亡した。奥村は撮影現場関係者らと共に広島県警から業務上過失致死罪の疑いで事情聴取を受け、奥村の使用した日本刀が撮影用の模擬刀等ではなく真剣であり、それが首を斬りつけていたことが判明した。・・勝新太郎の主演の映画「座頭市(1989年制作)」

「真剣」ならまさに真剣だが、命を落とす。「やってる感」ではなく「やる」はもはや芝居ではない。

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『成果を問うのでなく「やってる感」を評価する(わが国の)文化を変えない限り、長時間労働は無くならないことだ。それでは、アベノミクスの最新版スローガン「働き方改革」が本当に実現することもない。』(東京新聞・2017年2月9日夕刊、「紙つぶて」から)

日本の労働生産性が諸外国に比較して格段に低い理由は、この「やってる感」文化なのだろう。働き方改革の旗を先頭になって振るその当人が、「やってる感が大事だ」だと宣うのであれば何をか言わんや。この人の労働生産性から改めなければ始まらない。

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露払いは終わり1月22日は首脳同士の話し合いとなる。英蘭首脳とは官僚が事前に作成したカンペをなぞって「やってる感」を振り撒けた。カンペの利かない現地の記者からの質問にも頓珍漢ながらも何とかその場をやり過ごせた。脚本は要らないアドリブだ、とプーチンは手元に目を落とすことすら許さないかもしれない。会談後の記者会見で現地メディアからどんな質問が飛び出すかもわからない。

思い出した、以前、手元の資料を見ながら質問をしようとした日本の記者に、プーチンが苛立ったことを。その苛立ちはその横で同様にカンペに目を落としていた安倍総理に向けられていた(2013年4月28日の共同記者会見)。何一つアンチョコを必要としないプーチンにしてみれば、全くリアリティのない相手に苛立ったのだろう。

(おわり)

posted by ihagee at 03:33| 政治