2019年01月13日

清玄桜姫・飛び降り考



歌舞伎の演目で「清玄桜姫」というのがあった。戦前は同演目の興行があったようだが、今は演じられることがないそうだ。この桜姫が唐傘を広げ清水寺の舞台から飛び降りる演出があったそうだが、この演出を真似て傘を広げて清水の舞台から飛び降りる人もいた(清水寺の史料『成就院日記』ではこの清姫に真似て飛び降りた(飛落)女性の記述がある)。自殺ではなく、満願成就を願い観音様に命を預ける思いであれば、きっと命は助かり願いが叶うという信仰である。いわゆる「清水の舞台から飛び降りる」の格言の意味ともなっている。



(出典:慶應義塾大学三田メディアセンター)

「清水の舞台から飛び降り」ては助からないだろう。私も何度かこの京・清水の舞台の袖に立って下を覗いたが、この格言の通りにしたところで、願いが叶う以前に命はないとしか思い得なかった。ところが、実際は飛び降りて落命しなかった人の方が多かったと『成就院日記』は命拾いした者の数を記述してるようだ。このことが、さらに「清水の舞台から飛び降りる」との格言の確かさ?を裏付けることにもなっている。

飛び降り=自殺の意味しかない現代において、飛び降り=(命を預けて)願を掛ける、は理解しにくい。

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さて、困った。「願いを叶えたかったら、飛び降りてみよ」、と言われた。そう言うのはロシア政府で、言われたのは日本政府である。

『ロシア外務省は11日、モスクワで14日に開かれる日露外相会談に先立ち、声明を発表した。日露平和条約交渉に関し「南クリル諸島(北方領土)のロシアの主権を含め、第2次大戦の結果を日本が完全に認めることが問題解決の主要な条件になる」と主張し、改めて日本をけん制した。(1月12日(土)22時24分 読売新聞報)』

第2次大戦の結果を日本が完全に認めること、日米安保条約に基づく米軍の駐留について将来にわたり「北方領土」に及ばないという明確な米国の言質をとること、が、すなわち、飛び降りである。飛び降りを迫られているのは河野外相。飛び降りてしまえば、「南クリル諸島(北方領土)のロシアの主権」を認めることになる。日本国内の世論が黙っていない、米国が言質を与えるとも思えない(米軍の駐留については辺野古の基地問題も絡む)、河野外相はおろか安倍政権の命取りともなりかねない。

飛び降りてしまえば、日本の主張する「北方領土」も「日本の主権」もその実体を失う、そしてその先の平和条約締結交渉過程での国境の線引きでロシアが譲歩し、主権も含めた「ロシア領土」の割譲(少なくとも歯舞群島と色丹島)があるのかもわからない。ロシア政府は「引き渡す」可能性を言うが、ロシアの主権は残したままと釘を刺している。その「引き渡し」ですら、ロシアでは野党議員が北方領土(ロシア領土としての)の日本への引き渡しを禁じる内容の法律案をロシア議会に提出した。

さて、主権も含めた「ロシア領土」の割譲(少なくとも歯舞群島と色丹島)があるものと願って、飛び降りて、その通り願いが叶うのか?それとも、願い虚しく落命してしまうのか?ロシア相手では観音様に命を預けるわけにもいかない。

日ソ不可侵条約がある限り、ソ連は満州国に攻めてくることはない。 そう信念できないから、攻めてくるかもしれないと疑心になるのだ、と先生から「汝が信不及なるが故に、今日葛藤す」と私の父は諭されたが、結果は信不及と関係なく、ソ連は条約を破って侵攻した。願っても叶わぬことである。その前例をロシアは作っている。

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「領土問題を解決して、平和条約を締結する。この戦後70年以上残されてきた課題を、次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つという、その強い意思を大統領と完全に共有いたしました」と、2018年11月のシンガポールでの日ロ首脳会談後、安倍首相は言い「必ず」「完全に」と大見得を切った。

「その強い意思があるなら、示せ」とプーチン大統領は本気で迫っているのだろう。安倍首相がその得意とする外交手腕を発揮し、魔法のような傘を持っているなら、飛び降りても大丈夫だろう。きっと河野外相に魔法の傘を渡しているに違いない。日露平和条約を締結し両国間の戦争状態に終止符を打ち、さらに少なくとも二島は無事日本の領土となるという、願いが叶って希代の名宰相と褒めそやされるに違いない。観音様の御力の及ばぬモスクワの地で、チムチムチェリーと呪文を唱えて、飛び降りてみるしかないのか?その勇気が河野外相にあるのか?



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桜姫はその恋の当て馬となって殺された清玄の亡霊に追い回されるという筋立てになっている。清水の舞台から唐傘を広げて飛び降りて何が叶ったのか?亡霊に追い回されることがなくなるということであればそれが「終止符」なのか、命を落としただけのか、今は演じられることがないその芝居を観たこともない私には判らない。が、近日その芝居が観られると期待している。演ずる役者もこの演目で「一郎」なる大名跡を継ぐ「太郎」となれば。いや「太郎」は「とうざいとうざい」と口上挨拶までで幕間となるかもしれない。なにしろ「信介」なる別の大名跡を継ぐ「晋三」が袖に控えている。しかし、六方を踏み損ねてすってんと花道から転がるのではないかと、少し心配でもある。いつも見栄だけは大袈裟に切るがその足元はヨロヨロと覚束ないからだ。

(おわり)



posted by ihagee at 11:14| 政治