2019年01月05日

新橋電停・1960年初め



来日早々、横浜=新橋間の汽車の車窓越しにモースは偶然貝塚を見つけた(『「墟」と「塚」』)。この横浜=新橋間こそ、日本の鉄道開業の始まりでもある(明治5年9月12日)。モースが乗車したのは明治10年だから開業して間もない頃ということになる。



この絵と同じ陸蒸気(おかじょうき)に乗ったのだろう。

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さて、それから5年後の明治15年に、新橋=日本橋間に日本初の民間資本による鉄道会社である東京馬車鉄道が開業した。東京市内の路面電車は3つの民間会社によって別々に電化整備されたが、後に東京市(当時)に一括して営業が引き継がれ市電となる。その最初の区間も新橋に始まった。新橋は鉄道史・市電(都電)史の双方において出発点となる。

その新橋電停辺りを父が1960年の初め頃に撮影したフィルムを元にサイアノタイプ・プリントを作成(引き伸ばし機:Lucky II-C (Fujinar-E75mm F4.5)、印画紙:vif Art (B5 H.P. surface) )。系統番号 6 番の都電(新橋=溜池=霞町=青山六丁目=渋谷駅前)が写り込んでいる。伊藤園のティーパックのジャスミン茶を二袋小鍋で煮出して、濃い目のトーニングを施した。レトロな雰囲気を表すことができた。

ブロク記事(「銀座8丁目全線座・1960年初め」)で紹介した写真と同じストリップにあった一コマ。当時、父は清水建設で銀行など商業ビルの設計にたずさわっていたので、カメラの焦点は三和銀行にあるように思われる。前景の都電や時計に目を遣る通行人を撮ろうとしたわけではなさそうだ。当時、1964年(昭和39年)東京オリンピック大会に向けて都心は再開発の槌音が響き始めていた(拙稿『「五輪」という破壊』)。この系統の溜池から先では首都高の高架の建設が始まった頃かもしれない。

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(Fujinar-E75mmF4.5で四時間焼き付け・水洗オキシドール漬後、ジャスミン茶でトーニング)

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それとは別の正光堂の包袋に入っていたストリップに1950年代に出張先の福岡・小倉で父が撮影したと思われる写真が収まっていた。同様に銀行の写真である。

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(三井銀行小倉支店か?)

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(山口銀行福岡支店)

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(小倉。鍋を片手に夕餉の材料でも買いに行くのか?)

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(小倉駅から門司港を結ぶ、魚町銀店街と思われる。)

魚町銀店街は日本初のアーケード商店街として話題になった。小倉ゑびす祭で雨に降られる度に井筒屋百貨店に客が飛び込んでは他の商店が商売にならぬと商店主らが公道に屋根をかけることを思いついたということらしい。今となっては当たり前のアーケード商店街だが、将来への先見性を感じ取って父も訪れたのかもしれない。

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安全信用を建物に化体するかに、重厚で厳しい造りがこの時代の銀行の佇まいである。カネを扱う場所ゆえにその建築が安普請であろう筈もなく、さぞや建設会社も仕事の甲斐があったことだろう。私の子供時代、このような銀行はどこにもあったが、冷んやりと薄暗い行内に子供ながら畏まらせる感じを覚え、ここでは静かにするものだと親に諭されなくともそれとなく判ったものだった。

(おわり)


posted by ihagee at 09:02| 古写真