2018年11月28日

マツダ・デミオ XD Touring (2WD/AT 2016年改良モデル)- その9


群馬県立ぐんま昆虫の森(前回ブログ)を訪れた翌日、同じ群馬県の南牧村(なんもくむら)へ向かった(2018年11月24日)。

南牧村にはどことなく惹かれるところがあって過去度々訪れている。石垣が組まれた段々畑を背にせがい造り(出桁造り)と呼ばれる切妻屋根木造二階建ての二階(蚕室)が張り出した民家が点在する景色は独特な奥行きを醸し出している。本ブログでも同村についての記事を幾つか掲載した。林業主体の典型的な中山間地域だが屈指の限界集落としても知られている。しかし近年はグリーンツーリズムに取り組み、村の魅力を積極的に発信するようになった。同村から長野(佐久)に抜ける田口峠はバイク乗りにとって魅力なのかその姿を多く見かける。舗装道で離合箇所もなくはないが車幅が狭くつづら折りの急坂は車で越えるには多少勇気が必要。

都会からIターンの世帯もある。なんもく村・木工房かたじ屋さんはその一人。オアシスなんもくにかたじ屋さんの鳥笛が売られていたが、今はどうだろうか?地ビールと炭入りビザの店・ビアカフェBBは閉園した保育園をそのままカフェにした店で童心に戻ってパクつく南牧村特産の食用微粉炭(杉材)を生地に練りこんだピザが美味い。何度か訪れたがモチモチとした食感である。

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この村の歴史は古く、 砥沢村(現・群馬県甘楽郡南牧村 砥沢)という地はその名の通り質の高い砥石を大量に産出し、幕府から手厚く保護(御蔵砥)され、江戸への中継地として富岡が発展した。明治期にはその富岡に当時最新の紡績工場(富岡製糸場)が建設され、養蚕業が盛んだった南牧村からは砥石に続いて繭玉が運び込まれた。絹糸・絹布は明治から昭和初期のこの国の一大輸出産業で、富岡製糸場で紡績され横浜から輸出されたのだろう。絹布は艶々と光沢の美しいシルクのスカーフとなって、当時来日した外国人たちは競って買い求めたようだ。ミキモトの真珠と並び第一次産業の産品がこの国の経済を支えていた。その産業セクトに従事した中山間地域は経済的に潤い活気に満ちていたが、農耕民族たるこの国の津々浦々を豊かにするのは第一次産業という理は、その後の高度経済成長期に失われ、TPPや日米FTAなど現下の政策はその息の根まで止めようとしている。

日本という国の歴史的な構成単位は第一次産業を介してその土地の資源と共に生きること(共生)であり、コミュニティ(良くも悪くもムラ社会)であり、それら産業を守ること=国土保全なる社会資本という重要な意義すら、今や経済性の天秤にかけて無価値化の一途を辿っている。営林・水資源・利水という第一次産業から始まるこの国の公共財すら、外資民営という資本原理に晒して、国民の生命線まで資本家に売り飛ばそうとする現政権である。

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上述の遺構(廃墟を含む)を各所に留める南牧村を車載カメラ(車外の景色はSONY NEX-3とCarl Zeiss Flektogon 4/25)とフィルムに収めてみた。

車載カメラはMuson MC2 Pro1「進化版」(PLレンズ使用)と、Multi Drive RecorderなるソフトをインストールしたiPodTouchの内臓カメラで、以下動画の地図と音声(ステレオ)は後者を用い前者の映像にオーバーレイした。YouTubeに映像をアップした(途中から再生されるようでしたら、コントロールバーを左端にすれば、最初から視聴可能です)。



道の駅オアシスなんもくで、特産の下仁田ねぎ(今年は根腐れ病で大変だったようだ)、名物とらおのパン(目の詰まったしっかりしたパン)、かあちゃん本舗のおから、野沢菜の入ったおやきを買い求めた。帰り道、関越道の寄居 星の王子さまPAに車を停めて、南仏プロバンス風の景色を眺めながらおやきを食べた。

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Zeiss Ikon (VEB) Tenax 1(レンズ:Carl Zeiss Jena Tessar 37.5mm F3.5)をフィルム撮影に用いた。Kodak T-MAX 400フィルム(モノクローム24枚撮)2本を使う。Tenax 1は24 x 24mmのスクエアフォーマットなので、フィルム1本で36枚程度撮影することができる。セコニックの露出計も携帯。

CIMG4771.JPG


Fuji Neopan Across100で撮影しようと池袋ビックカメラ本館に在庫を確認したが無いとのこと(2018年10月頃に販売終了)。仕方なくKodak T-MAX 400に代えた。撮影結果は追って報告したい。

(おわり)

posted by ihagee at 03:57|