2018年09月12日

ドラマ仕立てのCM



テレビは滅多に観ない。時間を割いて見るだけの価値のある番組はなくなった。
新聞のテレビ欄で一週間分の番組をチェックしていたのはもう四半世紀も前のこと。

それでも定時のニュース程度は観る。NHKのニュースが近頃は「時計がわり(時計程度の意味)」とけなしたくなるのも、受信料を税金のように支払わされ、代わりに客観性に欠け政権側に常にバイアスする報道姿勢が目立つからだ。天気予報にまで「安倍首相が」と主語を入れたりする。これでは何事も「首領様が」と始める北の放送局と同じである。それに、ニュース原稿を読み上げるのに何でキャスターが三人も四人も必要なのか?一人年収一千万円以上と思えば腹立たしい。衛星の外国のニュースでは一人キャスターが黙々と仕事をしている姿ばかり。何かと「生産性」を唱える政権・自民が自らの生産性を問わず参議院議員定数を6増する法案を通したのと同様、NHK自身が労働生産性に欠けるのも受信料なる濡れ手に粟で胡座をかいているからだろう。慢心は政権、NHKに共通している。

さて、民放のニュースは?といえば、こちらはバラエティ化が著しい。過剰な演出(プリクラ風のキャプション・意味のない音楽)で画面が汚い。ニュース以上に低趣味なのはCMだろう。やたら意味不明・安っぽいドラマ仕立てである。何を売ろうとしているのかよりも、とにかく記憶に残れば構わないと飛んだり跳ねたり喚いたりおちゃらけである。奇抜・外連の固まりは全てゲバ字で描かれた騒々しい看板に近い。静けさとかウィットの一つもない。「これが所詮消費者のセンスですよ」などと見下して、●通などの広告宣伝会社が企業に吹き込んでいるのだろう。それを採用する企業も企業。

テレビの代わりに観るようになった YouTubeのタミル語放送(ライブ)番組の間に流れるCMの方が数段センスがある。消費者を見下すことなく、むしろハイセンスをCMに込めている。とにかく売らんかなで商品やサービスを安っぽく見せたりすることがない。大人である。CMとはいえ繰り返し観るに値するだけの品位がある。企業自身が理想を高く掲げるのも国(インド)自体が発展の途上にある勢いなのだろう。この勢いが日本にも四半世紀前にはあった。当時のCMも「作品」として広告大賞を競うほど、クオリティが高かったと記憶している。





長い時間をかけて「良い石鹸」なるセンスを涵養してきた牛乳石鹸というブランド。
売らんかな、と広告宣伝会社の入れ知恵にコミットしたばかりに、心の病みを洗い流す、と変な(不潔な)メッセージを込めたCMを流して、消費者から総スカンを喰ったのは記憶に新しい。低趣味のCMで長年培ったシンプルな(清潔な)ブランドイメージを一瞬にぐちゃぐちゃと台無しにした例でもある。

CM並みの低趣味に政治(特に与党)が堕して久しい。議論やら論理を尽くすよりも、誹謗中傷・印象操作(イイね!ポチっと)でCMのドラマに魅入る層の支持が厚いのも、脊髄反射・ピクトグラム(絵看板)しか理解できない層の反知性・非論理に支えられた政権だろう。難しかろうと、襟を正してきちんと文章と言葉を以って国民と対話・議論できること自体が、今や政治家に於いては珍しいとされる、むしろ、そんなものはなくとも総裁も首相も務まる、ポンチ絵やら外連味たっぷり白戸家風・ドラマ仕立て(劇場型)のピクトグラム(文盲)な政治を良しとする国民性が問われている。

(おわり)

posted by ihagee at 03:06| 政治