
<日本は戦力を放棄する。もう二度と戦争をしない、と書かれている。なぜこんなにやさしい言葉で、一人一人の人間に愛情を注げる憲法が生まれたのか。感動したというより、未知のものを見た驚きがありました。兵学校の2、3期上は戦地に赴き、無残に死んでいった。この憲法は、戦争で死んだ人たちの遺言に思えたのです>
8月14日の毎日新聞夕刊で、1927年生まれ(90歳)の俳優の鈴木瑞穂氏が「憲法は戦死者の遺言だ」と言っていた。鈴木氏は海軍兵学校で学ぶガチガチの軍国少年だった。しかし敗戦によって<大人の言うことは信用しない>とニヒルになり、「民主主義」を唱えるようになったという。そして、京大在学中に出あった新憲法の条文に衝撃を受ける。
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満州国生まれの鈴木氏、私の亡き父と同じ満州生まれで3歳年下に当たる。父も「未知のものを見た驚き」と同じ思いを憲法発布日(1946年11月3日)に覚えたと日記に残していた(拙稿「憲法記念日・素晴らしい狂人」)。
「戦争で戦う」という憑き物が落ちて、「戦争に戦う」平和主義という全く知らなかった次元にどれだけ驚き感動したかは想像に難くない。
<戦争に戦うこと=戦争放棄>は、戦争で戦う(普通の国になる=キツネ憑きになる)よりも格段に難しいが、その使命を世界で唯一戦争の惨禍から学び自ら課してきたのは我が国であることを忘れてはならない。そんな日本は世界中のキツネに憑かれた「普通の国々」から羨望の的である。今の世界、どんなに望んでも決して得られない戦争放棄の憲法を千載一遇に得(幣原喜重郎からの発案であり、米国からの押し付けでないことは歴史上の事実として明白となっている=キツネ憑きの唱える「押し付け憲法」ゆえの「自主憲法」には論拠がない)、戦争に直接的に加担できない最高法規上の足枷は、同盟国である米国でさえその鍵を外すことはできないからである。(拙稿「キツネ憑きの話(「戦争に戦う」が「戦争で戦う」になる)」)
その千載一遇に得た奇貨ともいえる<戦争に戦うこと=戦争放棄>は鈴木氏の言う通りその戦争で死んでいった人たちの遺言である。遺言を受け継ぐこともせず、再び<戦争で戦う>という憑き物に憑かれてしまおうというのが安倍政権・自民党の主張である。過去の自民党・自民党政権が誇っていた話し合いを基調とする善隣友好平和外交を行うだけの胆力も知力も、今の彼らは持ち合わせない(世襲議員による政治力の劣化)からこそ、ダンビラをちらつかせた方が楽だとなる。要するに、地道に外交努力するのも面倒だから武装してしまえ、と己の非力を糊塗せんと極めて短絡的に端折って挙句には「みっともない憲法(安倍総理)」などと言い出す。みっともないのは憲法ではなく、そんな言葉を吐く政治家自身であろう。
戦争の時代を生き抜いた人々が少なくなるのを見計らって、この遺言たる平和主義を「みっともない」と蔑みながらビリビリと破り捨ててケラケラと笑う連中なのだ。遺言を託して死んでいった人々を侮蔑するに等しい。そして靖国詣・玉串を捧げる。そこで政治的に祀り上げられている死者(軍神)の口を借りて<戦争で戦う>ことこそ先人の遺言とする。キツネ憑きの総大社に「どうか国民が皆憑かれますように」と詣でることである。憲法を護り遵守することを「憲法教という新興宗教(稲田朋美議員)」とあざ笑う彼らこそ、靖国に頭を下げる「狂信カルト集団」と言うべき存在である。日本会議の標榜する「神の国」などは立憲主義さえ否定する。憲法・立憲主義を足蹴にしても何ら咎められない政権。彼らこそ真性のキツネ憑きだ。卑怯・姑息で、嘘を平気で吐く。騙し・脅し・隠し・偽るが当たり前のあの戦争の時代の為政者たちの合わせ鏡だ。見る人が見ればすぐに正体を見破ることができる。戦争の時代を生き抜いた人なら尚更だろう。その人々が消えて、正体を見破れなくなったのかもしれない。日本人・日本国の誇りばかりを喧伝され、他国民を虐げ血で血を洗った歴史を知らない人々からすれば、安倍政権ほど勇ましく頼もしい存在はないのだろう。ネットやマスコミを総動員し万歳と言わせるイメージ操作に安倍政権は非常に長けている。が、騙されてはならない。
父が生きていたらどんなに憤ったことだろう。否、生前、父を含め戦争の時代を生きた世代は再び登り始めた戦争への道をすでに敏感に嗅ぎ取っていた(拙稿「私たちはどこまで階段を登っていますか?」)。
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『日本と米国は価値観が違う。平和憲法を持ち、戦争をしない国と、絶えず戦争をする国の価値観が同じはずがない。』『戦争は兵隊の目で見る。将校ではない。政治は国民の目で見る。この信条はすべて戦争体験に根ざしているんだね。』『効率を最高価値にすれば、強い者は必ず勝ち、弱い者は負ける。強者はもっと自由を求め、弱い者は平等を求める。この亀裂は再チャレンジのような言葉ではいやされない。社会に亀裂ができるだろう。』『終戦から9ヶ月後、復員する船中で、新憲法の草案を新聞で読んだ。仲間と抱き合って泣いた。「二度と戦争をしないことを宣言した世界で唯一の憲法だ。」』(拙稿「戦中派財界人 品川正治氏の苦言(2007年)」)
戦争の時代を生き抜いた日本経団連の元専務理事 品川正治氏(故人)のこれらの言葉は重い。品川氏は戦闘部隊の二等兵として中国に出征し常に手投げ弾12発を身につけ、激戦にのぞみ右ひざには砲弾の破片が埋まったまま復員した。
今の政治は国民の目ではないのだろう。米国と価値観を共にすると無定見に言い放つ安倍総理。違うものは違うと言うことすらできない。辺野古の基地問題然り。米国の代理人に成り下がって沖縄をいじめ抜く。そして杉田議員のように「生産性」なる効率で弱者を痛ぶり、その通り、憲法にすら縛られないと、安倍政権は強者の自由を謳歌している。
自民党総裁選での争点は憲法第9条の改正とある(安倍総裁)。対立候補の石破茂氏の持論は徴兵制も視野に入れた自主憲法制定だろう。どちらもキツネ憑きの背比べである。どの道も件の遺言を破り捨てることだ。国民の目でないキツネの目を持った彼らに我々は睨み憑かれて、月のない夜道にまどわされ、油揚げを求めて歩いた先は気がつけば戦場の只中、兵隊の目で戦争を肯定するようになるだろう。恐ろしいことだ。
歴史に学ばず、同じ轍をあえて踏もうとする政権に敗戦(終戦)の日すら存在しないのだろう。敗戦(終戦)の日を心に刻みつけ、二度と戦争はしないと、千鳥ヶ淵で戦没者に頭を垂れ深く反省する天皇皇后、片や、軍神を祀る靖国に詣で玉串を捧げ「(戦争遂行を最終目的とする)尽忠報国ノ赤誠ニ徹シ」と誓う政治家ども。
(おわり)
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