2018年07月28日

若者たちの怒りの導火線に火が点いた(続き)



LGBT(「性の多様性」)は国際社会が共有する人権問題でもある。
その大きな人権問題を、こともあろうが「日本人の誇り」なるちっぽけな器で語ろうとしたのが杉田水脈議員ということだ。

喩えれば、humanを語り合う場に、Japaneseを持ち込む筋違い。human rightsを語り合う場に、Japanese prideを持ち込むトンデモである。お門違いも甚だしい。そんなトンデモまで正当化してしまう(自民党)背景を考えてみる必要がある。

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「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」<森喜朗元首相の神の国発言>

この「神の国」には民主主義国家における人権というものは存在し得ない。「お前たちはこの国に生かされているということを忘れてはならない」と国あっての国民であり、その国に逆らう者は国民と認めない、すなわち、自ずと存在する人権などあり得ないとする。これは後述する通り、「国家の誤作動」である。国家が人権に対していくらでも条件をつけることができてしまうキッカケとなる。「生産性」を持ち出し、LGBTの人権に条件をつけることだ。

この内向きな承知やら選民思想は、決して国際社会で共有され得ない。しかし、「神の国」なる選民思想を頑なに主張し、多様性にあらがう人々が今この国の政治をつかさどっている。杉田議員はその代弁者であり、彼女の仲間なら他にも大勢存在する。

自民党憲法改正草案起草者の一人である片山さつき議員もそうだろう。

「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのはやめよう、というのが私達の基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるのか、ではなくて国を維持するためには自分に何ができるか、」と述べている。

義務を果たしてから権利を言え、とくる。しかしこの片山議員は西日本豪雨の予報がなされている最中、自民亭で酒をくらってにやつきながらピースなどをしていた。それがこの人の考え方なのだろう。上意下達に号令する者ほど自らは何も義務を果たしていない。「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。(三笠宮)」

その愛国者を気取るのが杉田議員であり片山議員と私の目には映る。

天賦人権論の否定とは、「個々の国民が個性を持った存在であり、かつ幸福に生きる権利を持っているという普遍的な考え(小林節慶大名誉教授)」の否定である。「国家が人の人格的生存を侵すのは国家の誤作動。国家が人権に対していくらでも条件をつけることができてしまう。(同氏)」ということになる。

この「普遍的な考え」も「日本人にとっては必ずしも普遍的ではない」と杉田議員は主張しているに等しい。「家族主義の美風」を大切にし「家族が社会の単位」であって初めて美しいと言える日本人・日本国。その誇り・・を杉田議員は主張するのだろう。安倍総理が常日頃言う「美しい国」とはこういうことだ。日本人って凄い・日本国って素晴らしいとマスコミを焚き付け若者を日々洗脳する政権。そう本当に思えるだけの社会や将来を具体化することもせず、むしろその逆に今さえ良ければと将来世代の懐にまで手を入れてカネを無心し(膨大な国の借金を積み重ね)、賭博に入れ込み、非正規労働を恒常化させ、結婚はおろか、家を持つことも、将来設計の一つ描くことも若者たちに不可能にしたのはほかならぬ、安倍政権である。

現実は「家族が社会の単位」ではない。お一人さま、シェアハウス、独居老人、定まった家すら持たぬ非正規労働者、そしてTPPで破壊されるコミュニティ(帰るべきふる里さえなくなる)等々。その反対に現実は動いている。パルムドールを受賞した是枝監督の作品に描かれた「万引き家族」は現実社会の反映であるが、杉田議員に言わせれば「生産性」のない人々となる。たとえ、全員が血縁関係にない疑似家族であっても、社会の単位として現実に存在する。その人どうしを繋ぐのは多様性を認め合う人権であり人として生きる権利である。

LGBT(「性の多様性」)は「家族が社会の単位」なる「美しい国」を破壊するもの、ゆえに国際社会とLGBTについては問題を共有する必要はないと、現実を見ずにアナクロな精神論を掲げるからこそ、「生産性」なるトンデモ定規で杉田議員は「家族が社会の単位」なのに「あの人たちは単位を構成し得ない(生産性がない=子孫を残せない)」とさらりと片付けるのだろう。

この考えの底には<家族主義の美風と大政翼賛>が見え隠れする。あの戦争に突き進んだ時代にもてはやされた考え方であり、今もって日本会議の宗旨であり(拙稿「<家族主義の美風と大政翼賛>(自民党憲法改正草案第24条第1項)」)、その集まりである神道政治連盟国会議員懇談会の理念「神道の精神を以て、日本国国政の基礎を確立せんことを期す」である。自民党を中心に国会議員283名が参加し、その一人が安倍晋三氏。

「神道の精神」は親学すなわち、“家族が社会の単位”、そのおおもとに神道の精神(靖国がその象徴)がある・・ということだ。その単位を「一億◯◯」と括りあげ、国民を互いに監視させ、誰一人逆らえずに(逆らえば「非国民・売国奴」と呼ばれた)戦争に動員させた為政者たちを真似ようとしている。しかし歴史が示す通り、彼らは塗炭の苦しみに国民を陥れた。その苦しみを与えた者は自ら苦しむことなくその孫が安倍総理であり、彼は祖父の時代を呼び戻そうとしている。賭博で身を滅ぼされるのは民であり潤うのは為政者である構造は、アヘン栽培で中毒患者を蔓延させ、人の不幸の上に巨額な利益を得たその祖父と重なる。

「国家国民」という言葉を安倍政権は好んで使う。「国民国家」と言わない。国あっての民、政治家は民を下に見て上位下達に号令するのが役目などと自惚れ「一億総活用」などと勝手に総国民年季奉公をぶち上げる。立憲主義の上で主客顛倒も甚だしい。憲法によって本来縛られるべきが「国家」であり「国家権力」であるのに、その憲法を改悪して、「国家」「国家権力」が「個人」の生存する権利を縛るという転回(革命)を企てている。「最高の責任者は私だ。」「わたくしは立法府の長ですから。」「私がそう解釈すれば法律」などと蒙昧し、何にも縛られるべきではないとばかりに憲法の条文を政治解釈することが罷り通るのであればもはや立憲主義ではない。

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LGBT(「性の多様性」)と「生産性」がどう正しく組み合わさるのか、杉田議員は説明する責任がある。そう主張する限りは。そして彼女の意見の大意は間違ったものではないと許容する自民党は何がどう間違っていないのか、論理的に示すべきだ。「神の国」なる説明の一つつかぬ御簾の内に逃げ込むことは許されない。精緻な議論ができないのであれば、素直に「こちらの理解が足りませんでした」と謝り、金輪際「差別」と「偏見」を振りまくことをしないと誓うべきである。否、立憲主義や人権に今日まで泥を塗りヘイトし続けてきた与党・安倍政権は今日にも国政から去るべきだ。「神道の精神」やら「神の国」など真っ平御免である。

(おわり)
posted by ihagee at 14:05| 政治