2018年06月16日

人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?(続き)



人の命の重さは、拉致被害者だけが重いのか?と前回長々と綴った。

拉致問題一点から日朝交渉をすべきではないと。それは拉致問題以外のイシューの重要性とのバランスが取れなくなるからだ。安倍総理は拉致問題が「何よりもわれわれにとって大事な」と言う前は、日本に飛来するミサイルが最大の脅威・国難だと言っていた。いや、それ以前は、ホルムズ海峡の機雷だとか、リーマンショック級の経済危機のおそれだとか、が脅威・国難だと言っていた。安倍総理自身がその時々でバランスを失っている。それは安倍という政治家(および安倍政権)の立場がその時々で保てるか否かで、逆に物事の順番をつけていると考えた方が良いかもしれない。今は、それが拉致問題ということなのだろう。だから一貫していない。自己都合が透けてみえる。それを彼は「われわれ」と必ず言い換え、あたかも主語は「国民」であるとする。しかし、私も含め多くの国民は、軍事的脅威を取り除く外交こそ(話し合いを基調とする)喫緊に追求すべき外交であり、もたらされる和平こそ国益だと思っている。拉致問題とはその枝葉で解決されるべきことだ。

実は、トランプ大統領は米朝首脳会談の前後で北朝鮮による日本人拉致問題について、明確にこう言っていた。
安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄
安倍総理が「われわれ=国民にとって重要」と幾ら国内で言い張っても、米国も北朝鮮もそれは「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」だと見透かし見解を共有している。

然るに、安倍総理も官邸もマスコミも、この「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」なる発言に注視してこなかった(いや、こう言われてはまずい!とわかって無視してきたのだろう)。安倍総理がもし「われわれ=国民にとって重要な事柄」と本当に思うのであれば、トランプ大統領にその発言を改めさせなければならない。日本国として最大且つ喫緊に解決すべき課題と国民が皆認識しているというなら。ところが、安倍総理はトランプ大統領の発言を百パーセント支持すると言った。つまり、安倍総理をして国際社会に「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」以上の事柄ではないと認めさせたことになる。米朝首脳同士でこの見解を共有したということが、「拉致問題について提起した」という内実であったのではないか?

トランプ大統領は普段は粗暴な発言が多いが、反面、慎重に言葉を選ぶ場合がある。「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」はそうなのだろう。余計なリップサービスはしない。トランプ大統領を言動を観察すると、「具体的な行動につながらないものは無意味」とするプラグマティズムを強く感じる。それが無意味なうちは「何を実行していくのか注目される」とコメントするに留めることが政治的胆力だが、その通り、「様子を見てみよう」という態度や発言をこれまでもし続けてきた。直情径行のように見えて、胆力がある。また、発言は一見粗暴だが、「具体的な行動」につながるとはっきり認識できない事柄は突き放す。その突き放しぶりが「安倍総理にとって個人的(personal)に重要な事柄」に現れていると私には思える。

プラグマティズムが嫌うのはエモーショナル(情緒ばかり)の政治である。安倍総理はエモーショナルにトランプ大統領と接してきた。ゴルフを介した親友関係の友情はあたかも外交に利するという感覚である。これはプーチン大統領にも行った。ところがこの二人はプラグマティズムに徹している。だから、彼らは友情と外交を全く別に扱っている。内政では存分に威力を発揮する安倍友政治(ともだち関係で国政を動かす・人治主義)は外交では全く通用しない。それが安倍総理は全くわかっていない。習近平も金正恩も冷徹なプラグマティズムを心に持っている。お涙頂戴の三益愛子ばりの母もの映画は、彼らは見ない。少なくとも外交の場では。

プライベートな懸案と言われて、そこを突破口に日朝首脳会談を行おうとする姿は、自己都合・自己保身にしか見えない。やはり、一旦拉致問題は脇に置いて、米朝首脳が国家間で懸案としている非核化・経済支援について日本がどのように関わるのか、米朝それぞれと真剣に話し合う必要がある。話し合いをしない・最大限の圧力は米朝首脳会談で退けられ、話し合いを基軸とする和平路線で進む上では、もはや日本政府だけが立ち止まっているわけにはいかない。立ち止まり、話し合いにも消極的になっているうちに、請求書だけ突きつけられる事態になる。拉致問題に固執するいうことはその事態に陥る可能性となる。大局で物事を捉え、その中で拉致問題について北朝鮮と話し合う(余地があるのなら)が、まともな外交の進め方だ。

そして、米朝首脳会談では北朝鮮が短中距離ミサイルを捨てる話などしていない。本来はこのことがわが国にとって脅威であり国難である筈だ。原発を五十数基抱えるわが国にミサイルが飛来・落下すれば、核爆弾が落とされると同じだけの脅威となる。

北朝鮮はあくまでも米国との関係で長距離ミサイルと核兵器を捨てると言っているに過ぎない。わが国にとっての脅威は日朝間で交渉し取り除くしかないのである。

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安倍総理は核兵器・ミサイル・拉致問題を並べて言いながら、拉致問題が「何より大切」とその一点から他のイシューも追って日朝間で話すつもりらしい。これまでは、完全不可逆な非核が確認されない限り、一切話し合いなどしないと言っていた。だから、いつの間にか前言を撤回し、随分とハードルを下げたことになる。

そして昨日、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」と従来の主張を繰り返した。つまり相手はハードルを上げたまま、この一点で日朝交渉は北朝鮮が優位な立場である。それでもなお日本政府が拉致問題一点で日朝交渉を行うのであれば、他のイシューについても北朝鮮が優位に立つ可能性が高い。

非核化・経済支援は米朝間で合意し、米国と百パーセント共にあるとする日本も追随する。つまり規定路線であり、拉致問題でハードルを下げた日本政府はこれらの支援でも言われるがままに協力をしなければならなくなる。その主たる協力はカネであろう。

自主・主体的に外交交渉してこそ独立した国家であり、米朝の言いなりになってはならないと考えれば、河野洋平氏が日朝国交正常化という大所高所から交渉を始めるべきだと主張するのは、当然の理である。その交渉の過程で拉致問題を議論の爼上にあげるのが正道である。そこが大手門だとすれば、拉致問題は搦め手である(拙稿「<搦め手>好きの安倍首相」)。横綱が猫騙しで勝とうするのと同じ。搦め手は独裁政治の常套でもあるが、安倍総理はプーチンやエルドアンや金正恩のようなその道を極めた独裁者でもない(独裁者はお断りだが)。中途半端に独裁者でありながら、そうでないと繕って、搦め手を使うからヒッチャカメッチャカになる。搦め手を使わず、正面から政治を行うべきだ(外交も内政も)。

大所高所での交渉の開始を米朝が示した。ならば、日本政府はその高みで北朝鮮と外交交渉を続ける必要がある(正面から交渉)。拉致問題が解決するか否かは、その高みの交渉での日本政府の外交手腕でしかない。圧力は行使できても話し合いはできない(その能力がない)から、話し合い路線にいきなりハンドルを切られ最も戸惑っているのは日本政府かもしれない。話し合い基調の外交(本来の外交)で手腕を問われることは避けたい。非力であると国際社会にその「外交の安倍」の看板までも見下されれば政権の存立に関わるからだ。拉致問題一点になるのはある意味、「逃げ」でもある。失敗してもそれは北朝鮮の頑なな態度だと言えば済むし、努力している態度だけでも評価され、そして一つでも結果が出ればそれは「外交の安倍」を飾ることになる。

これは、北方領土問題絡みの日露交渉にも言える。ロシアは日本に高みの交渉を要求しているが(日米安全保障条約の見直し等)、そんなことは到底交渉できない日本政府は、旧島民のビザなし墓参やらイチゴ栽培やら、ここでも「逃げ」に走っている。プーチン大統領は日本側の意気地のなさを見抜き、北方領土のロシアの主権を確たるものとするミサイル配備やらインフラ整備を活発化させている。

「逃げ」が失点にならず得点になるのはあくまでも国内向けの安倍政権の顔であり、そうマスコミが繕うからだろう。しかし、海外ではそれは「外交の安倍」がいかに看板倒れかを示している。

日本の外交交渉の真価が問われている。真価が問われる厳しい時代に突入した。旧態依然と前世紀の感覚のままの安倍政権(副総理は古い時代の政治家の典型とまで海外で酷評されている)では、到底太刀打ちできないのではないだろうか?外に出て、マリオに化けたりゴルフに興じたり犬の贈呈に出かけたりアンチョコを棒読みして演説したり金袋を背負って漫遊したり、G7の首脳でそのようなパフォーマンスが国際政治に必要だと思う人は安倍総理以いない。

(おわり)

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posted by ihagee at 05:04| 政治