ひょっとこ、口がひんまがっている面は別名「うそぶき」と言う。ひょっとこづら、と呼ばれて喜ぶ人はいない。ご愛嬌の程度を超えて、うそつき、と侮蔑するに等しいからだ。

また、ひょっとこ、には、その家が栄えるには「竈の近くに自分の顔に似せた面を飾っておけば良い」との伝承もある。異世界から子供をもらう・その子供が富をもたらす・その子供を邪慳にあつかって富を失うまたは没落することが日本各地に伝わるひょっとこ伝承の共通点だそうだ。
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経済成長感じない人は「よほど運がない」
"麻生太郎・財務相(発言録)
政権の安定があったからこそ、これまでの経済成長がずっと継続性を持たせられたのは間違いない事実であって、5年前より今の方が悪いという人は、よほど運がなかったか、経営能力に難があるか、なにかですよ。ほとんどの(経済統計の)数字は上がってますから。(吉田博美参院幹事長のパーティーのあいさつで)"
以上、朝日新聞デジタル 4/17報 引用
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一体、どういう話の流れでこういう発言をしたのかわからないが、随分と乱暴な物の言い方をするものだ。報道にある言葉だけでもこの人自身の「難」が判る。「運がない」とか「経営能力に難がある」とか、為政者が第一義に負うべき施政の結果責任を国民に転嫁する。そんな物言いで済むなら政治は要らない。安倍政権こそ「運がない」「政権運営能力に難がある」のではないか。
「運がない」については、拙稿『「運命でかたづける国民性」』で原発事故について以下のように述べた。
自然災害の範疇であれば、社会的に許容せざるを得ないリスクというものも存在するだろう。火山・地震・活断層・台風など。しかしそれら(原発事故)を「運命」とあっさりと住民に諦めさせるならそもそも政治も行政も要らない。運・不運でかたづけるなら神仏の世界である。
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麻生財務大臣は、政治も不要な神仏の世界にいるようである。アベノミクスなどの現政権の経済施策の総括を運・不運で語るのであれば、そもそもその施策自体が博打と同じだと明かしているのだろう。鉄火場の遊び人に国民を喩えて、運がない人もいる、と言うに等しい。その通り、博打的な施策であるから鉄火場の表現になるのだろう。アベノミクスの一体何本放ったか知れない矢も的矢だし、カジノ法案はまさに博打だし、異次元金融緩和は裏世界であって、ことごとくテキ屋の稼業である。ならば麻生大臣の物言いは素直と言えば素直である。日本会議なる異世界の詔に耳目を傾ける政治家が結集した安倍政権であれば、政治も不要なテキ屋か神仏の世界観なのだろう。
「(経済統計の)数字は上がってますから」の数字のいかさまさいころは識者から指摘されている通り(拙稿「牽強付会とは」)、公文書捏造・改竄を許す政府であれば、自らに都合する数字や統計を行政府に出させることも厭わないだろう。これもいかさま博打である。
この政権はファクトというものを軽視し、虚飾粉飾に勤しみ、騙す隠す脅すことばかり。しかもその結果責任は一切負わないばかりか、運・不運で片付ける。いかさま賭博の胴元と同じ。
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<民の竈(かまど)>、<民の炊煙(すいえん)>という言葉がある。庶民のかまどの煙の上がりを心ある為政者は見るというのだ。かまどの煙の上がりを見ず、鉛筆舐め舐め、官邸の顔を立てて官僚が創作した数字で作ったひょっとこ面を竃に飾っておけば良いそうだ。それで経済成長を感じない人は「運が悪い」とか「能力がない」とか・・。嘘を並び立てる「嘘八百」にもう耳を傾ける国民はいない。昔から嘘をつくと口が曲がるとも言う。その口曲がりの人が言うからには嘘だろう。
安倍政権の暗愚極まれり。
(おわり)
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