羽田空港に面した城南島海浜公園での前回フィルム撮影結果の続き。中判カメラと同じく真四角に撮影できる35mmフィルムカメラであるZeiss Ikon (VEB) Tenax 1は24mm x 24mmで24枚撮りフィルムであれば約37枚ほど撮影できる。フィルムはFujicolor 100を使った。
Tenax 1には通常Novar 35mm f/3.5が搭載されているようだが、私のモデルは鷹の目と評されるTessar 37.5mm F/3.5。モノクロームフィルムに合わせて設計されたレンズだけあって、前回閉園間際の赤城高原クローネンベルクでの撮影結果はその通りの結果を得ることができた(「招き猫の誘惑(Tenax 1)その8」)。
今回はカラーフィルム。どうなることやら。以下がその結果(Scanner: EPSON GT-X980)。
城南島界隈(京浜運河)。
同じ構図をVoigtländer Superb (1933), Skopar 75mm F/3.5 で撮影すると以下の通り。
フィルム特有のノスタルジーが写り込んでいた。
モノクロームでも撮影した白い犬の姿を追った。
都会のアスファルトの上でなく、浜辺を散歩させてもらって機嫌良さそうだ。
野良猫が岸壁をうろついていた。打ち上がった小魚の死骸でも漁るつもりなのだろうか。
その岸壁ではカップルやら家族連れが羽田から離陸する飛行機を眺めていた。
バードパトロールの船が空砲を轟かせていた。
順光での撮影はここまで。夕陽にカメラを向けてシルエットを撮影する。
フィルムを撮りきらない前に陽が落ちようとしていた。
残りのコマは都会の夜景や飾り窓に向けたがつまらない絵ばかり。太陽に勝る照明はなし。アナログフィルムで感性を表現するには斜光を生かすことだとあらためて認識した。Tenax 1でまたチャレンジしてみたい。
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"「なんでも鑑定団」では応募の際にまず「お宝」の写真を送ってもらうんですが、銀塩写真で撮ったものは百発百中、本物か偽物かその段階でわかる。でもデジカメで撮ったものは、半分くらいしかわからない。そこにデジカメの本質があるんじゃないでしょうか。デジカメは精密で確かですが、物事の真贋(しんがん)を写すことはできないと思います。デジカメブームで銀塩カメラの未来を悲観する人がいるけど、絶対になくなりません! あれがカメラの基本だから。何事も原点というものは残ります。また残らなきゃいけない。銀塩カメラの灯火(ともしび)を消しちゃいけないですよ。"(鑑定士・中島誠之助氏へのインタビュー・アサヒカメラ 2007年8月号から)
「何事も原点というものは残ります」の言葉は頼もしい。
" 「よく自分はもういい歳で、集めた物に子供たちが全く興味がない、どうしたらいいだろうと言われます。けれども私は放っておいていいと思いますよ。それが古物市場に出て安く売られても目利きの人たちが拾い、また1ランク上のコレクターの目に留まって出世していく。いい物は出世していくんですよ」"(鑑定士・中島誠之助氏へのインタビュー・日経BP社記事から)
不思議なことにカメラに限らず、アナログ思想のプロダクツは「出世していく」。製造されてから半世紀以上経過するTenax 1(1953年製造)もVoigtländer Superb (1933年製造)も未だ使うことができるばかりか、中古市場では「目利きの人たちが拾い」「出世していく」。それらメンテナンス可能に設計された<耐久消費財>には「残るだけの原点」というものがあった。アナログカメラの媒体たるフィルムは原点を押さえているだけにこの世の中に登場して百年を経過しようとしているのに未だに記録媒体として残っているということだろう(ある意味で人類の<大発明>である)。他方、デジタルは原点なき苛烈なフォーマット戦争に明け暮れ数年先すらどうなるか見通せない。<ビット腐敗(bit rot)>と呼ばれる問題を抱えるのもデジタルである(拙稿『「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」(<ビット腐敗>問題)』)。電子情報は腐敗し突然死する。アナログデータは劣化しても突然死はしない。古代エジプトの遺跡に刻み込まれたヒエログリフと同じだ。全てが一瞬にして消えることはない。モノとして情報が存在する限り、情報を物理的に読み取ることができるからだ。
いまどきの「売らんが為の」市場原理によっていきなり突然死し(させられ)過去が見向きもされないデジタルのプロダクツとは、初めから「出世しない」ように設計され、捨て去られることで「経済」だという市場原理に迎合する。だからその場限りの価値観が横行し、<百代の過客>となるべき「物事の本質」を追求する必要はないのだろう(拙稿「百代の過客」・「発想の転換(“最も古いまだ使用中の家電”コンテスト)」)。今製造しそのまま半世紀後までも残って「出世していく」ような工業製品を我々の世代は生み出すことができないでいる。
きっと、人間の感性に応じた「原点というもの」は、モノとしての確かさのあるアナログにあるのだろう。
(おわり)
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