中村敦夫と言えば、木枯らし紋次郎を思い浮かべる人も多いだろう。

私も彼の時代劇をリアルタイムにテレビで観ていた世代ではあるが、この人の存在により刮目したのは俳優としてではなかった。
ホーネッカー書記長の下、東独が健在だった頃(1980年代初め)、西ベルリンから彼なりの視点で東をレポートしたテレビドキュメンタリー(民放)を観て、この人の見識の広さ深さに驚いた覚えがある。壁で生き別れになった家族の話、壁越しにみる東ベルリンの建物の西側に向いた窓がどれも塞がれて何も見えないが室内のテレビアンテナはしっかりと西側に向いていることや、シュタージ(秘密警察)についてもこのレポートで私は初めて知った。東の社会の矛盾がいずれ増大し遠からず壁が内部から崩壊することまで見えていたのかもしれない。私も前後して東西冷戦只中の西ベルリンを訪れ彼のレポートを自らの目と耳で追認したものだった。

(1984年西側からみたブランデンブルク門・筆者撮影)
そして、拙稿(『「リニア中央新幹線」が「オンカロ」になる日』)でも触れたが、大深度法案が参議院を通過したのは原発問題など一般に語られることもなかった2000年5月19日。特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律案の通過は同年5月31日とほぼ同時だった。当時議員をしていた同氏は高レベル放射性廃棄物の地層処分に反対する集会で「とんでもねえよ。俺が反対したのは、この二つの法律がセットになったらやばいと考えたからなんだ」「このままでは、私たち住民は核に怯えて暮らすことになります」と言ったとされる。原発事故が起きるなどと誰も思わなかった頃、すでに中村氏は原発問題、それもトイレのないマンションと言われてのちに我々も知ることになる核廃棄物の処理場に関して、すでに見識を備えていたということだ。驚くべき洞察力である。
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さて、「この二つの法律がセットになったらやばいと考えた」、まさにそのセットとなる巨大事業がリニア中央新幹線ではないかと指摘する声は多い。私もその指摘は必ずしも穿ってはいないと考える。原発技術を海外に輸出し続け、その代償として輸出先の核のゴミを引き取ると安倍首相はトップセールスしているらしいが、国内の核のゴミですら置き場に困り、最終処分場も決まっていない現状でなぜ彼がそういう安請け合いができるのか不思議でならなかった。リニア新幹線の長大且つ大深度のトンネルはその置き場に将来代替される可能性を指摘する声である。
原発が国策なら、リニア中央新幹線はJR東海の民間事業の体裁を繕ってはいるが、実質は国策に近い。つまり、安倍首相が財政投融資の活用でリニア中央新幹線の東京―大阪間の開業を当初の2045年から最大8年の前倒しを目指すとし、政府は3兆円の財政投融資を出している。そして官民合わせて“5年で30兆円の資金を財政投融資する”という話まで聞こえてくる。2013年9月にJR東海の山田佳臣社長(当時)は記者会見で「(リニアは)絶対にペイしない」と公言。国土交通省も「リニアはどこまでいっても赤字です」と市民団体との交渉で語ったという。つまり、建設する前から赤字必至の事業となることが明白である。
リニア(旅客)では赤字。では何の為にリニア中央新幹線なる巨大事業を安倍政権は進めようとしているのか?そう我々は疑いの目を向けなくてはならない。折しも建設事業体ゼネコン大手4社が独禁法違反の疑いで司直の捜査が入った。超難工事が想定される巨大プロジェクトを実際に請け負えるのは事実上これらの会社以外にはないのだから、民間企業同士の談合(話し合い)には寛容であるべきとの、法の正義を蔑ろにする意見も巷に溢れているが(加計学園もそうだが安倍政権肝いりの数々の事業では法の正義は悉く蔑ろにされている)、将来、国民の税金が充てがわれる可能性が高い負債事業であれば、尚のこと、ここで建設是非・要否の原点に立ち返るべきではないか?
赤字必至の事業とわかっていながら(JR東海も国交省もすでに認めている)、なぜ安倍政権はその事業を推し進めようとするのか?安倍首相は国民に明確に説明しなければならない。
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中村敦夫氏に話を戻すが、彼の経済観は経済学者シューマッハーの思想に培われているようだ(以下の動画にあるように)。
経済的にモノに満ち溢れている我が国。ムダとわかっていても作り続ける=経済活動というこの国のあり方自体が原発なる大いなるムダに目を瞑るばかりか、新幹線よりも僅か数分早いだけ(乗り換えの時間を含めたら在来の新幹線の方が余程早いとの指摘もある)のリニアなる壮大なムダをまた経済だと言い続けて止まない古い経済観に憑かれている。生活必需品が耐久消費財であった時代を今の若者は知らないだろう。家電は修理して使う時代があった。修理・交換を前提とした製品やサービスが存在していた。その修理の為に町々に電器店(電器店の主人は修理する技能・資格があった)があった時代。何十年も黒電話が鎮座していた時代。それで少しも不自由しなかった時代があった。その頃のプロダクツの頑丈さはいまどきのペラペラのプラスチックの安普請とは大違いだ。ムダに消費しない社会があったからこそ、ムダにさせない(良心)為の商品設計・構造がなされていたのだろう。
ところが、アメリカ流の軽薄短小・使い捨てなる消費経済にいつの間にか我々は取り込まれ、消費・廃棄=善というマインドが消費する側にできてしまった。大阪万博の前後、マクドナルドをはじめとするファストフードが日本に進出して私が最初に驚いたことは、何度でも使えそうな立派な包装材が使い捨てであったこと。「えっ、これみんな捨てちゃうの?」という感覚であった。捨てるということに言いようのない罪悪感を感じたものだ。しかし、高度成長期になって、気づけば使い捨ては当たり前となり、さらに使い捨て=合理的=清潔という図式になっていた。
使い捨てを前提とする消費だからこそ、浪費との見境すら消費者はつかなくなった。生産者・作り手の側が率先して使い捨てや浪費・無精を消費者に促す。「これもう古いし新しく買った方がお得ですよ・各人が持っていた方がいいですよ・喋っただけで動きますよ・動かなくても何でもやってくれますよ」と。「教えてグーグル」なるAIスピーカなどは私に言わせれば、子供に無精を促すだけの噴飯ものである(子供を使ったCMは醜い)。現実世界を肌身で体感学習すべき子供に最初から仮想世界を提供して一体何を大人たちは目論んでいるのだろうか?これでは益々人間は無精・無能・無意識になっていく。話した際から個人の情報があらかたグーグルにビックデータとして獲られていることすら消費者は知らない。
そして原発にいたってはその産業廃棄物(毒)を後始末できない・片付けることすらできない。瞬間の灯火(今享楽)の為に数百年・数万年単位の未来という時間を平気で質に入れる。そんな電気を堂々と売る電力事業者。到底まともな経済活動とは言えない。その電気をムダに使うための道具でしかないスマートフォン。指先の暇つぶしは結果として原発を必要とする論理と繋がることも消費者は意識していない。
そしてこの国の有様。心身は壮年を過ぎて老人となりかかっているのにも関わらず、カンフル剤を打ちまくって全速力でダッシュし、発展途上国並みの高代謝社会をこれからも続けようとする。そうでなければならないと我が国の政治も経済も強迫観念に取り憑かれた感がある。これではいつ突然死してもおかしくない。世界的資源の収奪競争=グローバリゼーション(果ては戦争)はまさにその強迫観念の現れでしかない。
拙稿「百代の過客」で触れたように思想家・柄谷行人氏は「日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました(つまり、スモール・イズ・ビューティフル、ローカライゼーション)。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。しかし、そもそもエネルギー使用を減らせばいいのです。原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうというケインズ主義的思考が残っています(グローバリゼーション)。」(『週刊読書人』2011年6月17日号)と言う。
これが正論だろう。現世代が蓄えたストックを現世代が全て使い尽くしてしまうばかりか、将来世代の懐にまで無心する、アベノミクスなるムダ打ち且つ今さえよければ後は野となれ山となれ的食い散らかし(負の遺産)政策は直ちにやめて、今あるストック(正の遺産)を将来世代にまでしっかり引き継がせる為の低代謝社会に我が国の体質を変えていくしかない。ムダ喰いをせずこれ以上負債を背負わないことである。華やかさも派手さもないだろうが、質実に慎ましく生きていく国家がこの世界に一つぐらいあっても良いだろう。先進国の中でその先鞭をつけるに最もふさわしい国が我が国であるとワンチュク国王もムヒカ・ウルグアイ元大統領もその事を言いにわざわざ来日している。さらに、ワンチュク国王が提唱する国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)という、国民総生産 (Gross National Product, GNP) や国内総生産 (GDP)とは全く異なるベクトルは大いに傾聴に値する。しかし、我が国の政治家・経済人の一人として、彼らの言説を気に留める者はおらず、また、GNHを口にする者もいない。嘆かわしい限りだ。
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以上の点について、中村敦夫氏は動画(以下)にてわかりやすく述べている。視聴をお薦めしたい。
(おわり)
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