2017年12月14日

奇譚「黄泉交通」(その3)


edited23 - 1.jpg


(5)

「むこうで手を上げている人がいるな。」

「お客さん、わかってますよね?この車に手を上げたからには」
「ええ。わかってるわよ。」
上品な身なりのマダムはハンドバッグから写真を一枚取り出した。
舌をベロリと垂らした白い小型犬が写っている。

「可愛いワンちゃんですね。で、もしかしたら逃げたんですか?」
「そうよ。ほら」とマダムはバッグからリードを取り出した。
「昨日散歩に連れ出したら、通りで男の方が散歩させていたピットブルに吠えつかれて、すっかり怯えちゃって。その後に立ち寄ったブティックの中で粗相しちゃってね。それも大。叩いたら暴れてリードを残して逃げちゃったの。」

「リードが外れて、ということですね。」
「そうなのよ。だから一緒に探して欲しいのよ。」
「いつ頃でしたか?」
「そうね、二日前」
「では車をほんの少しバックさせますね。」

「あら、あそこにいたわ。降ろしていただける?」
電柱に小便をかけている犬が見える。
「だめなんですよ。私の背もたれに掲示してある乗車案内にもありますように過去を勝手に修正することはできませんから。連れて戻ることはできません。場所だけ確認していただくだけです。それでは車を元に戻してと・・」
「はい。ここで降りて探してみてください。私は車で待っていますから。」

やがてマダムは白い犬を抱きかかえて戻ってきた。
「みつけたわ。同じ場所をうろうろしていたの。」
「とにかく見つかってよかったですね。リードは外れないようにしっかり固定しましたか?」
「もう大丈夫」と言いながらマダムはリードを引っ張った。

「ワゥ〜」
「駄目じゃないの!また粗相して。ご免なさい。車の中で大をしちゃったみたい。水っぽいの」
「あ〜ぁ、掃除しなきゃ。臭いですねぇ」
「この犬ね血統書付きだったのよ。なのに頭悪いしストレスに弱いんじゃこっちがまいっちゃうわ。それに逃亡癖まであるときたら。いっそショップに返却しようかしら?」
「お戻しになられても、お店では商品になりませんから処分されてしまいますよ。おそらく。」
「それは可哀そうね。じゃ、あなたにあげるわ。去勢手術と必要な注射は済ませてあります。あたしね、あのピットブルみたいな強い犬の方が好みかもしれない。いざという時に護ってくれそうだし。じゃ、クリーニング代とともにこの子置いてくわね。」

「こんな臭い付けられちゃったら、今日は営業できないなぁ」と男は犬を乗せたまま車を車庫に回送し、マダムから渡された犬の写真を写真帳に貼り込んだ。
「えっと、昭和34年の・・犬の生年月日書いてもしょうがないな。空白にしとくか。」

----

翌日。

「では、運転手さん、この子よろしくお願いしますよ。」

「立派なお屋敷ですね。」
「えっ、どこが立派なの?わかんないけど。」

「写真をいただけますか?」
「そんなの要らないよ。おじさん。母上〜。このおじさん、無理をいって僕を困らせようとしているよ。」

「運転手さん、あなたの車は乗った人に将来を見せてくれるって聞いていますよ。表札みたでしょ。だったら行先ぐらいわかるでしょ。息子を困らせるようなことしたら・・。」

「はいはい。わかりました。でもそれならば電車で行ける距離ですよ。」

「お母様、怖い人ですね。」
「おじさんが怒らせるようなことしたからだよ。」

「でも、私にとっては僅かばかりですが仕事になるので良いのですが。」
「上に立つ人は下の人に仕事を恵んであげるんだよ。そうやって主従関係が生まれるわけだよ。昔からいうでしょ。駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草履を作る人って。」
「そういう意味での諺でしたかね?私は無学なもんで別の解釈をしていましたがね。まぁいい。・・・ということは、お坊ちゃんは駕籠に乗る人で私はそれを担ぐ人ということですか?」
「そうさ。」

「お坊ちゃんは生まれながらにして上に立つ人っていうことですか?」
「そうだよ。僕はそういう家に生まれたんだ。だからこうやって仕事を恵んであげてるでしょ。おじさん自分のこと無学だって言ったよね。おじさんみたいな職業じゃ学がないのも仕方ないね。僕は毎日東大生の家庭教師の下で勉強してるからね。」
「代わりに学校の宿題をしてもらったり、試験の答を事前に教えてもらったり、ですよね。」
「うん。おじさんよく知ってるね。でもそれのどこが悪い?僕を懲らしめようとか試そうとかすること自体ナンセンスなんだよ。そういうのは凡人同士の背比べ。その凡人の世界の背比べて的な宿題や試験に合理的にお付き合いしているだけさ。」

「なるほど。さすが毎日お勉強されているだけあって屁理屈はお上手ですね。」
「おじさん、屁理屈じゃなく理屈だよ。やっぱり頭悪いね。」
「これは失礼。私みたいな凡人だと思わず前を隠したくなることも、お坊ちゃんは堂々とご開陳になる。或る意味、天然・・で感心します。私よりもきっと大きなものが付いているのでしょうかね。ところで、お坊ちゃんの職業はもう決まっているということですか?あの表札の通り?」
「そうさ、特別な家柄ゆえの家業さ。」
「で、お坊ちゃんは、生まれながらにして駕籠に乗る人だとお母様から言われているわけですね?」
「そうだよ。この国にとって宿命の子だって。」
「ほぅ。それは凄い。釈迦かマホメットかキリストみたいですね。」
「また、過去の人と比較して!」
「人じゃなくて、どなたも神さまなんですが・・・」
「まぁ、比較したいんだったら吉田松陰か僕の祖父にしてくれない?」
「あぁ、あの昭和の妖怪ですね。私もちょっと前に、この車にお乗せしたことがありますよ。あんな化けもんでいいんですか?」
「母上に言いつけるぞ!おじさん。」

「ちょっと言葉が過ぎました。謝ります。ところで、担ぐ人とは具体的にどんな人ですか?私は無学なので教えてください。」
「そうだな。気配りする人かな。僕の家の使用人みたいに何も云わなくてもさっと椅子を引いたり、常に僕の顔色をうかがって黙ってても何でもやってくれるみたいなね。」
「だから便所でお尻まで拭いてもらってるわけですね?」
「そうさ、それが何か?」

「到着しましたよ。3分もかからなかったですね。」
「運転手さん、ここじゃないよ。もっと未来だよ。将来の僕に会って褒めてあげたいんだ。」

男は車のギヤをトップに入れてアクセルを吹かした。

「うん。あれ?随分とモダンな新しい建物になったね。ちょっと中に入って挨拶してくる。」

守衛が深々と挨拶をする中を子どもは建物の中に入り、しばらくすると車に戻ってきた。

「最高権力者になっていたよ。つまり首相ということ。約束されていたから当たり前だけどね。誰一人異を唱えないっていうことは僕が絶対者だからさ。超人といってもいいね。母上が言っていた通りの宿命の子さ。僕と同じ超人種がもっと増えるといいのにね。超人種を輩出する僕のような特別な家系以外は淘汰しないとね。凡人種は墓場の雑草のように役立たずで邪魔でしかないよ。」

「まぁとにかくご立派になられて、それもヒトラー並みの独裁者に。」
「おじさん、変な喩えはやめてよ。あんな馬鹿と比較されること自体、ナンセンス。あの頃と時代は違うよ。超人種はもっと賢いのさ。」
「それは失礼しました。私はつい過去と比較する癖がありまして。」
「僕は常に未来思考。過去なんてゴミ箱に捨てなきゃだめだよおじさん。だから凡人なんだよいつまでも。ところで、おじさんを雇ってあげようか?運転手か秘書のどっちがいい?今よりもいい生活ができるよ。」
「私は今のままで十分満足しておりますから。」
「凡人っていうのは上昇志向がないんだよね。あぁつまらない。」

「では、車をバックさせましょう。」
「おじさん、何で?もっと先にやってよ。大勲位菊花章頸飾を付けた僕に会いたいよ。」
「やめておきましょう。ガソリンが勿体ないですから。」
「勿体ない比較がおかしいよ、おじさん。でもまぁいいよ。それも決まっている将来だから。」

----

子どもを屋敷の前で降ろした。車を走らせてしばらくして男はハタとあることに気付いて車を止めた。

「あっ、しまった。大変なことをしたかもしれない」男はダッシュボードから写真帳を取り出した。
「やっぱり!一対一対応でお客様からは必ず写真をいただくことが前提なのに、あの子からは貰わずに乗せたということは、二対一、昨日の犬とあの子の将来が交配されたかもしれんぞ。」

車を車庫に返すと、車庫につないであった筈の白い犬が消えていた。
「さては逃げたかな?」

----

「畜生!あんな小坊主に鼻であしらわれて。俺は東大生だぞ。何で足し算引き算なんてやらせるんだ!」

「ワゥ〜」
「噛みやがったな。お前まで俺を馬鹿にしやがって!」と書生は犬の尻をひっぱたいた。
「あぁ、粗相しやがって。水っぽいの!床がよごれちゃったじゃないか!俺に道端で拾われたのに、そのご主人様に何たる態度だ!誰が飼ってたの知らんが全く躾がなってないな」と書生は本棚から畑正憲の単行本を取り出した。

「なるほど。犬っていうのは、本来群れ社会で主従関係を認識するということか!お隣の愛犬家にお願いして引き取ってもらおう。」

「あぁ、いいですよ。あれっ、どっかで見かけたことのある犬だな。まぁいいや。ちょうど、うちのピットブルのターゲットが欲しかったんでね。おい、ドナルド、お前に手頃な相手ができたぞ〜。しっかりタスクしてやれ。」

「犬同士の力関係でいえば、ピットブルっていうのは生まれながらにして犬世界の中では頂点にいますからね。絶対的な存在ですよ。だから、他の種類の犬なら先ず尻穴を舐めて恭順を示します。ほらね。」


(つづく)

タグ:黄泉交通
posted by ihagee at 17:49| 小説