
"海外メディアが驚愕 ⇒ つくばエクスプレス、20秒早く出発して謝罪" なるネット記事。
"「史上でもっとも、過剰に反省された20秒だったのでは……」(ニューヨーク・タイムズ)
「日本の鉄道会社は、ニューヨークの乗客が決して聞くことがないであろう謝罪を出した」(ニューヨーク・ポスト)
「20秒早く出発しただけで謝罪する東京の鉄道会社は、日本の最高の美徳だ」(サンフランシスコのスタン・イーさん)
「日本の電車の乗ったことがある人は、この話の意味が分かるだろう。なぜかイギリスではあり得ないけどね」(ロンドンのアンディ・ヘイラーさん)"
この記事は日本人が書いたものだが、その意味はわからない。近頃マスコミが垂れ流す「日本って素晴らしい」なる自我自尊・夜郎自大ブームの一つなのか?それはそれとしていい加減にしてもらいたいが、始終この手の「謝罪」を車内放送で耳にする私にとってその意味は、この日本という社会の問題を反映していると思えてならない。その問題を知らない外国人から「美徳」などと褒められて気をよくすべきことではないのである。
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さて、この手の「謝罪」の意味をどう理解するか?
日本人なら思い当たる筈だ。つまり、"そう言う側もそう言わせる側も、根本の部分で思考が停止"している。何気に謝罪し謝罪されるが、それがなぜ謝罪に値するのかわからない。つまり「何気」が支配している。もっと真剣に考えるべきことについて実は何も意識や判断が及ばない・思考が及ばないのである。それは政治の世界で顕著だろう。原発事故や"もりかけ"問題、憲法改正やらアベノミクスなど、忖度やら空気やら「何気」が充満し、その意味することの本質を誰も語らないばかりか、責任の在り処が有耶無耶とされ、その立場にある者が説明責任を果たすこともない。国会で国民(野党)が質問することすら無駄とされる。思考停止を安倍政治は国民に求めているに他ならない。「国難」が叫ばれた時代に「個人の思考や判断を停止」することを前提とする、大政翼賛政治が行われたことは歴史が証明している。その先は戦争。安倍首相がしきりに「国難」を叫び、野党(国民)の質疑時間を削ろうとしていることと符合しているではないか。"20秒早く出発して謝罪" とは、危険なサインなのだ。大げさに思われるかもしれないが、我々の小さな思考や判断の停止や無意識が重なって、やがてそういう社会を前提とする大政翼賛政治や国体政治が現れる。

つまり「美徳」でもなんでもなく、 "20秒早く出発して謝罪" を「何気」に当たり前とする "思考停止・意識なき社会" がその手の謝罪に象徴されているだけなのだと理解した方が良い。それを何の違和感もなく受け止める我々と社会。「意味のない反省」は実は根の深い問題を孕んでいる。
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"最近、首都圏の鉄道で僅か数分の電車の遅延でも車内放送で「深くお詫びもうしあげます。まことに申し訳ございません。」などと最上級の詫びが入るようになったのもある意味でこの判断・思考停止だと思う。鉄道会社の言い分だと、数分遅延しただけでも大迷惑な乗客も中にはいるかもしれず、些細なことであっても一言丁重に車掌が乗客全員に謝ることがマニュアル化されているそうだ。乗客同士の喧嘩や痴漢が原因で運行に支障が出ても、鉄道会社はそれらマナー違反の乗客に代わって「深く詫びる」ことになっている。挙句は、本来は乗客のモラルに委ねるべき車内マナーや所作まで、一々放送しなくてはならないのである。乗客同士も互いに注意し合うことに関わりたくない意識もあるのだろう。そう言う側もそう言わせる側も、根本の部分で思考が停止して、先ずはマニュアルとして言う・言わせている、社会が見えてくる。ある首都圏の私鉄では駅や車内放送のマニュアル集が一昔前に比べて三倍の厚さになったそうだ。個々の判断や思考はやめて、ついついお互いの合点や合意を求めてしまうのである。"(拙稿「<音>から考える - プラスとマイナス」)
(おわり)
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