
"国会での野党の質問時間削減問題で、自民、公明両党は「与党5対野党5」で配分することを野党に提案する方針を固めた。複数の自民党幹部が明らかにした。国政全般について議論する衆院予算委員会は「与党2対野党8」が現行で、野党側は拒否する構えだ。" (朝日新聞デジタル・11/9報)
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質問時間の見直しを指示したのは安倍晋三首相。「これだけの民意を頂いた。我々(自民党)の発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう」と首相官邸で萩生田氏に話したという。
安倍首相にとって野党の質問とは、「我々(自民党)の演説を邪魔するような行為」なのだろう。つまり、国会質疑の場すら「我々(自民党)の演説」の場に変えようとしている。安倍首相が指を突き立てた「こんな人たち」が野党で、「邪魔するような行為」が野党からの質問、安倍首相はつまり耳の痛いことなど聞きたくないという、幼児なみの駄々をこねているに過ぎない。ここ数年の首相も含め閣僚の国会質疑での答弁能力の劣化は甚だしいものがある。憲法論で野党から質問を受けても安倍首相はシドロモドロになるばかりか珍説を披露し、稲田防衛相や金田法務相(当時)にあっては自ら答弁する能力がないとまで認める有様だった。従って、質問すらお断りせざるを得ない程、首相をはじめとして閣僚の質が劣化し「野党からの質問で失態を晒したくない・恥をかきたくない」から「国会での野党の質問時間削減」をせよ、と首相が命じたというところが図星だろう。安倍首相の顔色がことさら優れなくなる、もりかけ問題を糊塗するには「国会での野党の質問時間削減」しかないワケである。
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国会とは内閣行政府の施政をチェックするためにある。衆院予算委員会の質疑がそのチェックであり、与党(自公)であっても本来党内民主主義があるのなら、安倍首相に対して耳が痛くなるような反対意見・質問を与党議員が突きつけても全く正常なチェック行為である。ところが、与党(自公)議員は提灯持ち・茶坊主・腰巾着ばかりで全くチェックの体すらなしていない。質問時間を持て余し安倍首相を個人的に讃えたり般若心経を唱えたり文学論をぶったりと、与党(自公)議員は実質的な質問すらせずチェック行為を放棄している。つまり国会(国民)を軽視している。
従って、実質的にチェックを行う上で、国会での野党の最大使命とは質問を行うことに他ならない。「議席数にあわせるべき(自民党)」となれば、その野党の最大使命を軽んじ質問を減らしチェックをさせないということだ。
「これだけの民意を頂いた」ことがなぜ「実質的な質問を減らしチェックをさせない」こととイコールになるのか全く理解できない。「これだけの民意を頂いた」のであればこそ、「実質的な質問を増やしチェックをしてもらう」つまり、耳の痛いことこそ謙虚に聞く耳を持つのが政治の常道である。
"一枚の舌に対して二つの耳、それ故に君がしゃべる分量の二倍聞け。 Two ears to one tongue, therefore hear
twice as much as you speak. (拙稿「一枚の舌と二個の耳」)"
という有名な諺、これが天下の常道。上に立つものの常識だろう。
その常道・常識の逆なる「二枚の舌に対して一つの耳、それ故に君がしゃべる分量を半分だけを聞く」では諺にもならない外道・非常識である。安倍首相の傲慢不遜さもここに極まった。
(おわり)
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