2017年11月09日

「いい国つくろう、何度でも」の主語



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(2011年9月2日の全国紙の朝刊全面広告・宝島社)


トランプ米大統領は日本に来る前、ハワイで"RememberPearHarbor"と呟き日本国の表玄関たる羽田や成田ではなく横田米軍基地に降り立った。米軍基地という日米地位協定上、我が国の主権の及ばない、つまり米国領土に我が国の外務大臣が「ようこそ」と笑顔で出迎え、巨大な星条旗を背に空軍のジャンパーを着込んで米軍人たちにまずは丁重に挨拶する。どれだけ不可思議な光景か今の若者は承知しているのだろうか?

第二次世界大戦敗戦国であるイタリア、ドイツ両国が冷戦後に大使館の土地以外の管理権を取り戻したのに対して日米地位協定は1960年以来、運用改善のみで一言一句改定されていない。このこと一つ米国に主張できず「日本を取り戻す」などと言うは笑止千万。だから、横田基地に降り立ったことを訪日とは言わない。川越の霞ヶ関カンツリー倶楽部のグリーンに降り立ったことを以って訪日であり、そんなフザけた訪日を斡旋した安倍首相の国家観は恥そのものである。外国の首脳であれば正々堂々と表玄関から入ることを言うべきだろう。過去訪日した米大統領は全て羽田を経て(我が国の法律に従って)<入国>をしている。だから、横田米軍基地を経てグリーンに降り立ったトランプは正確には<入国>すらしていない。米軍族と同じく入国審査を経ず(我が国の法律に従わず)に占領地を自由に歩き回ったことになる。天皇陛下が接遇するに当たってトランプ米大統領は国賓ではなく公式実務訪問賓客の身分と閣議了解したのも安倍首相は上述の後ろめたさを承知しているからだろう。

「戦後レジュームからの脱却」なる安倍首相のスローガンとは真逆の、占領下の日本に戻らんばかりの恥を安倍首相は受け入れたのである。

その恥を受け入れざるを得なかった米国占領下の日本は、1945年8月30日厚木飛行場に降り立った占領軍司令官ダグラス・マッカーサーの写真が示す通りである。我が国は未だ<真珠湾ー占領>の構図のまま、その構図に我が国の首相と称される者が最大限おもてなしを行いマスコミもこぞってこれを歓迎しているに他ならない。

3/11から間もない2011年9月2日の全国紙の朝刊などを見開きで飾った宝島の広告に異様さを感じ取った人は多い。その通り、広告から程なくして「日本を取り戻す」なる安倍政権が誕生した。「いい国つくろう、何度でも」の主語が岸信介⇨安倍晋三にとって米国(及び米国なる虎の威を借りた<日本主義>)であることは言うまでもない(拙稿「安倍晋三首相・座右の銘「至誠」が意味するもの」)。

「日本を取り戻す」なる安倍政権のスローガンの主語も米国であれば、安倍政権の諸政策にはそれなりに整合性が生まれる。おそらく祖父からの遺言なのだろうが、国家を国民ごと売ることだろう。中国も韓国もロシアも指導者は賢く立ち回り決して米国の駒になろうとしないのに、我が国の首相とされる者だけが駒に積極的になろうと腐心し、事実、北鮮に軍事的に対峙すべきは日本であると、トランプは北鮮問題を軍事的に解決すべき当事者は日本に他ならないといった発言をこのところ繰り返しているようだ。先の衆議院議員選挙で自民党に一票を投じた者に問いたい。米国傀儡政権の下で主権なき国民に堕して良いのか?憲法第9条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」は幣原喜重郎が対米隷属の我が国に残した奇貨というべき主権の砦である。憲法第9条に書き込んだ「平和の鍵(幣原喜重郎)」があればこそ日本は米国の軍事的な駒にならない国民の意思を曲りなりとも米国に示すことができるわけである(拙稿「憲法記念日・素晴らしい狂人」「"「日本国憲法自慢」はやめた方がいいです" はやめたほうがいい」)。

もし「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を改憲で全て捨ててしまえば(「平和の鍵」を捨てれば)、日本は米国の軍事上の橋頭堡、経済上の植民地(噂される米日FTAの交渉如何によっては関税自主権たる国家としての主権を手放すことになる=植民地・属領と同じ)に過ぎなくなるだろう。



それでも良いと安倍政権を支持する人々は思っているのだろうか?

(おわり)




posted by ihagee at 02:35| 政治