2017年09月18日

そもそも「百万本のバラ」なのか?



アラ・ブガチョワの「百万本のバラ」は1980年代に加藤登紀子が日本語(自身訳詞)でカバーし、貧しい絵描きの純情と叶わぬ恋の歌として広く知られている。

小さな家とキャンバス 他には何もない
貧しい絵かきが女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました

百万本のバラの花を あなたに あなたに あなたにあげる
窓から 窓から 見える広場を 真っ赤なバラで うめつくして

ある朝彼女は 真っ赤なバラの海をみて
どこかのお金持ちが ふざけたのだとおもった
小さな家とキャンバス すべてを売ってバラの花
買った貧しい絵かきは 窓のしたで彼女を見てた

百万本のバラの花を あなたは あなたは あなたは見てる
窓から窓から見える広場は 真っ赤な真っ赤な バラの海

出会いはそれで終わり 女優は別の街へ
真っ赤なバラの海は はなやかな彼女の人生
貧しい絵かきは 孤独な日々を送った
けれどバラの想い出は 心にきえなかった

百万本のバラの花を あなたに あなたに あなたにあげる
窓から 窓から 見える広場を 真っ赤なバラで うめつくして
(加藤登紀子訳詞)




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しかし、作曲も作詞(ラトビア語)も歌い手も全てラトビア人の手による『Dāvāja Māriņa(マーラは与えた)』が原曲であることを知っている人は少ない。


(『Dāvāja Māriņa(マーラは与えた)』)


ソ連モスクワ出身の詩人、アンドレイ・ヴォズネセンスキー(Андре́й Андре́евич Вознесе́нский)がラトビアの歌謡曲をソ連邦版(ロシア語版)とすべく、歌詞を全く違うものに置き換えて、プガチョワがヒットさせたのが「百万本のバラ」という。

しかし、元の歌詞は以下の通り、マーラなるラトビア古来の女神の教えをメタファーとして綴られた祖国愛(ソ連支配からの解放・回復)であり、「百万本のバラ」なる恋歌などとは全く違うことがわかる。

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子供のころ泣かされると
母に寄り添って
なぐさめてもらった
そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

時が経って、もう母はいない
今は一人で生きなくてはならない
母を思いだして寂しさに駆られると
同じ事を一人つぶやく私がいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」

そんなことすっかり忘れていたけど
ある日突然驚いた
今度は私の娘が
笑みを浮かべて口ずさんでいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
(訳詞:黒澤歩)

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ラトビア語の歌詞は、ロシア帝国・ソ連邦と常に大国によって支配され続けてきたことへの諦観の中のただ一つの拠り所(マーラ)を明かしている。

ところで、ヴォズネセンスキーの「百万本のバラ」に登場する「貧しい絵かき(加藤登紀子訳)」はグルジア(サカルトヴェロ(Sakartvelo.ogg საქართველო)・国際表記では「ジョージア」)の画家、ニコ・ピロスマニ (ნიკო ფიროსმანაშვილი 1862-1918)がモデルだとされている。

「百万本のバラ」はその歌唱とともにもっとも世間一般に膾炙された加藤登紀子の訳詞によって、貧しい絵描きの純情と叶わぬ恋の歌と我々は理解している。しかし、別訳(例えば、以下)ではソ連邦崩壊の足音を予感させるメッセージがこの「百万本のバラ」の歌詞にも秘められていると思う。

信じてくれますか ひとりの若者が
小さな家を売り バラを買いました
信じてくれますか 嘘だと思うでしょう
街中のバラを あなたに贈るなんて
 
バラを バラを バラをください
ありったけのバラをください
あなたの好きなバラの花で
あなたを あなたを あなたを包みたい

バラを バラを バラをください
百万本のバラをください
ぼくの ぼくの ぼくのこの命
あなたに あなたに あなたに捧げましょう

貧しい絵描きの僕に できるのはひとつ
何もかも捨てて あなたを思うこと
誰も知らない 心のささやきを
花びらに添えて あなたに贈りましょう
(松山善三訳)


(歌:仲代圭吾=俳優仲代達矢氏の実弟)


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「信じてくれますか」「嘘だと思うでしょう」は加藤訳にはない。
ヴォズネセンスキーが「百万本のバラ」で「ひとりの若者」にピロスマニをイメージしているのであれば、ピロスマニの生き方をある意味で重ねることができるのはこの別訳の方かもしれない。もしかしたら、松山善三氏が訳詞を超えてそこまで求めて創作した部分があるのかもしれない。

グルジアという呼び方自体がロシア風であり、ラトビアと同様に帝政ロシア〜ソ連邦〜ロシアと常に大国によって支配され続けてきたサカルトヴェロの歴史がある。

「グルジアを知ることはピロスマニを知ること」はシェンゲラヤ監督の言葉で、「放浪の画家」はロシアの画壇を中心とする中央社会からの見方であって、ピロスマニ自身は何一つ変わっていないことがその映画作品『放浪の画家ピロスマニ』では描かれている。この点は拙稿(「フレクサレットからティッシーを経てティヒェーに至る話」)で触れた「孤高の隠遁者」ミロスラフ・ティッシー (Miroslav Tichý)と同じかもしれない。彼の生きたチェコスロヴァキアもソ連邦によって抑圧蹂躙された国家だった。



「その"報われない恋"から名曲『百万本のバラ」が生まれた」なる配給会社なりのキャッチコピー的なクレジットが入るが、私はちょっと違うと考える。

「"報われない恋"などではなく"今は一人で生きなくてはならない"ことこそ我々が知るべき主題(『Dāvāja Māriņa(マーラは与えた))であって、サカルトヴェロもラトビアと同じこの主題を共有している」ということではないだろうか。それは別歌詞で生まれた「百万本のバラ」にイメージされたピロスマニが奇しくも両国民に主題の橋渡しをしているからだ。

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ピロスマニを映画で描けば『放浪の画家ピロスマニ』となるように、音楽で描けばスルハン・ナシゼ(სულხან ნასიძე 1927-1996)が1977年に作曲した交響曲第5番(ピロスマニ)となる。


(カヒッゼの名演(拙稿「ロシア機墜落で失われたもの」))


ソ連邦下のグルジア(サカルトヴェロ)の大作曲家であったナシゼの20分足らずの曲で、時折繰り返される喧騒にあっても巻き込まれることなく自分の足音に耳を傾ける主題がある。それは明らかに"今は一人で生きなくてはならない"にあるように聴こえる。

この主題は今日、われわれにも突きつけられている。そう実感する社会である。

(おわり)

posted by ihagee at 13:42| 音楽