2017年10月02日

似た者同士(安倍首相・小池都知事)



衆議院議員選挙が近い。
安倍首相(自民公明)と小池東京都知事(希望+α)の対決?構図となりそうだが、党内民主主義を持たない(党内議論を排除する)似非保守同士の右傾化(共にバックボーンに日本会議を持つ)の背比べであって、対決ではなく実質に於いては併立構図である。当然、野党としての対立軸を一切もたない(小池氏の過去の変節を知れば、原発ゼロといった争点は今だけ掲げ、選挙が終われば下ろすことだろう・消費税10%引き上げ凍結も安倍首相が2019年10月の引き上げを確約しない上は結果として争点とならない)、単にリベラル勢力を国政から駆逐するための企みにしかみえない。戦争に突入していった戦前の思想統制と全与党の政治体制に似てきた(共産党をはじめとする「野党」なるものは治安維持法下(現「改正組織的犯罪処罰法=共謀罪法案」)、非合法組織として排除された)。

どなたかが『国民は冷静になって、「排除」「選別」なんてことを平然と口に出す政治家が与党になって国家権力を握ればどうなるか想像してみればいいと思いますよ。自分の思想や考えと合わない国民も「排除」「選別」されるってことですよ。それがどういう未来かよく考えたほうがいいと思う。』と言っていた。

〇〇ファーストなどと言っていた時点で、「排除」「選別」をモットーとする差別主義者だと薄々感じていたが、「こんな人たち」と国民に向けて指を突き立てる安倍首相と全く同根。

安倍政権の継続を断つために、希望なる「毒を持って毒を制する」どころか「毒に毒を盛る」絶望にしかならないだろう。希望の党の中には「安倍首相の交代は許されない」と主張する有力者(中山成彬氏・こころ)もいることから、希望の党が衆院に議席を取れば、北朝鮮動静などを利用して安倍自民と連携し連立挙国一致内閣への道を探ることも考えられる。一つのまともな議論も経ずに改憲・核武装・軍拡へと一挙に傾斜するだろう。そうなれば「毒に毒を盛る」ことだったとあとで我々は気付くことになる。毒を盛られるのは彼らにとって「排除」「選別」すべき思想信条の人々、つまり安倍政権(+小池政治)に明確な考えを以って反対する人々(国民)である。

10日公示の選挙までになんとしてでも、与党への明確な対立軸と争点を持つ野党の再結成を強く願うものである。

追記:
『戦争法制・憲法改定で「踏み絵」を踏ませるなら、小池国政新党は、完全にあちら側の勢力ということになる。保保 対 革 の構図で総選挙が展開されることが、主権者にとっては何よりも分かりやすいものになる。結果的には、望ましい方向に選挙図式が構築され始めていると言える。』(植草一秀氏)

小池新党(希望の党)に関して「踏み絵」という言葉がネットで踊っている。小池氏自身が「踏み絵を踏ませる」と言ったかは知らないが、排除・選別を文字に示した小池百合子代表宛の「政策協定書」はまさに「踏み絵」であり実に不快である。『田中角栄が「お前たち、田中の批判をして出てこいよ」と田中派の議員に言ったことを覚えている』と石破茂元自民幹事長は言うが、自民党でさえその昔は党内民主主義は機能していた。安倍自民と希望の党に共通するのは党内の批判すら排除する動きだろう。

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思想信条の「踏み絵」が過去史学的に肯定評価された試しはない(拙稿「我々に再び、踏絵を踏まさせるのか(教育勅語について)」)。それどころか、すべて思想弾圧・独裁・強権・非寛容・差別主義と同義であり続けている。それが肯定された時代はことごとく戦争を前提とする翼賛政治と繋がっている。安倍自民や希望の党が「踏み絵」を必要とし、そういう彼らに安易に一票を投じることが正しいことなのか、歴史から我々は正しく学ばなければならない(拙稿「私たちはどこまで階段を登っていますか?」)。虫けらのように彼らに踏み潰されるのはそうやって彼らに何気に一票を投じた国民に他ならないからだ。

政策綱領を発表するに至って、小池百合子代表の希望の党がいかに安倍自民と共通項を持っているか判然とした。すなわち、憲法改正が第一の共通項であり必要であればそのために連携(連立)も視野にあると言う。そうなれば戦前の翼賛政治(「一国一党」体制)の復活となりかねない(政党解散・大政翼賛会・日独伊防共同盟(1940))。歴史はその先に戦争があることを証明している(拙稿「私たちはどこまで階段を登っていますか?」)。

「第二自民」とのマスコミからの指摘に対して小池代表ははっきり「第一自民」を目指すと言明した。つまり、野党を標榜しながら実質は公明党と同じく翼賛にすぎない。いまや、国政選挙すら彼らにとっては国体(政体)の秩序や利害を取り繕う<体裁>に過ぎなくなった。

ただの<体裁>だから衆議院解散・衆議院議員選挙の大義を安倍自民は明確にできない。後付けで色々と言うだけである。

国政選挙を彼らの<体裁>に供することなく、政策や理念で明確な対立軸を持って野党として国民のために立つ政党を我々は選択すべきであろう。


以下、ブログ記事を再掲載したい(後半部分が小池氏の話題)。

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日露共同記者会見(平成28年12月16日)での両国首脳の発言を以下抜粋比較する。

安倍総理発言:

私たちの話合いの進展を70年以上もの長きにわたり待ち続けている人たちがいます。かつて択捉島、国後島、色丹島、そして歯舞諸島に住んでいた元島民の皆さんです。その代表の方々から今週、直接お話を伺う機会を得ました。元島民の皆さんの平均年齢は既に81歳を超えています。「もう時間がない」。そう語る元島民の皆さんの痛切な思いが胸に突き刺さりました。島では、終戦直後、つらい出来事もありましたが、日本人とロシアの人々は言葉の壁を越え、共に助け合い、友情を育み、共に暮らしていたそうです。離れ離れになってからも、様々な制約の中で元島民の皆さんと島に住むロシアの人々が交流を深めてきた事実も伺いました。「最初は恨んでいたが、今は一緒に住むことができると思っている」。そう語り、北方四島を日本人とロシア人の「友好と共存の島」にしたいという元島民の皆さんの訴えに、私は強く胸を打たれました。相当高年齢になられた元島民の皆さんが、自由に墓参りをし、かつてのふるさとを訪れることができるようにしてほしい。この切実な願いをかなえるため、今回の首脳会談では、人道上の理由に立脚して、あり得べき案を迅速に検討することで合意しました。そして、戦後71年を経てもなお、日本とロシアの間には平和条約がない。この異常な状態に私たちの世代で、私たちの手で終止符を打たなければならない。その強い決意を、私とウラジーミルは確認し、そのことを声明の中に明記しました。

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プーチン大統領発言:

安倍総理の求めを考慮に入れ、外務省に対し、日本国民が自身の親族の墓を訪問する制度の簡素化の可能性を議論するよう指示しました。

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旧島民の墓参の想いを借りて安倍首相(総理)はセンチメントに言葉を重ねているが、北方領土という複雑な外交問題が次元の異なる「元島民の皆さんの訴え」に縮められていた(誤解してもらいたくないが、元島民の墓参がどうでもよいことだと私は言うつもりは全くない)。

安倍首相にかかると憲法でも何でも複雑な問題ほど、過去から先人たちが積み上げた論考をバッサリと切り捨て、搦め手を使ったり(拙稿「<搦め手>好きの安倍首相」)全く異なる次元のファクターを混ぜて二値的に単純化してしまう傾向が強い。そういう安直なショートカットをする際に決まって「未来志向」と彼は言う。「未来志向」とは聞こえが良いが、つまりは過去の経緯を詳らかに調べ自ら考えぬく能力が安倍首相にないのだろう。北方領土問題も彼にかかれば「元島民の皆さんの訴え」にサラッと縮まるのである。

安倍首相が勝手に単純化した問題について、プーチン大統領のステートメントが短く事務的なのは当たり前。彼が言葉数を多くするのは複雑な問題に応じるときのみ。安直で的外れな質問について「それが何か?」と言葉を無用に遊ばせず、一見素っ気ないのも頭脳明晰な証だろう。一転、核心に迫る質問には立て板に水と言葉を惜しむことがない。プーチン大統領然り、過去の日本の宰相では宮沢喜一氏(彼は英語で思考できた)がそうだった。

墓参なる元島民の心情が領土問題解決の端緒となると思い込んでいるのは日本側だけであって、ロシア側は「相当高年齢になられた元島民の皆さん」の願いは<時限的なもの>であると怜悧に判断している。日本の法律の下、日本国民として北方領土に居住し生活する者(現島民)はいないからだ。

日本側は日本の法律の下で北方領土に居住し生活する日本国民(新島民)をロシア側に認めさせるよう最初から(近)未来形で話を切り出さなくてはならなかったのに、元島民という(近)未来完了形(いずれは終わる話)で語りかけたところに大きな間違いがあった。そして、同じく未来形で切りだすのであれば、ロシアが占領地(わが国からすれば北方領土)に公然と行う入植活動への停止を日本側は強く求めなくてはならない。ところが、更なるロシア人入植を促すかの如く経済支援の手を差し伸べるという重大な過ちを日本側は犯した。ロシア側の既得権益について日本側は未来形で応接していることになる。これでは「北方領土」を早晩主張することもできなくなるだろう(イスラエルのガザ地区への入植問題と同じ)。

ロシア側からみれば、元島民の墓参なる時限的且つ単純な約束と引き換えに、日本の経済援助で北方領土における将来に亘る既得権益を一層強固にする手がかりを得たということになる。プーチン大統領の短い言葉にあるように、墓参し易いようにロシア側は法制度の簡素化を「指示しました(プーチン大統領)」ということだけで、日本側からエネルギー開発や医療などの分野を中心に総額は3000億円規模の投資(民間中心)を引き出したことになる。ロシア側は北方領土に関して、主権を含め1ミリも日本に譲っていないから、投資話がたとえ頓挫しようと失うものはない。事実、対日協議と関係なくロシア側は北方領土の特区開発を進める方針を明確にした。第三国企業の北方領土への進出も促すようだが、こうなると日露間だけの「特別な制度」やその交渉枠は無実化する可能性が高い。

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北方領土が「巨大な冷蔵庫」のままであれば、ロシアは手離すことも有り得た(帝政時代のロシアがアメリカ合衆国に売却したアラスカは当時「巨大な冷蔵庫」と呼ばれる経済的に無価値な土地だった)。「巨大な冷蔵庫」のままにしておくことが、北方領土交渉の日本側のスタンスだった。

ソ連邦崩壊直後の経済恐慌下エリツィン政権の北方領土の扱いはそうだった。ロシア中央政府への経済援助と引き換えであれば辺境の「巨大な冷蔵庫」の交渉は有り得たかもしれない。当時、ロシア系の北方領土島民も経済苦から主権の日本への帰属を望んでいたともされる。

ロシア側の利になると判っているから、過去の自民党政権は領土交渉でロシア側から主権を取り戻さない限り「巨大な冷蔵庫」に食べ物を詰め込もうとしなかった。しかし、「故郷(山口)に錦を飾る」引き換えなのか安倍政権は詰め込む話を持ち出して利を先にロシアに渡してしまった。ロシアが日本の経済支援を呼び水に第三国に対して「巨大な冷蔵庫」の蓋を開けてみせるようでは、日本のプライオリティなどあっと言う間になくなってしまうわけだ。

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さて、話は変る。

東京都の小池百合子知事が、都立横網町公園(墨田区)で9月1日に営まれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったことが分かった。追悼文を断った理由について、都建設局公園緑地部はマスコミの取材に、都慰霊協会主催の大法要が関東大震災の9月1日と東京大空襲の3月10日に開催されることを挙げ、「知事はそこに出席し、亡くなった人すべてに哀悼の意を表しているため」と説明。

追悼碑を巡っては、今年3月の都議会一般質問で、古賀俊昭議員(自民)が、碑文にある六千余名という数を「根拠が希薄」とした上で、追悼式の案内状にも「六千余名、虐殺の文言がある」と指摘。「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めた。これに対し、小池知事は「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁しており、都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めた。また、都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。

追悼式が行われる横網町公園内には、73年に民間団体が建立した朝鮮人犠牲者追悼碑があり、現在は都が所有している。

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そこには「あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた」と刻まれている。式を主催する団体の赤石英夫・日朝協会都連合会事務局長(76)は「犠牲者数は碑文の人数を踏襲してきた。天災による犠牲と、人の手で虐殺された死は性格が異なり、大法要で一緒に追悼するからという説明は納得できない」と話した。

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「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できない」というのなら、人数の多寡によって「虐殺」でないとでも言うつもりなのだろうか?殺害の犠牲者が一人ないし少人数でも、非民主的な権力体制により残虐に殺された事件(官憲による集団暴行、拷問死など)については虐殺と呼ぶのが今や国際社会の常識。さらに言えば「追悼の辞の発信を再考する」ことが、数を理由にホロコースト見直・修正・否定する考えに基づいているのであれば「ヘイトスピーチの一種」と国際的に見做される。

ドイツの政治家がユダヤ人のホロコーストの犠牲者が実際には少ないと主張し「通説」否定を公言しようものなら即座に政治生命は終わるだろう。国際社会で敢えて「(虐殺の)通説」に疑義を唱えるのであればそれ位の覚悟が必要である。その覚悟がどうやら日本の政治家にはないらしい。軽々しく歴史を修正にかかる傾向がこの頃顕著になってきた。

古賀俊昭議員(自民)は、碑文の人数を「通説」とすることの立証は十分ではないとして、その見直しすべき(追悼の辞の発信を再考すべき)との立場を取っているようだが、そういう立場に限って「矛盾点」をあげつらい「歴史がゆがめられた」と主張するばかりで史学的な検証姿勢を持っていない。

もしその通説すらない風説ならば、吉村昭氏は「関東大震災」の朝鮮人虐殺に80頁余もフィクション(空想)を書いたことになる。具体的に綴ることができるだけの「通説」と呼べるだけの史学的な検証があるからこそ克明にその場面が描き出されているのである。小池都知事は果たしてこのページをフィクションとして読むのだろうか?

震災の混乱に乗じた大杉栄一家の虐殺(甘粕事件)があっても、朝鮮人への虐殺行為が一つとしてなかったなど誰が信じようか?殺されたのは日本人だからあったことにし、朝鮮人だったらなかったことにするのならそれこそレイシストである。

「通説」に唾を吐くこのヘイトスピーチまがいの否定論者の行動パターンは
「あらかじめ決めていた結論に一部分の事実をはめ込み、逆にその結論と矛盾する事実はすべて無視し」「小さな誤認や食い違いを、歴史をひっくり返す大発見とはやし」「当時は不可能だった対応がなかったのはそれがなかった証拠とし」「相手には厳密な証明を求めるのに、自分の意見には因果関係を証明せず、ハーフトゥルーズの世界をつくりあげる」(滝川義人氏指摘)だそうだが、少なくとも古賀俊昭議員(自民)はこの行動パターンに当て嵌まる。

2020年のオリンピック・パラリンピック開催都市の長であれば、古賀俊昭議員(自民)のこの行動パターンに安易に理解を示してはならない。「ファースト」思考に異常な関心を寄せる小池都知事には、政治の世界での極右・排外主義の国際的ブランドネーム「○○ファースト」へのシンパシーが懸念されている。

「ファースト」はトランプ大統領の好んで用いるフレーズであるばかりか、各国で排外主義を標榜する政党・団体が使用し、イギリスの欧州連合(EU)離脱や右派政党の台頭の際にも用いられている。

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「ファースト」が「大日本主義」の翻訳であり、その大日本主義を標榜する日本会議をブレーンに南京虐殺や朝鮮人従軍慰安婦の「通説」の否定論者である安倍首相と、小池都知事は同じ危険な考えの似た者同士ではないかと最近私は疑っている(拙稿『安倍晋三首相・座右の銘「至誠」が意味するもの。』)

(おわり)

posted by ihagee at 03:11| 政治