2018年08月09日

沖縄の人々は本土の<防人>なのか?


翁長知事が亡くなった。深く哀悼の意を表します。

日本(ヤマト)の防人となる沖縄人(うちなーんちゅ)で良いはずがない。
憲法の下、同じ日本国民であるはずなのに、沖縄人を人間の盾(防人)、沖縄を『力強い砦』と犠牲にして「日本を盛り立てる」なる考え方が差別主義である。差別主義者が安倍政権のバックボーンとなっている。善隣外交を基調とし盾や砦を取り除くことが第一義に求められそれは政府の責務であるにもかかわらず、その責務を政府は放棄するどころか歴史問題などで周辺諸国と徒らに軋轢を作っている(御用新聞たる産経・読売新聞に至っては嫌韓・反中感情を徒らに煽っている)。

その政府の無責任のツケを沖縄に全て押し付け、やれ盾となれ砦を築けと命じ、それが「日本を愛するという気持ち」だと平然と言ってのける。逆らえば干す(いじめ)。これが差別主義でなくて何だろうか?「安全安心」な筈の原発をその電力の最大消費地たる東京に作らず、福島に作った挙句、大事故を引き起こしその結果ごと「(東京に)影響は及ばない」と切り離し、踏み台にし、復興すべきは東京にありと、東京五輪を嬉々として開こうとする差別主義と同じだ。中央と地方との経済格差など差別を前提とする原発など必要としない社会を築くことが政府の本来の責務であるのに、差別をむしろ助長する原発を動かし続ける。これは日米地位協定など差別を前提とする米軍基地を沖縄に押し付け続ける政府の姿勢に通じている。基地の存在が前提の沖縄振興費であって、基地の存在を必要としない振興費を考えようともしない中央政府の沖縄に対する押し付けありきの姿勢でもある。

沖縄が米国との矢面に立たなくてもすむように、沖縄県民の民意を米国と真剣に話し合って基地解消に努めるべきは政府である。ところが、その政府(安倍政権)は米国の代弁者でしかない。「どこの国の総理大臣か?」と問われる中、亡くなられた翁長知事は常に沖縄のために身を粉にした。安倍総理大臣は自らの恥を知るべきだ。

基地(武力)が必要だ、原発(核)が必要だ、と声高に言う者ほど、その負担責任を他者(地方)に押し付ける。差別主義を是とし続ける安倍政権。「日本国・日本人」なる括りで、マイノリティに権利を言わせない風潮を作り上げ、それに逆らうものを「非国民・土人」と呼んで憚らない「上から目線」がこの政権には諸政策においてみることができる。

以下、ブログ記事を再掲したい。


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「中国の脅威の最前線に否応なく立たされている沖縄を『力強い砦』にしないといけない」「中国に侵略されないような『防人』になって、もう一回、日本を盛り立てる」。(2014年11月9日、沖縄県豊見城市での講演での櫻井よし子氏の発言)

「『琉球新報』、『沖縄タイムス』の記事は『日本を愛するという気持ちはない』としか読めない」「本土の比較的まともな『産経新聞』とか『読売新聞』みたいな新聞が、ここでも定着していくといい」とも発言している。
(引用:週刊金曜日ニュース

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さだまさしの<防人の詩>

おしえてください、
この世に生きとし生けるものの
全ての命に限りがあるのならば、
海は死にますか?山は死にますか?
春は死にますか?秋は死にますか? 
愛は死にますか?心は死にますか?
私の大切な故郷もみんな逝ってしまいますか?

この詩は万葉集に収められた一首に基づいている
鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼

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鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ(死許曽)海は潮干(しほひ)て 山は枯(か)れすれ、つまり、死ぬからこそ、海も山も死ぬ、と万葉の名もない詠み人。

あなたが死ぬからこそ、愛も心も故郷もみんな死ぬ、とさだまさし。

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「日本を愛するという気持ち」があるならば、<防人>などになって死のうとしないことだ。誰かを<防人>に仕立てて死なせないことだ。死を前提とした国家観ならそんな国家も死ぬ。先の大戦で沖縄が本土の<防人>となって神国たる日本(本土)は海神(わたつみ)や山神(やまつみ)の加護を得られたか?否、ただ敗けて焦土となっただけである。「正しい狂気があるもの」と若者を洗脳して体当たりさせた特攻も神風の一つ吹かず「日本を愛するという気持ち」なる「死に狂い」に過ぎなかった。

本当の意味での「日本を愛するという気持ち」があるならば、話し合いを基調とする外交こそ求められることである。戦後のわが国の外交はこの無手勝流に徹した。武器を持たない・使わないからこそ極めて高度な対外交渉術・言語能力が閣僚・官僚に要求されてきた。しかし、その術や能力に劣りまたそのための刻苦勉励よりもお友だちとのゴルフや会食に勤しむ安倍首相には「無手」に武器を持つことの方がよほど楽なのだろう、この基調をあっさりと放棄しようとしている。隣家の火事話のポンチ絵程度の喩えで、集団的自衛権の武力行使の国民への説明が済んでしまうのだから、武器を使う話は使わない外交交渉よりアタマを使わずに済む。

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沖縄を含め日本列島全てが有事に於いて米国の軍事の砦・人間の盾となることを前提とする日米安保協定で日本列島の地政学的位置関係は米大陸にとって弾除けとの意識からか、逼迫する米朝情勢に関連してトランプ大統領は「戦争は朝鮮半島、日本で起こる。多数の死者が出るのはそちらであり、米国では死者は出ない」と述べている。

米国民にとって日本国民が<防人>扱いであるから日米地位協定が存在し、日本においては沖縄の人々が本土民の<防人>扱いであるから、地元紙はまともでないとか本土の新聞(産経・読売)を読めといった上から目線の櫻井氏のような発言が頻出する。マトリューシュカのような入れ子のヒエラルキーだ。

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沖縄の人々に軍事の砦・人間の盾になれと高説を垂れる櫻井よし子氏にはさだの<防人の詩>の歌詞は、同じ万葉集の<海行かば>と同じ「大君の 辺にこそ死なめ(大君のお足元にこそ死のう)」と聞こえるのだろうか?そのメロディーは「日本を盛り立てる」軍歌調に聞こえるのだろうか?

(おわり)


posted by ihagee at 17:33| 政治