監督・脚本:松島哲也、原作:田原和夫、主演:田中泯、夏八木勲の映画「ソ連国境15歳の夏」は2015年8月に劇場公開された。
敗戦色が濃厚となっていた昭和20年5月28日、旧満州の新京(現中国東北部・長春市)にあった旧制新京第一中学校からソ満国境の東寧報国農場に動員された学徒(当時:中学3年生=15歳)126人がソ連の侵攻に遭遇し必死の逃避行をした史実に拠っている(同農場には新京一中から動員された学徒とは別に14歳から17歳まで140名余の農場隊員がいたがその多くは非業な死を遂げたとされている)。動員された時点で国境に友軍は存在しないにも拘わらず、なぜ青少年を動員したのか?列車は不通となり、国境線の戦闘が終ったあと中学生たちは広大な大陸を歩いて新京まで帰ることになるが、伝染病と餓え、寒気、そしてソ連軍の銃火と中国人の憎悪の下、彼らは70余日の避難行をし、乞食姿の幽鬼の有様で新京へ辿り着くものの、4人が途中で亡くなったとされる。
その新京第一中学校の第6期生に私の父がいた(1943年同校卒)。4期下の後輩たちが上述の学徒動員に駆り出されたことになる。

(新京第一中学校入学・右=父)
新京第一中学校は優秀な教師陣を揃え満州でトップクラスの学舎であった。父の3期下にはその後、英文学(シェークスピア)の大家となられた小田島雄志氏がいた。
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第6期生(1938年入学〜1943年卒業)、即ち、大正13年〜14年生まれは、昭和という時代を丸ごと人生としている世代でもある。その多くが社会の第一線を退いた頃、父が幹事となって学友および当時存命であった恩師と連絡を取り合って、卒業40周年(1983年)、50周年(1993年)及び60周年(2003年)の節目毎に6期会の記念文集を発行した。いずれも100頁程の小冊子である。父は退職後パソコンを能くしたので50、60周年のテキストの打ち込み・編集も受け持った。
寄稿された文章は、内地に引き揚げた後の職歴や現況を綴ったものも多く、新京や中学時代の想い出に傾斜した内容ばかりでない点は興味深い。10年を経る毎に文集末尾に掲載の物故者名は増え逆に連絡用の住所録は薄くなり、父も重い病を得て70周年(2013年)の寄稿・編集に加わることなく、2015年の春に鬼籍に入った。母もその後を追うようにして3か月後に旅立った。
文集は遺品として今、私の手元にある。
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「朝に紅顔あって世路に誇れども 暮に白骨となって郊原に朽ちぬ(朝有紅顔誇世路)」と人生の儚さや無常を私なりに思うばかりであるが、寄稿文を「老人は夢を見、若者は幻を見る」と聖書の一節(ヨエル書第三第一節)で締めくくった方がいた。
神様の思し召しに従って人生を充実させ旅立つことを夢に見るのは老人である。父も母もそうであったろう。その啓示を知らずに俗世の支配者に幻を追わされて犠牲になるのはもっぱら若者だ。五族協和や王道楽土といった理念が最後は幻に化けて青少年までも死地に追いやったのである。
それらの理念に共鳴し中国の人々と同化し大陸に骨を埋める覚悟で渡満した人々の後から、理念を阿漕に用いようと政治家や軍人がやってくれば、初めはどんなに高尚な理念も一夜にして幻に変る。そしてあとからやってきた政治家・軍人は卑怯にもソ連兵から彼らを守ることなく一目散に逃げていた。
ソ連侵攻に先だって、軍及び政府関係の日本人家族だけが特別編成の列車で新京を離れたとされている。軍人及び政府関係者たちは明白な「棄民」を行った(映画では別のテーマ=原発事故被災者と重なっている)。軍中央も政府も、承知していた。「お友だち」だけが優遇されるのは今に始まったことではない。取り残されたのが東寧報国農場の隊員・学徒である。私の父は軍隊に召集されこそしなかったが、ソ連兵の略奪に遭い命からがら身一つで内地に引き揚げた。市民よりも先に一目散に逃げた政治家(岸信介)の孫が安倍晋三首相であり、「この道しかない」などとまたぞろ理念と称して祖父と同じく幻を若者に見せているのである。遺影の向こうから父がそう私に告げているようでならない。
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映画「ソ連国境15歳の夏」の中では、中国人として骨を埋める覚悟をした村長(田中泯演ずる元動員学徒の一人)が登場する。理念を幻にしないばかりか、残留孤児の養父養母と同様、被害者が加害者を助けるシーンはこの映画のハイライトとなっている。なお、この映画は名優・夏八木勲の遺作ともなった。
戦後70年の安倍談話「先の大戦に関して将来世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」の出典は殴られた者(周恩来)が殴った者(日本国民)に与えた赦しの言葉に他ならない(日中国交樹立時)。
「忘れ難き歳月」という冊子は、日中国交樹立に関わった両国の政治家の決意が綴られている。岸信介・佐藤栄作については日中関係改善に極めて否定的な立場でしか綴られていない。そして「先の大戦に関して将来世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない(安倍首相)」の言葉は、周恩来首相(当時)の言葉がその出自であることが判る(同書73頁〜74頁)。安倍首相はこともあろうか日中和平を絶対前提として賠償請求権を放棄した上に唇を噛み締めながらも周首相が述べた「殴られた者」からの赦しの言葉を主客を逆さに解釈し韓国との従軍慰安婦問題で勝手に流用し、さらに「靖国」に代表される嫌中の前提で用いたことまで、この冊子に照らすとわかる(第一次安倍政権で日中関係改善に努力しておきながら、変心したかの如く第二次・第三次安倍政権は中国との間に緊張関係を作ることに全精力をつぎ込むあたりも含めて)。
日中和平・友好を誓うがゆえに「殴られた者」が我々に与えた言葉、そして「殴った者」からは決して出ようもない言葉を、我々、殴った者がその言葉をわが物のように手前勝手に用いてはならない筈なのに、安倍首相、即ち、殴った者の孫が赦しの主体を挿げ替えて勝手に用いる。その傲慢且つ偏狭さは、この映画のハイライトに照らせば一層のこと炙り出される。父が存命であれば「先の大戦に関して将来世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」なる安倍首相の戯言にどれほど憤ったことだろう。
(おわり)
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