2017年06月21日

不安による支配(不安ファシズム)が安倍政治の原動力


社会不安を増幅し不安による支配を扇動する機関と化した産経新聞が「個人のテロ」も危ないから「共謀罪」だけでは不十分で電話などの盗聴もやれと言い出した。個人のプライバシーなどもうどうでも良いとの記事である。個人の内心の自由を保障する憲法を足蹴にするような記事を平気で書く産経新聞社こそ「共謀罪」が適用される対象ではなかろうか(産経記事『個人のテロ、対応できず 「犯罪前の通信傍受」議論置き去り』)。

追伸:内閣官房がついにテレビCMで不安を扇動し始める。異常極まりない!安倍政権の支持率低下に合わせて「不安ファシズム」を強化し始めるようだ。北のミサイルの脅威を徒らに煽ることで、国民の心理まで支配しようとする魂胆。

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<共謀罪の趣旨を含む>組織犯罪処罰法改正案が参院本会議で成立した。議論でなく時間と数が決めるのなら良識の府とは全くの名折れ。議会政治に泥を塗った与党(自公維)の責任は万死に値する。

安倍首相は、「テロ等準備罪(共謀罪)を成立させなければ、テロ対策で各国と連携する『国際組織犯罪防止条約(TOC条約)』が締結されず、2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催できない」と主張してきた。

各国が立法作業をする際の指針とする国連の「立法ガイド」を執筆した刑事司法学者のニコス・パッサス氏は、TOC条約については「組織的犯罪集団による金銭的な利益を目的とした国際犯罪が対象」で、「テロは対象から除外されている」と指摘し、さらに「条約はプライバシーの侵害につながるような捜査手法の導入を求めていない」と述べていることからも、安倍首相の主張には何ら合理的裏付けがない。

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ここで、あえて百歩譲って「テロ対策」として<共謀罪の趣旨を含む>組織犯罪処罰法改正が必要であるとしよう。幸い、「(各国と連携を要するような)テロ」と見做されるような事件は日本国内に於いて過去発生していない。他国でのテロの準備段階又はそれ以前の合意などがわが国においてなされた事例も知らない。中東や欧米での「テロ」の震源がわが国であった事例も知らない。国際「テロ」に関係する人物がわが国に潜伏し摘発された事例も知らない。安倍首相がオリンピック招致段階で言い続けた通りわが国が「(テロの脅威において)世界一安全な国」であることに変わりはない。剣豪の塚原卜伝が、渡し船の中で真剣勝負を挑まれた時、州に相手を先に上がらせ、自分はそのまま竿を突いて船を出し、「戦わずして勝つ、これが無手勝流」と、その血気を戒めたという故事があるが、軍事的に関わらず話し合いを基調とするわが国の外交戦略が国際テロを日本国内に呼び込まずに済んだとも言える(安倍政権はこの実績ある無手勝流を放棄し、テロリストと真剣勝負をするつもりらしい。ISILによる日本人拘束殺害、ダッカ・テロ事件での日本人犠牲者は血気を呼び込んだ結果と言える)。

「(各国と連携を要するような)テロ」の事例はイラクやアフガニスタンなどの紛争当事国を除けば、先年のアメリカ(オーランド・ナイトクラブ)、ベルギー(ブリュッセル地下鉄駅・国際空港)、フランス(ニース・花火会場)、ドイツ(ミュンヘン・ショッピングセンター及びベルリン・クリスマス市場)での事例がわが国で「テロ」が起こるとした場合の想定の範囲だろう。アメリカの事例では死者49人、ベルギーの事例では負傷者約340人・死者32人、フランスの事例では死者86人、ドイツの事例では負傷者約50人・死者21人である。

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他方、福島県の小児甲状腺がん及び疑いのある子どもたちの総数は190人(出典:2017年6月5日公表の福島県民調査報告書)となった。これからもこの数は増え続けるであろう。事故原発に由来する放射性物質の環境への曝露による被曝の実態はチェルノブイリ事故原発では「100万人以上の死亡者」と報告されている(2009年にニューヨーク科学アカデミーから出版された『チェルノブイリ大惨事、人と環境に与える影響』)。人口密度がチェルノブイリ周辺とは桁違いに大きいわが国にあって、人的被害が将来拡大するおそれは非常に高い。原発事故に起因することを政府は一貫して否定し続けるが、それ以外の明確な原因は何ら示されていない。

また、非正規雇用社会にあって、低所得世帯は増加の一途を辿り年収300万円以下の人口が全給与所得者の4割を占め(2014年)、OECD(経済協力開発機構)の貧困率調査では、わが国は発展途上国と同等のワースト4位にランクされている。子どもの貧困率は教育格差(主に学校外教育)として広がる一方であるのに、GDPに占める教育費の公的支出額において日本はOECDの先進国中最も低い水準となっている。

我々が肌身で感じる社会不安とは、原発事故による将来への放射線被害(実害)であり、低所得世帯の増加に伴う子どもの貧困(ひいては少子化)であって「テロ」ではない。その実質的な人的被害は前者であれば数百〜数百万人単位であるが、後者は発生したところで指を折って数える程であろう(それで良いと言う意味では決してない)。前者でこの国が亡びることはあっても、後者で亡びることはないものごとの軽重を違えてはならない

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不安ファシズム>なる言葉がある。国家が国民を絶対的に支配しようと思えば、不安に過敏な社会を作ることこそ手っ取り早い。その不安とは政治やマスメディアや官僚が恣意的に作り上げアンダーコントロールできるもので、その不安の解消のためにはいかなる手段も仕方ないと国民に思わせ、しかし、その手段を講じる対象は不安なるものではなく、社会であり国民でありその上で絶対的権力を振るう政治体制を意味する。

「あなたには獣の霊が憑いている」と人々を不安がらせ、「このままでは呪い殺されるから除霊が必要」と信じ込ませ、財産から挙句には命まで人々から奪ってしまうカルト教祖と同じで(オウム真理教など)、霊といった不安なるものをちらつかせながら、実質支配しようとする対象は霊などではなく、その人の財産や人権であると同じことだろう(拙稿『キツネ憑きの話(「戦争に戦う」が「戦争で戦う」になる)』)。

そのように、不安といっても政治やマスメディアや官僚が恣意的に作り上げアンダーコントロールできるものでなくてはならないので、放射線被害(実害)とか貧困といった実体が科学的に明らかな不安には飛びつかない。それらの責任の所在はまさに彼らにある上に、それらを下手に扱えば彼らの権限・利益を脅かすだけだからである。それが事実、チェルノブイリ事故被害の隠蔽に失敗し、まともに被害と向き合ったことがソ連邦なる体制の崩壊(アンコントロール)に繋がったと言われている。本当の不安こそ政治にとっては隠すべきことなのだろう(拙稿『国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」』)。

「ユダヤ民族」を仮想敵とし社会でのその存在を不安化・危険視することが独裁政治の最適解であったドイツのファシズムを引き合いに出すまでもない。治安維持法を必要としたかつてのわが国であればその仮想不安化・危険視は先ずは共産党員に向けられやがて体制に批判的な一般市民にまで及んだ。アンダーコントロール可能な不安として「テロ」を仮想不安化することがアメリカの政治・経済にとって最適であることは、アメリカの対テロ戦争からも明らかだった。爾来不安が自己増殖し続けているが、そもそもの開戦の大義や根拠は今もって曖昧なままだ。「テロ対策のためなら共謀罪には賛成。治安維持法の時代と今では社会が違うから大丈夫」などとサラッと言う人が多いが、不安に過敏な社会はあの時代と今とで大差ない。ここ数か月の北鮮のミサイルへの社会の反応ぶりをみれば明らかだろう。不安を煽っているのは刈り上げの首領ではなく、安倍首相でありマスメディアである。社会不安を政治やマスメディアや官僚が最大限利用した<不安ファシズム>はしっかりと現代にも息づいている。不安に過敏な社会が<共謀罪の趣旨を含む>改正組織犯罪処罰法を必要とし、その法律がさらに不安に過敏な社会へと深化させるという自己回転を始め、不安がどんどん社会の中で自己増殖していくのである。不安を餌に<不安ファシズム>なる政治体制はより鉄壁なものになるだろう。<共謀罪>なる無言の圧力の下、罪を被せられることを怖れる余り、思想・表現・結社の自由を市民が自ら封印し内に閉じこもれば、陰鬱で生気のない社会が到来する。無口で引きこもりの社会に経済活性など望むべくもない。「一億総○○」と個人を括って、生き方・働き方まで上から指図するようなアドバルーンを次々と上げているところからすると、安倍政権は自由主義とは真逆の統制経済を志向しようとしているのか

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不安払拭の代償として我々国民はこれからずっと人権のあからさまな侵害や立憲主義の否定という煮え湯を飲まされ続ける。その審議過程から到底まともな法的手続を踏んでこなかった<共謀罪の趣旨を含む>改正組織犯罪処罰法であれば、この先捜査当局が恣意的に運用しないなどとは到底信じることはできない。手段など容易に自己目的化し(探ることが目的化する)、嫌疑のための捜査から、捜査のための嫌疑へ(冤罪)と個人の内心の自由(プライバシー)を当局が如何様にも恣意解釈できるようになる。「公益及び公の秩序(自民党憲法改正草案第13条)」を擬制するのが国体・政体であれば、末端の捜査員がそれらを思料忖度しない筈がない。かつての治安維持法を要した時代に回帰する懸念は深まるばかりだ。斯様に最初から<不安ファシズム>の臭いが芬々としている。

実体も定かでない「テロ」とは政治やマスメディアや官僚にとって、不安心理を煽った上で国民を支配するにおいてまことに都合の良い錦の御旗なのである。

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個人の内心の自由から生き方・働き方まで国が支配することに対して、もう我慢ならないと<棄国>が若い世代の心に浮かぶ日は近いかもしれない。

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自己開明な人ほど「人間到る処青山あり」とばかりに日本を棄てるだろうが、そうさせる安倍政治こそこの国の目下の最大不幸である。

(おわり)

追記:
不安ファシズム>は、安倍晋三という人間の内にある心の闇(病み)そのもの。我々までこの闇(病み)に憑かれてはならない。闇(病み)を共有してはいけない。

「あるときより精神の異状をきたし、われは何々の狐なりと自らいい出だし、その身振りはおのずから狐のごとく、その声も狐をまねるようになり、「われに小豆飯、油揚げを与えよ」と呼ぶからこれを与うれば、二、三人前くらいを食して人を驚かし、狐のおらざるに狐の友達が来たりたりとてこれに向かって話を交え、あるいは人の秘密をあばき、あるいは未来のことを告げ、人をしてますます不思議に思わしむるものである。(井上円了「迷信解」より)」(拙稿『キツネ憑きの話(「戦争に戦う」が「戦争で戦う」になる)』より)

posted by ihagee at 03:31| 政治