『大日本主義の徒花 「安倍政治」に対抗するヴィジョンとは』なる記事が目に入った。
アメリカからルーピーと袖にされ潰された鳩山政権だが、その目指すビジョンは<小日本主義>であった。もし彼の政権が今続いていたら全く別の社会が生まれていたかもしれないという。
大日本主義の徒花たる安倍政権については私なりに以下記事を掲載していた。再録する。
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戦後1948年(昭和23年)6月19日参議院本会議(第2回国会)に於いて教育勅語等の失効確認に関する決議が行われ、その「排除」「失効」決議によって、我々国民は教育勅語と決別した筈である。ところが、教育勅語をめぐって「教材として用いることまでは否定されることではない」などと政府が先般閣議決定した。
その「教育勅語」には先のブログ記事(「我々に再び、踏絵を踏まさせるのか(教育勅語について)」)で触れたように、内心の自由を捨てることを国家が国民に対して強いた歴史事実が存在する。
すなわち、キリスト教が禁じられていた江戸時代の背教の証としての踏絵の如く、神道の神札を奉り上げ日本の神々に祷りを捧げることをキリスト教会に要求した時代、「良心」なる建学の精神を捨て修身(国民道徳・国家道徳)へと転向した同志社大学を、「日本主義の旗の下にキリスト教の最消化/学園再建に彼ら起つ京都御所を拝し感激に泣く同志社大学かくて更生せり」と褒め称えた時代があった。
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中日新聞記事(2017年3月28日)「ナチュラルとナショナル 日本主義に傾く危うさ(中島岳志)」は、『文芸春秋』3月号に掲載された石井妙子「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」に基づき、安倍昭恵氏の本質について以下のように記している(抜粋)。
“(安倍昭恵氏は)大麻の神秘性と有用性を訴え、「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』こと」と発言。大麻は日本の神事と深い関係にあると言い、アメリカの占領政策によって大麻栽培が禁止されたと訴える。(中略)過疎地で産業用大麻を栽培する活動を支持し、鳥取県智頭町(ちづちょう)を視察したが、その当事者は昨年十月に大麻所持容疑で逮捕された。スピリチュアルな活動が古来の神秘へと接続し、日本の精神性の称揚へと展開すると、その主張は国粋的な賛美を含むようになる。森友学園が開校を計画した「瑞穂の国記念小学院」の名誉校長になり、その教育方針を支持した。石井は言う。「そのベースにあるものは日本を神聖視する、危うさを含んだ、少し幼い思考ではないだろうか」”
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「大麻は日本の神事と深い関係にある」の、「大麻(たいま)」と「日本の神事」との関係とは、神宮大麻(じんぐうたいま)を指している。

神道での神様への捧げものが古来、木綿や麻であり、お祓いをする神具を「大麻(おおぬさ)」と呼び、そのお祓いを経て授けられる神札を「大麻(たいま)」と呼ぶ。麻(あさ)はわが国では紀元前から栽培された繊維原料であり、特に戦時下において繊維需要が増すと大麻の栽培・生産が国策となった。戦後、麻薬原料として大麻はGHQから栽培を禁止され、麻(あさ)の栽培には大麻取扱者の免許を要するようになった歴史がある。
「教育勅語」についての拙稿と照らすと、「神道の神札を奉り上げ日本の神々に祷りを捧げること」をキリスト教会に強要した時代こそ、大麻と日本の神事との深い関係が神道の神札(大麻)に最大限に象徴化されていた時代であり、「日本を取り戻す」の「日本」とはその旗の下に建学の精神(良心)を捨てて更生したと同志社を讃えた「日本主義」なるものなのだろう。
中島岳志氏が「日本主義」と指摘する通りである。
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「大麻は日本の神事と深い関係にある」の淵源は、おそらく、『神宮大麻と国民性』なる書物にあると思われる。神宮神部署主事を務めた当山春三によって著され大正5年(1916)4月に刊行された。
「天祖無ければ国民無く、家長無ければ家族立たず、敬神の念・祭祀の禮は我が国民道徳の根抵なり」「大日本は神国なり、民族祖先の神霊を祭祀するの国なり」「神宮大麻を拝受するのは、吾等国民が、天祖天照大御神に対して奉げる絶対的至誠の披瀝を擅にせんとする所以のものであるから、宗教宗派の如何に拘わらず、拝受すべきものである」「至誠の淵源は、実に、天祖に対して捧げる絶對的崇拝に在ること」等々。
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この書物が刊行された大正5年は教養主義・民主主義が社会全般に浸透し始めた大正デモクラシーの揺籃期にあって、当山はその「変節」しつつある世相に危機感を抱き、かかる書物を著したようだ。精神的自由(内心の自由・個人の自由な意思決定と活動)が社会の中で広まり、書物を介して西欧を鏡とする教養主義・民主主義の跳梁を許せば、神々との交流(スピリチュアルな行為や思考)から国民が疎遠となって(「敬神崇祖の至誠の蔭翳」)、魔が入り込み天祖に対する国民の至誠が蔑ろとなることへの危機感のようだが、その救済が神宮大麻にあると当山は結論し、国民性の発露=崇拝の至誠の披瀝であり、その至誠こそ人事百般の総てを支配する我国特種の国民性の本源であると説く。
昭恵氏は「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』こと」と言う。
大麻と日本の神事との深い関係の淵源を『神宮大麻と国民性』で知らずとも、スピリチュアルな友人関係から耳知識として理解する中で、神々との交流(スピリチュアルな行為や思考)に興味が沸き、スピリチュアルな指導で「修身(国民道徳・国家道徳)」を実践教育している森友学園・塚本幼稚園を知ることで、神道の神札(大麻)を祀り上げることによって「修身(国民道徳・国家道徳)」を国民全体に涵養することが『日本を取り戻す』ことであると信じるようになったと思われる。
大麻栽培に肩入れするのはその植物としての有用性というよりも、その精神主義的な神秘性に強く魅かれた彼女なりの象徴化であると思う。
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「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』こと」は、以下の意味で安倍晋三首相も共有する考えであろう。
すなわち、「『大麻を取り戻す』こと」は、日本の神事と関係では「崇拝の至誠こそ人事百般の総てを支配する我国特種の国民性の本源(当山)」の脈絡での「至誠」であり、「至誠」は安倍首相座右の銘だからだ。
「至誠」は孟子の「至誠にして動かざる者は 未だ之れ有らざるなり」言葉であり、「誠の心をもって尽くせば、動かなかった人など今まで誰もいない」の意で、吉田松陰が好んだことで知られている。
安倍晋三首相の座右の銘「至誠」は彼の尊敬する吉田松陰譲りであるとともに、「敬神崇祖の至誠」は神道政治連盟(後述)と深く共有しさらに昭恵夫人のスピリチュアルな活動とも共鳴し合っている(その先に森友学園問題がある)、と私は考えている。
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「敬神崇祖の至誠」が国民性の本源とみなす精神主義は過去の歴史において「日本主義の旗の下にキリスト教の最消化/学園再建に彼ら起つ京都御所を拝し感激に泣く同志社大学かくて更生せり」と賛美を残している。その精神主義の旗は曰く「日本主義」(正確には「大日本主義」)である。
「大日本主義」の譜代に吉田松陰がおり、その軍力と拡張主義が、ここで言う「日本主義」であり、国民利益の増幅を図り内政や個人の利益を重んじる「小日本主義(小国主義)」と対向する考えであった。言うまでもなくその「日本主義」の旗の下、大東亜共栄圏と列強諸国からの亜細亜諸国の開放たる美名の下で武力による拡張主義の道に突き進んでいった。
集団的自衛権による武力行使、武器輸出三原則の形骸化や憲法第9条改正を目的とした改憲など、過去の歴史と照合し「日本主義」の譜代に安倍晋三氏が名を連ねていると我々は見なくてはならない。そして「日本主義」と「敬神崇祖の至誠」は親和性が高い。靖国神社はその親和性の確たる象徴である。そこで安倍晋三首相が「敬神崇祖の至誠」と崇めるのは天照大御神でも天皇でもなく「日本主義」なる大義でありそれに殉じた軍神である。我々が一般の神社と違う不気味さを靖国に感じるのもムリはない。天皇も天照大御神も寄りつかない特殊な目的の神社だからである。
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実際、安倍政権になってから世の中「日本主義」の賛美に溢れかえっているようだ。テレビをつければ「日本って凄い・日本人って素晴らしい・日本人に生まれて良かった」と、個人よりも大なるものへの賛美が連日繰り返され、その気分に巻かれない者の方がおかしいと言わんばかりである。「我国特種の国民性」を強調するために中国や韓国を見下しそれらの国に対する嫌悪感を増長させることは、安倍政権の政治手法の一つにもなっている。「非国民」「売国奴」「土人」といった一昔前なら口にするだけでもその者の品性が疑われる言葉を若者たちが日常会話で使うようになったのも考えてみれば恐ろしいことである。そういって他者を差別しても構わない空気が「日本主義」の賛美は含んでいる。
自ら卑下するよりもたとえ自画自賛であっても誇らしくすることの方が気分は良いものだ。その限りにおいて、我々も「イイネ!」と脊髄反射的に呼応すれば良いだけで、知性も教養も必要としない。親を大事にとの手本が教育勅語であっても「崇拝の至誠」は素晴らしいからいいじゃないかと、精神主義に簡単に納得してしまう国民を大増産している。
そういう知性も教養も必要としない無思考な「至誠」と「日本主義」は表裏の関係にある。
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日本主義の旗の下、国家至上主義と言論弾圧が頭を擡げ始めた時代に、
長谷川如是閑は「資本主義・帝国主義・日本主義」(『経済往来』1932年7月1日)の中で、
「二十世紀の日本主義の内容は依然として、原始的「神国」説の文字通りの伝承である」、「千年来発展のない、すなわち歴史を持たない思想は、これを思想と呼ぶべきものでは」ないと喝破している。
すなわち、日本主義とは、伝承であり思想と呼ぶべきものでないことは、それに激しく抗った先人の知性がすでに結論を下した通りであるが、原始的「神国」説はなぜか命脈を保ち続け、安倍政権になって復活し、それと合わせて国家至上主義と言論弾圧が頭を擡げ始めている。歴史は繰返すとは言うが、あまりに我々は歴史に無関心に過ぎるのではないだろうか?
この原始的「神国」説が今も政治教義として息づいていることは「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」<森喜朗元首相の神の国発言>からも明らかであり、その神道政治連盟国会議員懇談会は「神道の精神を以て、日本国国政の基礎を確立せんことを期す」と謳い、自民党を中心に国会議員283名が参加し、その一人が安倍晋三氏である。

過去の時代のグロテスクな精神主義に阿るばかりか、忌まわしい歴史の忠実なる再現者としてその「神国」とやらから「宿命の子」として安倍首相が遣わされたのだとすれば、夫人共々我々は一刻も早く国政の場から排除しなければならない。

(おわり)
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