2017年05月15日

「言論統制から輿論(よろん)の作製へ」の歴史に学ぶ



安倍首相が2017年5月8日の衆院予算委員会で、憲法改正について、「自民党総裁としての考え方は相当詳しく(インタビューに応じた)読売新聞に書いてある。ぜひそれを熟読して頂いてもいい」と発言したことが波紋を広げている。

自民党総裁として改憲の意を表明するのであれば自党の機関紙にその肩書きで行うべきところを、一新聞社の紙面を使って改憲を言明する(「首相インタビュー」)という<首相>の立場での行為が、立法府(国会=国民)の権限へのあからさまな侵害であるとの批判が沸き起こっている。そして「ぜひそれを熟読して頂いてもいい」つまり、「意を体する」のが読売新聞であるとさらに予算委員会で公言したことで、読売新聞に対しても同様に非難する声が高まっている。

その読売新聞は全国世論(よろん)調査の結果をこの一週間ほどの間に次々と発表している。
・改憲、「9条に自衛隊」賛成 53%
・慰安婦めぐる再交渉「不要」61%
・テロ準備罪法案、「賛成」は 53%

これら結果は安倍首相の望む方向と合致し、その発表の手際の良さとタイミングは政権と阿吽の呼吸をしているかのように合っている。安倍首相が言う通り「意を体する」メディアは、産経新聞を差し置いて今は読売新聞なのかと思わせるほどである。

一人の調査対象者にこれらすべてを訊けば、改憲に賛成ならテロ準備罪法案も賛成だろうし、政権に親しみを持っていれば当然、慰安婦問題は終わったと答えるだろう。つまり、設問が異なれば、世論調査もそれぞれ別々に行うなど配慮しなければならない。しかし、読売新聞の設問はそうなっていなかった(「2017年5月 電話全国世論調査」)。

「Q あなたは、安倍内閣を、支持しますか、支持しませんか」で、「支持しません」と答えたら「ありがとうございました」と電話を切られたという話も聞く。固定電話があって日中出られる人が社会全体を代表する層だとは思えない。ネットの数多の情報から世論の実勢を知ることぐらい権力側はできそうなものだが、「意を体する」メディアならばこの旧態依然としたアンケート形式を続け、期待値どおりの世論(よろん)を出すこともできよう(拙稿『安倍内閣支持率「支持しない」9割超(Facebookでのアンケート結果)』)。

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メディアも政権も、ソ連やナチスから「奇手」や「勝因」を大いに学んでいた時代があった。

治安維持法が制定される前夜、思想言論の自由に日々箍(たが)がはめられつつあった昭和12年(1937)の満州日日新聞に「言論統制から輿論の作製へ」と題する記事が掲載されている。

満州日日2.gif

抜粋すると「ソ連には言論の自由もなく輿論と称すべきものもなく、国民の声が一切封じられていることは周知の通りだが"輿論"を製造するモスクワ現幹部派の手が、如何に極端なる技術を持っているかということは、容易に外部からは知り得ない、偶々、最近のピアタコフ、ソコリニコフ、ラデック等を繞るトロツキー派併行本部事件の判決に関して、それにソ連国民の"輿論"が絶讚を送ったと伝えるソ連紙の報道を解剖して見ると、案外他愛もなく、ソ連における"輿論製造"の技術を剔出することができる (中略)」(下線は筆者)

判決の出たのは1937年1月30日午前3時で、同日午前5時には新聞に判決記事とともに、各方面の反響が紙面に満載されていたという。

「不思議なのは、第四面である、第四面には、本判決に対する各方面の反響が満載されているのである (中略) この幹部派陰謀事件に関して、判決の正当に賛意を表し、その絶対的支持を与えている"輿論"とは、即ち本判決の齎した自然発生的反響ではなくて、前以て準備された"イズウェスチャ"編輯局作製の、換言すればモスクワ政府現幹部派作成の"輿論"であってスターリン独裁政治が"言論統制"から"輿論作成"にまで飛躍している事実を、自ら告白しているのである、判決宣告前に、既にそれに対する反響があり、"輿論"が、前以て作製準備されている…この奇現象を、単にスターリン・レヂームの心臓の強さと嘲ってばかりはいられない、対外政策にも、この奇手は常用されているからである」(下線は筆者)

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ここで、「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」とは異なる。「輿論(よろん)」は正確な知識と情報をもととしての「公論」であるが、「世論(せろん)」は巷の「空気」程度の意見でしかない。その昔は厳密に両者を使い分けていたが、今は「世論(せろん)」を「よろん」と呼ぶように、両者は混同して用いられている。

つまり、スターリン独裁政治下のソ連では官製以外の「輿論(よろん)」はなく、各方面の自然発生的な反響(「世論(せろん)」)など初めから存在していない(そのようなものを調査したこともない)。メディアを使って政府が予め製造しておいた「輿論(よろん)」を発表しているに過ぎない。

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昭和15年の国民新聞には「ナチ統制の勝因」なる記事が掲載されている。

国民新聞.gif

その抜粋、
「例えば宣伝省では言論統制を行うに当って「かくせよ」とは決していわない、唯政府は現在「こう云う方針で行く」ということを言論機関の会合で説明するのみであるすると各自は政府の意を体して一糸乱れぬ啓蒙宣伝並に国際的な言論戦を見事に遂行している」(下線筆者)
とある。

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「かくせよ」とは決していわない、「こう云う方針で行く」ということを言論機関の会合で説明する・・、は安倍首相と頻繁に会食を繰り返すマスメディア(所謂「鮨友」)との関係を彷彿とさせるではないか。

言論機関が「政府の意を体して」とは言いかえると「政府の意を忖度して」となる。

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基本的人権に直接かかわる法律についてそれが憲法であろうと、組織犯罪処罰法であろうと、その改正の是非は国民の側から澎湃として(自然発生的に)議論が沸き起こらなくてはならない筈だ。

「読売新聞に書いてある」との安倍首相の発言は、その澎湃がないにも拘わらず「こう云う方針で行く」と読売新聞の紙面上で展開し、「政府の(ここでは「首相」の)意を体」すること、つまり政府の意(安倍首相の意)に忖度することを国民に要求しているに他ならない。これには前掲の記事にあるナチスの「統制の勝因」が重なる。

そして、その読売新聞は「政府の意を体」する如く、「世論(せろん)」でしかない調査をあたかも「輿論(よろん)」=公論の如く、発表する。これは前掲の記事にある「"イズウェスチャ"編輯局作製の、換言すればモスクワ政府現幹部派作成の"輿論"」が重なり、その予め準備したかの手際の良さは「奇手」を思わせる。

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歴史を少し振り返るだけで、政権とその政権に親和的なメディアが「言論統制から輿論の作製へ」と協力し合う関係にあった時代を見つけだすことができる。ソ連やナチスに手口を学んだかのごとく、治安維持法とともに「言論統制から輿論の作製へ」を実践していった我が国。その先の亡国の顛末を知って、二度と同じ轍を踏まないことが歴史に学ぶということであろう。 (参照:『半藤一利氏が気づいた麻生氏の「ナチス手口学べ」発言の真意』)

(おわり)


posted by ihagee at 18:44| 政治