2017年04月04日

「名目と実質とが相反する偽瞞政治」(岸田國士)





安倍内閣が「教育勅語」について、「憲法や教育基本法に反しない形」で教材として使用を認める閣議決定をした。

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教育勅語等の失効確認に関する決議は戦後1948年(昭和23年)6月19日参議院本会議(第2回国会)に於いて行われ、その「排除」「失効」決議によって、我々国民は教育勅語と決別した筈である。

教育勅語を教育の場で反面教師とするならまだしも、その内容を一部とはいえど国民の徳育を涵養する教材として肯定評価し教育現場での活用も認める閣議決定(政府統一見解)は、教育勅語の現行憲法とは相いれない歴史的本質(忠君愛国)まで肯定することになる(その本質があるからこそ、天子(天皇)の詔=「勅語」)。

「勅語」とは何を意味するのか?それ一つ政府見解として「天子(天皇)の詔」などとまともに答えようものなら憲法違反となる。参院決議によって法的に失効したからといって、「勅語」の意味まで辞書から消えたわけではない。野党も「勅語」の意味を繰り返し安倍首相に訊すべきである。公と一般の使い分けを安倍政権は都合良く行うが、では一般用語で表されるとする「勅語」まで閣議決定することは公の見解に他ならず矛盾である。

「親を大切に」といった道徳観は表向きであって(それすら国民の内心の問題であって権力者が心の内に土足で上がって教えるべきものではない)、「勅語」としての臣民思想・国体(政体)思想を肯定・強要しようとする政治的意図が透けてみえる。

「日本国憲法の人類普遍の原理」に照らし、排除された(前掲の決議では「政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる」とまで書かれている)筈の教育勅語を認めるということは、「日本国憲法」を蔑ろにするものであり、現内閣の一部の大臣(稲田防衛相など)の教育勅語に対する肯定私見の矛盾をあとから糊塗する弥縫策に他ならない。その場の取り繕いの為に、徳育と話をすり替えて勅語の本質(岸田國士が言う「(表看板の)裏」..以下に言及)まで復活すべく、憲法改正を進めようとしているのではないか?

劇作家の岸田國士は、教育勅語等の失効確認に関する決議の前年に
『恐怖なき生活について「玄想 第一巻第五号」』(1947(昭和22)年8月1日発行)を著したが、そこに描かれている戦前・戦中の日本と、現政権の日本が驚くほど相似している。あらためて「恐怖」すべきではないのか?(以下、著作一部抜粋掲載)

戦時中、大政翼賛への批判的精神から敢えて大政翼賛会の文化部長になったものの、批判からいつしか同化に転じてしまった岸田自身の人間悲劇も読み取れる。「成り上り者」の支配に抗って岸田はやがてその職を下りるのであるが、安倍政権下の現社会は文字通り「成り上り者」の支配に帰したと言えるのではないか?



教育勅語への閣議決定はそんな「成り上がり者」の役得の味でしかない。これを小さなことだと侮ってはならない。このようにして「権力はあらゆる衣裳をまとつて個人生活の隅々にまで干渉の手を伸ばしたのである(岸田)」となる。大橋巨泉も死に際にこう言った「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない。(略)本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。実際、ニコニコして、口当たりの良いフレーズを並べておきながら、国民の過半数が反対した特定秘密保護法を強引に通してしまった。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」(「日刊ゲンダイ」/2014年5月12日・拙稿「大橋巨泉」より)

我々が学ぶべきは、教育勅語に書かれた徳育でもその暗唱でもない。勅語が担ってきた歴史的役割とその結果(人間悲劇)である。「成り上がり者」のためなら騙されて死んでも構わないという変わり者でない限り、肯定的に学ぶべきではない。教育勅語に殉じるとは、国家権力に今まさに抹殺されようとしている一個人(籠池氏)を見ればわかることである。彼が勅語に書かれている通り「国体(政体)」の秩序やら維持は一個人の尊厳よりも重いものと考えれば、当然としてわが身を滅す(犠牲とすべき)ところだろう。

しかし、それを頑として受け入れないところを見る限り(殉じようとしないところを見ると)、教育勅語とは国体(政体)の秩序や利害を取り繕う体裁に過ぎないことがわかる。敗戦間際、満州國から真っ先に逃亡したのが政治家(岸信介を含む)や官僚であり、帝国軍隊の将校であり、取り残され中共の人民裁判にかけられたのは一般の邦人であったこと(私の祖父がその一人)。教育勅語があろうと軍人勅諭があろうとその結果は「成り上がり者」の同朋への背徳でしかなかった。「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた(三笠宮)」その偽りを述べる者こそ教育勅語を強要する側の人間である。

いずれにせよ、教育勅語からまやかしを学んだのは他ならぬ籠池氏であったのだろう。

以下、岸田國士『恐怖なき生活について「玄想 第一巻第五号」』から抜粋

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「さて、すべての罪をわが封建制度に帰することはたやすい業であるが、いかなる封建制も、わが国民の如き国民を作らなかつたといふ一点に、私は注意を向けざるを得ない。徳川幕府の悪政の下に於て、日本人は、今日よりもましな日本人であつたといふ証拠はいくらでもある。明治維新は、どんなに中途半端な革命であつたにしろ、一応近代国家としての面目を整へ、進歩の旗じるしを掲げたのである。われわれの血液が真に毒されたのは、必ずしも、専制政治とその支配力のためばかりではなく、寧ろ、名目と実質とが相反する偽瞞政治とその影響の下に於てであると思ふ。

教育勅語は、当時の勅語としては、かくあるべきものであつた。この勅語を表看板として、裏では徐々に飽くことなき軍国主義が鼓吹されたのである。

皇室と人民とは親子の関係だと説きながら、実は、主従の関係、或はそれ以上距離のある関係を強ひた。

議会は国民の代表であることを標榜しながら、各党派は私利私慾をほしいまゝにし、政権以外に国民の利益を眼中におかなかつた。

警察は良民を保護するものと宣伝しながら、民衆のことごとくを罪人扱ひにした。

そして、法律によつて美風を維持するが如く規定された家族制度は、その強ひられた美風なるものによつて多くの人間悲劇を生んだのである。

かゝる現象は、社会万般の制度や機構のなかにこれをみることができた。人間対人間の関係に於て、秩序はもはや利害につながる表面の体裁にすぎぬものとなり、権力はあらゆる衣裳をまとつて個人生活の隅々にまで干渉の手を伸ばしたのである。社会は文字通り「成り上り者」の支配に帰した。自由競争、機会均等の美名が、最も権勢に憧れるものを権力ある地位につかせ、職責と称する役得の味を彼等に占めさせたのである。」

(おわり)

posted by ihagee at 18:25| 政治