大阪市営地下鉄の民営化が決まったそうだ。
同地下鉄は1933年に開業し(梅田-天王寺間)、公営地下鉄としては日本最古。すでに民営化している東京メトロ銀座線(浅草-上野間)が我が国の地下鉄道では最古(1927年開業)となる。

これら最古の地下鉄建設工事にあたって、技術面で先駆的役割を果たした人物が実質的に「(日本の)地下鉄の父」なのだろう。
早川徳次が「(日本の)地下鉄の父」と紹介されることが多いが、彼は実業家であって技術屋ではないので上述の意味での「父」ではない。さりとて「(日本の)土木工学の父」である古市公威がその人かと言えば、学者であっても現場技師ではないのでこれも違う。
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かの西式健康法(西医学)を確立した西勝造が「その人」である(拙稿「一枚の舌と二個の耳」)。
わが国における「(実践的)健康法の父」が、それ以前に「地下鉄の父」と呼ばれる存在であることを知る人は少ないだろう。
西式健康法を編み出す前、西勝造は土木技師であった。工学の研究のため大正時代にコロンビア大学に留学し、土木技術だけでなく欧米の都市交通についても見聞見識を深め、帰朝後は東京市技師として地下鉄道工事の現場で当時として最新の工法を紹介し、また自らも工法を編み出しては現場に適用したまさに地下鉄道工事の技術的先駆者であった。
彼の横に掘る(トンネル)技術は地下鉄道工事に遺憾なく発揮されたばかりでなく、建築物の基礎工事(建築物の重量を地中の支持層に伝達する役目を担う杭を地中深く施工する杭工)で縦に深く掘られる穴にも応用され、ウェスト(西)ウエルと呼ばれる深礎工法が完成した。鋼製波板とリング枠で土留めを行いながらコンクリートを打設し杭を形成するこの工法は今も受け継がれている。
「深礎工法の父」は木田保造ということになっているが(木田が「深礎工法」を発案したということになっているが)、この木田にトンネル技術を応用することを示唆したのが西勝造なので、本当の「父」は西なのかもしれない。
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西が土木技師として大成していく過程に、山本唯三郎がいたことも興味深い。西は山本が支配人をする松昌洋行の技師でもあった(福岡三池炭鉱・第三坑長)。この山本は朝鮮大陸でアムール虎を狩りその肉を渋沢栄一など財界の大物たちに食わせた破天荒さで「虎大尽」と世間で呼ばれた一大奇矯人であった。

しかし、第一次世界大戦後の大恐慌であっという間に財を失い松昌洋行が傾いたことが、福岡の鉱山技師から東京市の地下鉄道技師に転身させる結果となったのだから、西にとっては災い転じて福を与えた恩人なのかもしれない。
技師としての構造力学的視点を土塊から人間の生身の身体に移すという西の気宇の大きさは、虎さえも調理して喰らってしまうような山本から多少なりとも影響を受けたのかそれはわからないが、山本と同じく気宇壮大な人であった合気道の創始者植芝盛平とも西は親交があったそうだから明治人同士相通じる気性なのだろう。

その植芝翁の合気道を健康法の一部に取り入れたともされるが、「病気には健康法で対処できるが、暴力には健康法だけでは足りない」と、西は彼らから虎を狩ったり暴漢を駆逐するような力技は学ばなかったようである。
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私の父方の曾祖父は医者も匙を投げ危篤状態の実娘を触手療法で見事に治した西勝造に感銘し、同氏の経済的なパトロンとなり西銘会の会長を務めた程の篤い信奉者であった。

西式健康法を生涯実践した甲斐があったのか白寿近くまで長生し、生まれたばかりの私を膝に抱くその姿が写真に残っている。

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「跋渉(ばっしょう)の労を厭ふなかれ」とは植物学者 牧野富太郎のことば(「赭鞭一撻」より)だが、土木から人類の健康へと跋渉の労を厭わず、それぞれにおいて後世に名を残す一大事業を成し遂げた西はやはり「天才」なのだろう。

「跋渉の労を厭わず」の一つが地下鉄道工事となり、別の一つが西式健康法となって成果した。
西式健康法で思い出したが、私の母方の曾祖父は晩年<中村霊道>という精神的医術を信奉していた。この医術の創始者である中村春吉はわが国の冒険家の先駆(「自転車による世界一周無銭旅行(明治35年)」)として知られ、インドでは「食料を失って餓死寸前のところ、襲ってきたクロヒョウを撲殺しその肉で飢えをしのいだ」などと「五賃征伐将軍」という異名を持っていた快男児である。

この精神的医術は廃れてしまったが、中村もある意味において「跋渉の労を厭わず」を実践した人なのだろう。
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さて、今は「跋渉の労」を厭う「ネット民」ばかりとなって、「ポチッとイイネ」で世界の実相がわかったつもりでいるバーチャリティは(拙稿「<綴るという行為>」)、人と人が直接触れ合い影響し合う世の中が厭わしいとばかりに、ビッグデータやら人工知能(AI)に頼る社会をどんどんと推し進めていくだろう(拙稿『「AI本格稼動社会」への大いなる懸念』)。
「跋渉の労」が報われる時代はもうめぐって来ないかもしれない。これでは夢も希望もなくなるわけである。
(おわり)
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