2017年02月24日

インド映画考 – その3(ムトゥ踊るマハラジャ)


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1980年代、コピーライターが焚き付けた「不思議、大好き」はそれまでの欧米一辺倒のカルチャー志向にゆらぎをもたらした。

久保田早紀の「異邦人」がシルクロードをイメージしたように、未知未踏のカルチャー領域がその時代の社会の刺激となりつつあった。

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Muthuという原題のタミル語映画(1995年制作)を誰がいかなる経緯で日本に持ち込んだのかは知らない。しかし、邦題を「ムトゥ踊るマハラジャ」と変え、コメディアン(ラビット関根など)、はみだし共感系メディア(ぴあ)などが「不思議、大好き」とばかりに取り上げてあっと言う間に「インド映画」ブームとなった(1998年)。



脈絡なくいきなり歌い踊るシーン、タオル一枚もヌンチャクとなるナンセンス、ド派手なアクションや、人も馬車も空を飛び歯の抜けた婆さんまでモゴモゴと歌い出すシュールさ、お決まりのスラップスティック、クジャクからゴキブリまで小道具となる背中がザワザワするような生活感、顔立ちの濃い役者たちのドロっとした血や汗や涙が綯い交ぜとなった喜怒哀楽などがカオスとなって襲ってくる・・・突っ込みどころやおバカ満載のB級映画として喧伝され、その通り観客に受容された。

「マハラジャ」はその昔のインド諸国の藩王のことであって、映画の時代設定(一応現代らしい)と何ら関係しないが、我々にはバブル絶頂期の同名のディスコ・パブのケバケバした派手さを想起させ、この邦題によってB級・色物映画という先入観を我々に植え付けることに成功したようだ。

私も渋谷のロードショーにこの映画を観に行ったが、何でも良いからワ〜と盛り上がりたいという欲求が上演前から高まり、その熱気たるや凄かった。普段は「静粛にご観賞を」と言う映画館もこの時ばかりは「上映中の歓声や拍手はご自由に」と無礼講を許していたような気がする。助演のミーナさんも急遽来日しカーテンコールに応えたらしいが、降って湧いたブームに困惑していたようである。

この映画でスーパースター=ラジニカーント(Rajini Kanth)は日本のファンを獲得し「インド映画」=「ムトゥ踊るマハラジャ」=ラジニという固定観念が一般に出来上がった。

それと前後する頃、ヒンディ語映画(ボリウッド)の大スター、シュリデヴィ(Sridevi)さんがファンの招きで来日したそうだ。彼女の代表作(例えばNagina)が上映されることもなく、またその来日がメディアに取り上げられることもなく少し寂しい歓迎ぶりだったようだ。


(Sridevi主演Naginaより)

固定観念に捉われ易い国民性ゆえか現在に至るまでも劇場でたまに消費される「インド映画」は突っ込みどころやおバカ満載の「マハラジャ映画」という最初の通り相場のままである。それも食傷気味となってきたのかこの手の「インド映画」はここ数年尻つぼみである。

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歌も踊りもない映画、歌よりも詩に重きを置く映画、踊り子(娼婦)や生き別れの兄弟を中心に社会の不条理を告発する映画、庶民の日常を淡々と描く映画、多宗教間の寛容・和解を説く映画、西欧社会との価値観の違いを描いた映画等々、「マハラジャ映画」などと宣伝広告的に括り上げられたワンパターンとは無縁の広大な領域がタミル語映画にもヒンディ語映画にもそれぞれあるのに我々はそれらを知らない。

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ヒンディ語映画を中心に、年譜的にその領域を綴ってみたいと思う。

(つづく)

posted by ihagee at 03:25| インド映画