2017年02月23日

インド映画考 – その1(きっかけ)


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1981年、私は東京の大学生だった。
鈴木善幸内閣の下、土光臨調と呼ばれる行財政改革の只中にあって、政治も経済も地味であったが手堅く運営されていた頃だと記憶している。熱病のようなバブル景気の予兆も当時はなかった。

東西冷戦下、共和党のロナルド・レーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任したのもこの年であった。携帯電話はおろかGUIのパソコンすらなく、テレビジョンが娯楽の中心に君臨していた時代でもある。

堤清二氏のメセナ的な文化事業がその統帥するセゾングループで次々と開花していくのもこの年あたりからである。百貨店に併設するセゾン美術館、そして洋書(美術書)と現代音楽で若者の感性を惹きつけたアール・ヴィヴァンはその発火装置であった。テープ音楽やミニマル系の現代音楽が脈絡もなく無機的に流れる薄暗い照明の下、怪しげな洋書をゴソゴソと漁る若者の一人が私だったかもしれない。そして、六本木WAVEが開店したのが1983年。ビル一棟丸ごとカルチャーの巣窟はスノッブな六本木族の溜まり場となっていた。

百貨店事業もクリエイティビティを前面の押し出すイメージ戦略を同時に展開していた。糸井重里氏の「不思議、大好き」に始まるキャッチコピーは未だ記憶に鮮明である。隣のパルコとその「不思議」さをアドで競い合っていた。

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「不思議、大好き」のイメージ戦略に沿って、池袋本店でインドをフィーチャーしたフェアが行われたのもこの年ではないかと思う。ある日、耳慣れない音階と妙な転調のメロディに合わせて甲高い女声のウネウネと歌う音楽が流れていた。それは現在ロフトのある階、当時はアナログ・レコード売場(ディスクポート)だったと思う。

しばらくその下にいると頭がクラクラし気分が悪くなった。そのクラクラとする音の入った2枚組のLP盤を買った。気分の悪さの元を自分で確かめたくなったのかもしれない。こういう好奇で酔狂な客は百貨店の思う壺である。

そのLPは英国HMV原盤の1970年代を中心とするボリウッド映画音楽のコンピレーションだった。ジャケットも盤面もどことなく薄汚れていたが、インドプレスと印刷があり合点した。汚れついでにカレーの臭いもあるかと嗅いでみたがさすがにそれはなかった。

レコード針を落とすと、あのクラクラ感が蘇ってたちまち気分がどっと悪くなった。ジャケットに印刷されているアーティストの写真の目元を眺めているうちに、その目の下のクマの濃さが奏したのかサイケデリックなエフェクトが増幅され半分も聴かないうちに針を上げ、「不思議、大好き」とはならなかったのである。

今思うと、このクラクラ感を克服しもっと先まで行けば、かのビートルズもインド巡礼で開眼したというフラワー・パワーの世界観があったのかもしれない。

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「インド人もびっくり(ヱスビーカレー)」、「レッドスネェ〜ク・カモォ〜ン!(東京コミックショー)」などのセリフとともに連想するターバンを頭に巻いた(日本人が演じるところの)所謂インド人のステレオタイプは小さい頃から抱いていたが、この最初のカルチャーショックはその判で押したようなイメージを少しだけ変えたのかもしれない。

(つづく)
posted by ihagee at 18:49| インド映画