NHK大河ドラマ「樅の木は残った(1970年放映)」、あのタイトルバックに大写しされる能面が子供心に恐ろしかったが、平幹二郎演じる原田甲斐が宇乃(吉永小百合)に優しく語りかけるシーンは未だ強く心に残っている。
「私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ」
この言葉に、樅の木を伊達藩に喩え自分に喩えて、蔑みや誹りを受けても何一つ弁明せず、ただ存立だけを願ってわが身を犠牲にしようとする甲斐を宇乃は悟った。
原田甲斐は齢五十そこそこで斬殺されるが、その年齢にして最も才覚の備わった人物として描かれることが多い。本当の才覚を持つ者ならば甲斐のように決して他者にひけらかさず相手の言葉を先ずはじっと聞く胆力がある(拙稿「一枚の舌と二個の耳」)。能面のように自ら感情を表現せずとも相手に意図した通りの感情を読み取らせる術がある。
知恵や才覚のない者ほど、上に立つと「おれがいちばん偉いんだ、だから黙っておれ」と語りたがる。カッと顔を真っ赤にして感情を露出する。そういう者ほど木を弱らせ枯らせてしまう。
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ドナルド・トランプが次期大統領になる。
トランプについてヒラリー・クリントンの単なる当て馬であって、ヒラリーが余勢を駆って大統領になるに違いないと、安倍政権は決め込んでいた節がある。そうでない場合を想定もせず、オバマ任期中でのTPPの米議会承認までも当て込んだ政策運営を続けてきた。
本来であれば何の検証もない人物である。「新政権が落ち着くまで時間を与えなければならない。判断は後だ(スイス・ブルカルテール外相)」や「大きなショックだ。これから何を実行していくのか注目される(ドイツ・フォンデアライエン国防省)」と希望的観測を入れずにステートメントすべきところだろう。
「判断は後だ」という言葉の底には「具体的な行動につながらないものは無意味」とするプラグマティズムがある。それが無意味なうちは「何を実行していくのか注目される」とコメントするに留めることが政治的胆力である。
安倍総理大臣は「米国大統領に選出されたことに、心からお祝いを申し上げます。日米同盟は普遍的価値で結ばれた揺るぎない同盟です。その絆を、さらに強固なものにしていきたいと思います。また、トランプ次期大統領とも世界のさまざまな課題にともに協力して取り組んでいきたいと思います。一緒に仕事することを楽しみにしています」と祝電。
昨日までヒラリー命と相合傘を描いていたのに、一夕にしてトランプに擦り寄る脈絡の無さ、トランプ反対世論が渦巻き暴動まで起きているのに、安倍総理はヒラリー牙城のニューヨークに一週間後には会いに行く。ヒラリー支持者であればトランプと共に安倍総理の写真も燃やしてしまうだろう。

(数千人の反トランプデモ・11月9日ニューヨーク)
先ずは水面下で相手をじっと探る政治的胆力のかけらもない。安倍総理大臣の常とするエスタブリッシュメントの中の予定調和的風土の対極からトランプが現れたのに、すでに「一緒」ですと言ってしまう。
自民党の細田博之総務会長は9日、党本部で開かれた会合の席でトランプについて「対日政策はどうなるのか。日本は米国とどのように関係を築いていかなければならないのか。わが国の政策の選択が問われる。安倍晋三政権にとっても試練の期間になる可能性がある」と述べたそうだが、祝電からすでにその試練は始っているかもしれない。
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「私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ」はなにも原田甲斐だけではない。
「最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。(エジソン)」
「孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ。(チャーチル)」
と、「樅の木」は洋の東西を問わず才覚者に共通しているのだろうか。
寿司友をぞろぞろと従わせ、イエスマンをはべらせ、木にも枝にも葉にも自分の名前をアレコレと冠して語らせるばかりか私物化している安倍総理にこの手の才覚を求めるのは無理だろう。
トランプは案外一人になって考える「孤独な木」を持っているかもしれない。表向きと異なりその素顔は能面なのかもしれない。そうであれば安倍政権は厳しい試練を受けることになる。逆にトリックスターであれば、安倍総理(キツネ憑き)と一脈が通じるかもしれない。その気配もある。普通の人間でない者が権力を奪取し政治を行うこと。その方が数段恐ろしい。

(「トリックスター」)
(おわり)
追記:
<牽制>
英国・メイ首相「英国と米国は、自由と民主主義、進取の気性という価値観に基づいた持続的で特別な関係を築いている。この関係に基づき、向こう数年間にわたって両国の安全保障と繁栄を確保するために協働していく」
ドイツ・メルケル首相「ドイツと米国は民主主義、自由、法の支配の尊重、そして、出自や肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的信条に左右されない人間としての尊厳という価値観を共有している」
<褒辞>
安倍総理「トランプ次期大統領と緊密に協力し、日米同盟の絆を一層強固にする」「類いまれなる能力により、ビジネスで大きな成功を収められ、米国経済に多大な貢献をされただけでなく、強いリーダーとして米国を導こうとされている。」
この違いは何なのだろうか?
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<孤独な木>
「トランプ氏が外交政策において、共和党保守本流に「外注」を頼むことはないだろうという、理由もいくつかある。第一に、トランプ氏はこうした高官たちから何も恩恵を受けていない。同氏は彼らから資金援助を受けていないし、選挙スタッフにも共和党の中核派は含まれていない。同氏は、自ら共和党の支持基盤やイデオロギーを変えることで同党のリーダーになったのである。もうひとつの理由は、少なくとも1980年代後半の日米貿易摩擦の時代から一貫して、トランプ氏は上記の述べたような見解を示してきたことだ。つまり、彼が言っていることは、選挙対策でペンシルベニア州の元製鉄所工員たちにアピールするために作られたスローガンではない。これは、トランプ氏の強固な信念であり、それを放棄する気配は今のところ見られない。(中略)トランプ氏は日本を信用ができない、二枚舌の同盟国であると辛らつな表現を使って非難した。」(東洋経済オンライン 11/11(金) )
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