2016年10月29日

写真家・ヴァルター・ハーン(Walter Hahn)とドレスデン



Colmar Walter Hahn (* 20th April 1889 in Berlin ; † 24. November 1969 in Dresden ) (コルマー・ヴァルター・ハーン)は日本ではその名を聞くことはないが、ドイツのある世代以上の人々にとってはありし日のドレスデンを記録した写真家として知られている。

ハーンはベルリンで生まれドレスデンで殆どの生涯を過ごしたようだ。彼の写真家として最初の作品は山岳写真であったが、ガラス乾板の大判カメラを担ぎロッククライミングをしながら当時の著名な登山家を撮影したという。重く大きなカメラを背負うハーンは登山仲間からはレンガ屋(Hod)と仇名されたようだ。


(1922年 登山家・パウル・イルマーをファルケンシュタインで撮影)

初めのうち写真は登山仲間に配っていたそうだが、友人の勧めもあって1908年にフォト・ポストカードの会社をドレスデンに起こした(戦後はウィーンに本社を移転)。

以下は私が蒐集した戦前・戦後のハーンの会社のフォト・ポストカードの一部である(実際に切手を貼って使われたものもある)。

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(ハーンは美しい雲が浮かんでいる日を選んで撮影したそうだ)

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(ドレスデン大空襲で瓦礫と化す前の聖母教会・2005年に元どおりに復元された『百代の過客』)

山岳写真は1920年代迄で、1934年、ハーンはナチス党員となり航空写真を手がけ始める。第二次大戦も最中の1943年には許可を得てエルベ川の真珠と呼ばれたドレスデンの美しい街並みを陸と空から撮影した。連合国軍といえども古都ドレスデンを空襲することはないと信じていたドイツ人たちは戦禍を逃れてドレスデンに集まっていた。しかし、これが生けるドレスデンの最後のまとまった記録映像となった。

1945年2月13日の「ドレスデン大空襲」は絨毯爆撃と呼ばれ一夜の爆撃で古都の中心部は完全な廃墟となった。ドレスデンの街の85%を破壊し3万5千人もの一般市民が犠牲となった。空襲直後のアルトマルクトを撮影したハーンの一枚の写真にドイツ人同胞のみならず、その破壊の当事者たる英国人までが衝撃を受けたようである。



彼の妻はこの空襲の犠牲となった。しかし戦前彼が撮影した写真のネガは幸い殆どが無事であった。15,000枚にも上るガラス乾板を含め彼の写真遺産はドイツ写真ライブラリーに保管されている。東独時代は進まなかったが、ミレニアムを境にして、戦争で破壊された真珠のピースが一つづつそれら破壊される前の映像記録を参考に復元されている。写真を失われた過去の思い出とせずに再び写真を元に復元するという社会資本へのドイツ人の執念もさることながら、その甦りに「和解の印」を求めて、ドレスデンを爆撃した英国ばかりかナチスの侵略を受けた国々からも多くの支援が寄せられている。

(おわり)
posted by ihagee at 16:05| 古写真